電通を創った男たち #38

日本のCMの育ての親 尾張幸也(2)

  •      r
    伊藤 徳三

海兵団二等水兵は、日々なにを考えていたか

 
  「武山海兵団日記」の表紙
 
「武山海兵団日記」の表紙

尾張夫人が大切に保管している、黄色い表紙のオックスフォード・ノートがある。尾張の手で「於 武山海兵団日記(清書)」とある。表紙をめくると「『一夜一想』昭和18・12・14~19・1・31(武山海兵団における二等水兵としての日々の生活の中で書きしるす)」。このノート自体は後年72歳の尾張が改めて清書したものだが、原本は非常に小さなボロボロの手帳で、22歳の尾張が揺れるハンモックの中でひそかに書き連ねた日記だったという。目を通すとにわかに緊張が走る。常に死を意識しているという緊張感だけではない。国家や軍隊を否定はしない。いや、否定するわけにはいかない。しかし「自由とはなにか」をつきつめて考えている。尾張の生涯の思索の原点がここにあると思うので、少し長くなるが抜粋引用したい。若い読者にはすこし読みにくいかもしれないが、旧字体、旧仮名遣いをあえて原文のまま引用した。時代の匂いを嗅ぎとってほしい。

昭和十八年十二月十四日

 

入団式 戰爭目的なき戦はない。それが衆人をつなぎうるや否やに依って、その戰爭の意義の大小が定まる。我々の目的は何か。それは自由のためにである。それが具体的には何を意味するか。

 十七日

 

学問への道を捨てざるを得なくなった。自分はどの様にして生きる道を切り開いて行くべきか。Humanistとしてか、Patriotとしてか、Pessimistとしてか、外から与えられるものに身を委ねる事は出来ない。あくまで自分のLebenを見つめて行かう。如何なる運命にも不拘(かかわらず)、一個のHumanistとして生きて行かう。

 十九日

 

死が直接の問題になって来た。国のために死ぬことと、それまで自己の生を見つめて行くこととが。この二つを同時に生きぬくことは矛盾であろうか。単に手段としてではなく、全く全力をあげて自分は国家のためにつくす。しかし尚そこにある間隙を、うすらさむいすきまを感ずる。そのすき間をうづめる事、これが人間の問題ではないか。それが生を見つめることだ。(倫理の問題でもある)

〔 入団五日目にして感じた「うすらさむいすきま」。この違和感はずっと続く 〕

 二十四日

 

(前略)国家主義(国家が経済を指導する)とは一つの立場たりうるか。(中略)…経済properの問題が存する。重要なのは、この経済の属性の研究である。そして国家主義はこの属性にとって、経済を把握する立場たり得ない。問題は、不変の経済といふ人生現象の属性である。

〔 国家主義の明快な否定。隠れて書かざるを得ないわけだ 〕

 二十六日

 

大学の生活が幻像として眼底にうかぶ。大学の生活は一つの態度を追及する生活だった。時代的知識ではなくて、あらゆる時代を生きる一つの態度を。すべてすぎ去ったものは美しい。いやだった事すら美しい多彩な衣につつまれて回想される。

 三十日

 

本を読みたい。今年の後半は特に書を読む事が少かった。我々の思索は先づ書に依って刺戟される。まだ独思には早い。よみたい本…漱石 ゲーテ ニーチェ ヒューペリオン 本に対するAppetiteをつよく感ずる。

昭和十九年一月一日

 

今年の課題は何か。Humanistとして生きぬくことである。生きる態度としてのHumanitätは現在の歴史的状況の中に如何に生きぬくか。我々がHumanistとして生きることをさまたげる歴史的存在は何であり、且つそれが如何に変化してゆくか。英・米の概念的支配とは何か。民族主義とは何か。問題はここにつきる。――はげしい大学の演習の下に身をおいてみたい。学問への情熱はおとろへない。

 十八日

 

無智とは学校へ行ったとか本をよんだとかしないとかいう意味ではない。学校へ行っても、本をよんでも、無智なものは無智である。無智とは、のろはれた存在である。ただ無智を自覚して静かに黙す時のみ救われる。だが往々にして無智なものは無智なるが故に余計しゃべり、そのあはれさを露呈する。

〔 珍しく感情を爆発させている。海兵団内の規律違反処分に対する怒りである 〕

 十九日

 

Nachkrieg(戦後)に、若し軍縮問題が起こったとしたら、それは軍備不要とかKrieg(戦争)嫌悪の情とかの原因とは別に、軍隊それ自体の中から由来する原因があると思はれる。それは不当にゆがめられた人間の解放の問題である。

〔 ついに軍隊の存在そのものを否定してしまった。カッコ内の訳は筆者 〕

 二十二日

 

自由な民、自由な土地は何處にあるのだらうか?この世に求められるものか、又、我々はこの世をすてて遠い所に或は夢の中にさへ求めるべきものなのだらうか?屈辱になれた人とは共に歩きたくない。又、人の心情を無視する様な人々とも。温い心情の国、そして生の横溢した国。これを地上にうちたてねばならない。

 二十六日

 

Nachkriegszeit(戦後)に於ける文化の興隆の中に、Antikrieg(反戦)の傾向をもってはゐなかったか。即ちKrieg(戦争)そのものがHumanität(人類)の拘束を意味するが故に、Nachkriegszeit(戦後)に、Entfesselung(解放)の運動が起り、文化のAufhöbung(止揚)がある。この様に考へられないか?例、桃山、元ロク時代、又、古い概念との戰から離別の意味に於ける自由よりKultur(文化)の興隆。

〔 カッコ内の訳はすべて筆者。ドイツ語の多用がすでに、当時におけるこの記述の危うさを物語っている。この時点で戦後文化になにが起こるかを予感していることに注目されたい 〕

  尾張の自筆
 
尾張の自筆

 二十七日

 

自由のために!最後の夜

翌1月28日、武山海兵団から土浦航空隊に回され、3カ月の航空基礎訓練を受けた後、海軍14期飛行予備学生の仲間は、全国各地の航空隊に配置される。14期の同期生3323名。終戦時に戦死者は411名を数え、うち163名は特攻隊員としての死であった。「昭和二十年春、先に飛立って行った仲間たちからの “突入”を知らせるモールス信号が、ぷつんと切れるのが耳に入った。あの悲痛な一瞬は今も忘れることができない」(1977年『社報電通人』新役員紹介欄)。誰に読ませるわけでもない小さな手帳。馴染めぬ軍の中で自分を見失わないために書いたものだから、このノートからは尾張の思いがストレートに伝わってくる。「読むと今の尾張と全然変わらない感じで、もともとこうだったのかなぁと思いますよ。なんて言うか、もとから自由主義者だったんですね」。美和夫人の言葉である。

(文中敬称略)

第3回へつづく 〕

プロフィール

  •      r
    伊藤 徳三

    1945年東京生まれ。69年一橋大学社会学部卒。同年電通入社。クリエーティブ部門でCMプランナー、クリエーティブ・ディレクター、シニア・クリエーティブ・ディレクターを歴任。この間、カルピス、東芝、明治製菓、富士写真フイルム、花王などを担当。カンヌ国際広告映画祭銀賞、全日本CMフェスティバル大賞、ACC賞などを受賞。著書に『時代を映したキャッチフレーズ事典』(共著)。

バックナンバー

関連記事

続きを見る
ページ先頭へ