電通を創った男たち #41

日本のCMの育ての親 尾張幸也(5)

  •      r
    伊藤 徳三

「電通さん、犬のオシッコ!」

 

テレビ放送の草創期は「人が育っていない」「技術は未熟」「機材も不足」と無い無い尽くしの中、とにかく一心不乱に走り始めたと言って良いだろう。日本テレビの2年後に開局したラジオ東京テレビ(現TBS)でも、看板番組「日真名氏飛び出す」(1955~62年・三共提供)でこんな光景が見られた。「『日真名氏…』スタートのときは、四方に壁を作ったリアルなセットを組んだところ、どこからカメラを入れたらよいのかわからなくなり、ひとつの壁面の下を壊して、やっとカメラを入れて撮影したという珍談もあった」(志賀信夫著『テレビ番組事始 創生期のテレビ番組25年史』)。

「花椿ショー・光子の窓」(日本テレビ・1958~60年・資生堂提供)は草笛光子が踊って歌う、日本で最初の本格的音楽バラエティー番組だったが、毎週視聴者にプレゼントする子犬の鳴き声が、スタジオ中に響き渡った。「電通さん、犬のオシッコ!」。フロアディレクターの声に、大学出たてのラジオテレビ部員が歯を食いしばって走った。

初の芸術祭参加スタジオドラマ「私は貝になりたい」(ラジオ東京テレビ=TBS・1958年・三洋電機=現パナソニック提供)は、ドラマ前半部の約30分をVTR出しするというチャレンジ精神に満ちたものだったが、VTR室の責任者は録画中、一心にVTRに手を合わせて拝んでいたという(志賀信夫著『テレビ番組事始 創生期のテレビ番組25年史』)。

一方、テレビ・コマーシャルについて言うと、7割は生番組に付随したかたちのスタジオ生CMで、残り3割がフィルムCMやスーパー・イン・ポーズCMだった。今の視聴者は想像も付かないだろうが、画面を縦割りに半分にして、左画面は生放送中の番組、右半分はフィルムCMという形式(ワイプCM)も少なくなかった。生CMは生番組中に同時に撮られるので、広告マンは番組とCMの受け渡しの仕方に知恵をしぼった。

 
「日真名氏飛び出す」では、
ドラマ内の生CMという手法が話題に
 

「日真名氏飛び出す」の番組/CM関係は模範例と言われた。主人公の素人探偵日真名氏(久松保夫)と助手でカメラマンの泡手大作(高原駿雄)がドラッグストアで、スポンサー三共のドリンク剤を飲みながら一息入れる、という流れだった。「スタジオの中のセットに、ドラッグストアを常設し、劇中にレギュラーメンバーたちがたまり場としてそこを使った。コマーシャルを放送するために設置したものがドラマの中でも利用でき、劇の進行を説明したり、ドラマのつなぎに使ったりもした。もちろん生CMを放送するために考えたものであったのだが、このようなドラマの進行にも役立ったので、この設定のアイデアは模範的な発想だったと当時の放送現場ではかなり高く評価された」(志賀信夫著『テレビ番組事始 創生期のテレビ番組25年史』)。

「光子の窓」では生番組中に、草笛光子による資生堂女性社員インタビューが行われた。このインフォマーシャルは15年後同じ日本テレビで「おしゃれ」として復活する。提供はやはり資生堂、メインの司会者は石坂浩二や久米宏が務めた。

 
 
日本初の本格的音楽バラエティー番組
「光子の窓」

関西発でも評判の生CMがあった。「ダイハツコメディ・やりくりアパート」(大阪テレビ放送=現朝日放送・1958~60年・ダイハツ工業提供)ではセットの中で小型オート三輪「ミゼット」が映りっぱなしだったが、番組最後の生CMで主演の大村崑と佐々十郎が「ミゼット!」と連呼して人気となった。

しかしこんなにうまくいくケースの方が稀で、通常ではタイムスケジュール通りに進行しないことの方が多かった。場合によっては生コマーシャルの時間が本番中に短縮されたり、カットされそうになることもあった。またカメラやマイクブームの移動が遅れて、コマーシャルの映像や音声が出ないという事故もままあった。尾張幸也を「日本のCMの育ての親」と呼ぶ小田桐昭も、この時代の経験者だ。「CMも含めて、ほぼ通しで撮影されていたのでスタジオは戦争騒ぎだった。時間が押してくると、ディレクターは勝手にCMの秒数をどんどん削っていく。手間どったりしていると『コマーシャル屋!何、やってる!』と副調からディレクターの怒声がとんできたりする」(Acction vol.96小田桐昭「私のCM史 そして出会った方々」)。生CMに限らずコマーシャル・フィルムについても、野放し状態と言ってよかった。規定秒数オーバーのCM素材はザラだったし、表現を見ても堂々と女性の乳房を露出しているものなど、今の常識で考えられるだろうか。すべてにわたってルール確立前のフロンティアだったのだ。こんな混沌とした世界に尾張幸也は飛び込んで行ったわけだ。 

(文中敬称略)

第6回へつづく 〕

プロフィール

  •      r
    伊藤 徳三

    1945年東京生まれ。69年一橋大学社会学部卒。同年電通入社。クリエーティブ部門でCMプランナー、クリエーティブ・ディレクター、シニア・クリエーティブ・ディレクターを歴任。この間、カルピス、東芝、明治製菓、富士写真フイルム、花王などを担当。カンヌ国際広告映画祭銀賞、全日本CMフェスティバル大賞、ACC賞などを受賞。著書に『時代を映したキャッチフレーズ事典』(共著)。

バックナンバー

関連記事

続きを見る
ページ先頭へ