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プランナー’s 振り返りトーク 今までのこと&これからのことNo.1

プランニングの歴史は「統合の連続」

2013/04/04

平成5年電通入社のビジネス・クリエーション局・金田育子専任部長に自身の経験を振り返りながらプランナーとしての変遷、プランニングの現場における課題など、そして最近の著作「ソーシャルエコノミー」(共著)について語ってもらいました。

──平成5年に入社してからの20年間で、プランナーという仕事がどう変わってきていているのか、それを振り返った上で、現状の課題を聞かせてください。最初の配属はセールス・プロモーション(SP)でしたね。

金田:いわゆる販促企画の担当で、店頭周りのプランニングだったり、流通向けのプロモーションを企画したり、営業マンのセールストークキットをつくったりしていました。キャンペーンでは、マストバイの消費者向けクローズドキャンペーンの企画実施などをやっていたんですよ。



──90年代初めですよね。

金田:入社したころは既にバブルが崩壊した後だったので、派手なプロモーション、たとえばオープン懸賞だったり、華美な店頭ツール制作はだいぶ少なくなっていましたね。そんな折に求められたのが、流通向けのセールストークの開発、棚を確保するための流通向け施策、店頭でテイクオフ(=手に取る)してもらうための戦略的なPOPといった、いわゆる“現場の売り”につながるような施策でした。ちょうど店頭とテレビの連動企画みたいなものが出てきて、新しい手法として注目された時代でした。イメージづくりが軸だったテレビCMに、販売の現場である“店頭”を想起させる型のCMが登場したというころでした。

──その後SPから営業、メディアプランナー、インタラクティブなどを経験されましたが、プランナーとしてどのように進化されてきたのでしょうか。

金田:SPの中でも販促企画という領域をやっていたときには、ちょうどIMC(インテグレーテッド・マーケティング・コミュニケーション)という概念が海外から入り始めた時代でした。当時、IMC研究会というのを私の上にいた人が立ち上げて、他局から有志が集まってきました。今でこそ違う部署の人たちが横断的に集まるラボとかプロジェクトが当たり前になってきましたけど、まだ部署横断型の活動は珍しく、通常業務はすごく縦割りだったんですね。広告は広告、販促は販促だったり、メディアの中でも媒体局間の連携はほとんどなしという状況の中で、4P※1のプロモーション部分の水平統合を目指した研究会でした。

一方、垂直統合も研究会の課題でした。ここでいう垂直統合というのは、経営戦略、事業戦略から、一番末端の出口となるコミュニケーションまでを統合するということです。それに向けてコンサルティング会社との連携の可能性などを議論していました。もう20年近くも前のことです。

私はたまたま、研究会の世話役というか、事務方として動いていて、概念だとか、チャレンジについての議論を傍らで見ていたんです。たまに発言なんかして。その議論を通じて得た考え方や価値観が自分自身のプランニング理念になり、今の自分の中に根っことしてある気がしますね。また、特定のクライアント業務に偏らず、ボーダレスに動いていいんだ、という部分もその活動の中でつくられていった気がします。

──IMCという概念や、研究会の活動そのものが、今のプランナーとしての、原点になっているのですね。

金田:原点はまさにそこだと思います。昔も今も、実はコミュニケーションの水平統合、事業から末端のコミュニケーションまでの垂直統合という課題感は何も変わっていない。もちろん、この10年のメディア環境はドラスティックに変化しましたし、クライアントの環境も大きく変化して、コミュニケーション設計の在り方も過去にない変化が起きていますが、電通のプランナーとしての課題そのものは本質的には変わらないんじゃないかな。

──振り返ってみると、メディアの買い付け業務にメディアプランニングが入ってきた90年代後半あたりから、プランニングという言葉が世の中的にというか、業界的に出てきたんですよね。

金田:そうですね。いわゆる「プランナー」という肩書ができたのがそのころ。クリエーターという職種はあったけれど、クリエーティブ以外、いわゆるソリューションのプランナーという肩書が職種として求められてきたのは、多分メディアプランナーあたりが初めてじゃないかなと思います。「メディアプランナーになりたい」と思って当時、異動希望を出しました。

──当時の、いや、今もですけど、メディアプランナーに必要なことって何だと思いますか。

金田:何にでも共通していえますが、プランニングのシステムを使う前提条件として「インサイト」がとても重要です。ただ与えられたターゲットをインプットして、結果をシステムで計算する、インプットをしてガラガラポンしてプランを出す、これはプランニングではないし、であればプランナーは要らない。システムではなし得ない人間の知恵が絶対に必要です。たとえば年間の予算のスケジューリングやどのメディアクラスを使うかという判断は、当然機械じゃできません。判断できるのは人の意思のみ。このあたりのセンス、直感とアイデア、さらにそこから思いつきではない水も漏らさぬロジカルなストーリーをつくっていくというところが、今でもそうですが、当時、メディアプランナーに求められていました。

──つまり、システムから出てきたプランを参考にしつつ、実際に微調整をしていくのがプランナーの仕事ということでしょうか。

金田:微調整というか、システムと対話しながら解をつくり上げるという感じでしょうか。また、当時のメディアプランニングは、効率性が最も重要で、同時に論理性も強く求められていましたが、360度のコンタクトポイント・プランニングやインターネットメディアが出てきたころからだいぶ変わりましたね。いかに“人を動かす”ためのクリエーティブな視点があるか、とか、人を動かすためのメディア構造ができているかという要素がすごく重要になってきました。単にメッセージを届けるだけでなく、人をいかに動かすかが必要になってきたことは、メディアプランニングの歴史の中で大きな転換点といえます。

──では、インターネットの普及は、メディアプランニングに対しどういうインパクトを与えたのでしょうか。

金田:私が最初メディアプランナーになったときはインターネットはなく、途中からインターネットなるものが出てきたわけです。これは「人を動かす」プランニングへの転換というインパクトがありました。でも、これはネットの登場の話だけでは終わらなくて、もっと店頭周りやメディア以外の接点も入れなくちゃいけないという、360度プランニング、コンタクトポイント・マネジメントという潮流ともつながっています。

──さらに、ここ3年ぐらいで、また新たにソーシャルメディアというものが出てきて、また別のインパクトがあったんじゃないかなと思うのですが、そのあたりはどうですか。

金田:ソーシャルメディアの登場によって、双方向だけでなく、複数の人が容易に集えるようになった。書籍『ソーシャルエコノミー』でも書きましたが、リアルな場以外で「和」をつくれるようになったことがソーシャルメディアがもたらした最大の変化ですよね。その「和」づくりが、ブランディングの次のやり方になる。(※詳細は次回以降の連載で)ソーシャルメディアは、単にひとつの新しいメディアが登場した以上のインパクトです。経済も、ブランディングのやり方も、人の生活スタイル、価値観をも大きく変えつつあります。

このように振り返ってみると、多分、プランニング領域で統合の連続が起きてきているんだと思うんです。メディア縦割りだったのが、まずメディア間を統合しようという第1フェーズがあり、次に広告クリエーティブとメディアを統合するクリエーティブメディアプランニングという第2フェーズ。次に来た波が、インターネットメディアのような新興メディアだったり、メディアではないものをも統合する360度コンタクトポイント・プランニングの時代で、これが第3フェーズです。

そこから先、現在は第4フェーズとして、戦略PRだ、ソーシャルメディアだと新たな手法が出てくる中で、「世論をつくる」という情報クリエーティブという変遷になっているといえます。もちろん、統合って危険な言葉で、ただ言葉を統一させれば統合というわけではありません。アウトプットは全く違っててもいいんです。ただ、全体を計算しながらちゃんと見ている人がいるか。話がそれましたが、ソーシャルメディア登場のインパクトは、まさに情報クリエーティブの重要性を決定づけた感じがします。

どんどん統合をくり返すことによって、コミュニケーションをつくっていくための領域は広がっていき、その分プランナーという職種もどんどんボーダレスになるというのが今までの流れだし、これからもそうなっていくんでしょうね。


※1:4Pとは、4つの要素を戦略的に組み合わせるマーケティング戦略の考え方。製品(Product)、価格(Price)、流通(Place)、プロモーション(Promotion)を指す。