電通を創った男たち #47

日本のCMの育ての親 尾張幸也(11)

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    伊藤 徳三

国会小委員会で森喜朗と論戦

 
  コルゲンコーワのCM
 
コルゲンコーワのCM

テレビCMの影響力は増す一方で、もはや「あってもなくてもいい盲腸」ではなくなっていた。評判のCMはすぐ子供たちが真似て、あっという間に広まっていく。表現の善しあしをめぐって、社会的な大論争が起こることもあった。その代表格が、昭和39(1964)年に放映された「おめえヘソねえじゃねえか」(コルゲンコーワ)だ。新聞各紙に賛否の投書が寄せられ、社会現象のようなことになった。

尾張の後継としてクリエーティブの啓蒙を続けた内藤俊夫は、「ハンコ公害論」という表現でこう語っている。「私はテレビの初めからCFにかかわり合ってきたんですが、はじめのうちは、私が自分の実感から素直にまとめてアイディアなりコピーを、スポンサーの若い係の人に説明して『ではやりましょう』というので、いわば、ハンコ二つで処理していたんです。ところが担当部長が首を突っ込み、広告会社の中でも関係部が口出しをはじめ、遂にはスポンサーの担当重役から社長のハンコまで必要となって来たんですね。それでも広告会社と広告主のハンコだけで済んでいたのが、例のカエルの『おめえヘソねえじゃねえか』あたりから、マスコミの上で賛否両論の議論が湧き立ち、そのうち官公庁が眼を光らせ、広告規制の動きが出て来る。ハンコと口がふえるたびに、CMへの社会的関心が高まり、反対に作品からある種のつやとか冴えが失われていくんですねえ」(小谷正一『体験的広告50年外史』)。

CM規制については、尾張が国会という公式の場に参考人として臨み、時に声を荒げながら自説を展開している珍しい記録があるので抜粋紹介したい。時に尾張幸也49歳、電通第2クリエーティブ室長時代で、昭和46年2月のことだ。CMフェスティバル運営委員長をはじめて引き受ける、少し前のことである。場は第65回国会逓信委員会・放送に関する小委員会で、2時間に及ぶ質疑があった。同じく参考人として広告主の立場から答弁したのは、広告主協会電波委員長の和田可一(日立家電広告部長)で、このとき和田はACC理事長も引き受けていた。主な質問者は、衆議院に初当選してまだ1年あまりの森喜朗議員33歳(後に内閣総理大臣)である。森の質問のポイントは、低俗テレビ番組および低俗テレビCMの規制を目的としたものであった。新人議員らしい気負いからか饒舌な部分もあるので、公文書ではあるが、議事録の文脈を若干整理しながら抄録することをお許し願いたい。


 

森喜朗小委員:「いわゆる低俗番組ということについては、最近はお座敷じゃんけんみたいな野球拳みたいなことはなくなってきたが、最近一番目立ってきたのはコマーシャルだと思うのです。空をぴゅうっと走っていってスカートがぺらっとまくれて、パンティがちらっと見える。それから自動車なんかでも、あんな車に乗る男食べちまいたいというような、いわゆる非常にセクシー的なものをあれしていくという感じがするのですが、こういう傾向を尾張さん、どう思っておられますか」。

尾張幸也参考人:「セクシーなものが全部悪いかどうかについては、全部ノーとは言いきれません。時代の雰囲気みたいなもののところから、表現は生まれるわけでございます。それからわれわれ表現する場合に、非常に比喩を使います。うまいもののときに、ほっぺたが落ちそうなということばを使う。その比喩が行きすぎて誇大になったり、露出が過度になるような場合、われわれはその一つ一つの場合に応じて検討し、それを直していくということしかないと思います。コマーシャルというものは、その時代時代の雰囲気とそれからテンポといいますか、そういうものの中で考えていく、それだからこそ、その時代に生きている人との間に対話ができるのだ、というふうに考えております」。

森小委員:「日本国民を、何といいますか、教育していく、という尾張さんの御発言は結構だと思う。しかし、フリーセックスの時代にだんだんなっていく、そういう傾向なんだからそういうものを教えていかなければならない、となると、日本の国というのはまだそこまでは行ってないわけですよ。たとえば番組で、この間家内から聞いたんですが、TBSの『ガードマン』で、2DKか3DKの夫婦が夜子供がのぞきにくるので、ついにしょうがなくなって隣の家の奥さんに頼んで、そこで夜やるときだけ借りに行く。それをたまたま写真に撮られて何か金をおどし取られる、というような内容があった。つまり日本の生活様式はそこまでいっていないのに、尾張さんのいうように、そういう傾向なんだから、そういうものになれていかなければならない、というふうに私には聞こえたんですけれども、そういうことは、あなたも人の親として、私は非常に大事なことだと思うのです」。

尾張参考人:「ただいま私の表現が至らなかったせいか、二つの点で十分納得していただけなかったと思います。いま教育をしていくというふうにおっしゃいましたけれども、私は教育をしていくというようなことは二百も申しませんし、また考えてもおりません。コマーシャルというものは最も保守的なものであるというふうに考えております。ですから、時代の空気がこう流れていく、その後ろからある程度ついていかなければならない、ということであります。なにかをリードするなんとかいうことは、コマーシャルはできません。時代が少しずつ移り変わっていく、その移り変わりを取り入れなければ、その時代の人に話はできないだろう。そういう意味でぼくはCMというものは保守的なものだ、と申し上げた。それからフリーセックスというものが日本に入る、それを取り入れるというふうに…」。

森小委員:「いや、例をあげたんです」。

尾張参考人:「これはたいへんな誤解であると思います」。

森小委員:「いや、そんなことは言っておりません」。

尾張参考人:「お色気及び性的な表現の問題については、ある程度の色気は今後もあり得るだろうと申しました。ただし行き過ぎることが往々にしてあるので、先ほど申し上げましたようにCM協議会その他で厳に戒めながら、それがエキサイトしたり行き過ぎないようにチェックしている、その二つの点だけ御説明をしておきたいと思います」。

森もなかなか引き下がらない。そこで尾張の口調も強くなる。「コマーシャルが、お前これを教えてやるぞ、これについてこなければ、お前は存在価値ないぞとか、そういうものを教育的とは考えません。そのような高圧的な、要するに、こうしないとお前ら生きている価値ないぞ、そのような形での高圧的な意味での教育ということは考えていない。そういう意味で申しました」。

また「電波は国民のものだ」との森の発言への、和田参考人の皮肉なひと言「電波行政を見ると、電波は国民のものではなく国のもののように見える」を受けて森が開き直る。

森小委員:「電波というのは何か政府のものみたいだ、こういう印象を和田さんは持っておるのだとおっしゃった。そうなってくると、われわれはもう少しそういうものをチェックするような機関が必要になってくるのではないだろうか。ほんとうを言えば、そんなことはせぬほうがいいだろうと思いますけれども、あまりそういうことに対してどこでどう線を切っていいのかわからないということになってくると、何かそのあたりで線を切ったほうがいいんじゃないかというような感じがする。そのためのチェック機関というものは必要なんじゃないかという気もするのです」。

尾張参考人:「いま規制の問題が出ましたけれども、私はそういう規制というものがかえって邪魔になるという立場です。およそ世の中で独裁国ほど犯罪の凶悪なものはありません。先ほど私はACCで共通な話し合いの場を持ってやっていると申し上げました。そしていろいろ意見のある方はそこの場でいろいろお話をしていると申し上げました。ACCの加盟団体は、お互いに対して強い働きかけの力を持っております。表現では意余って行き過ぎることもありますし、先ほどの御指導のようなところも多々あると思います。そういうのは、規制という形に進む前に、こういう共通の場で話し合い、しんぼう強く直していくというのがいまの私たちの考えであり、いまの日本の体制の中での最もいい道である、そういうふうに考えますが、いかがなものですか」。


 
  衆議院初当選の時の森喜朗
 
衆議院初当選の時の森喜朗

ここに来て尾張はついにカンシャクを起こしている。意地でも後には引かない。森に対して本気で説教を始めてしまったようだ。尾張の発言は、広告業代表、あるいは電通のクリエーティブ室長という立場をすでに超えている。尾張の変わらぬ生き方を、そのままことばにしている。30年前、二等海兵時代のノート「一夜一想」を思い出す。国家による統制経済について青年尾張はこう記していた。「国家主義(国家が経済を指導する)とは一つの立場たりうるか。一つの例を言はう。我々は水を自由な方向に流しうる。しかし、水自体の性質によって完全には自由とはならぬ。水は放任しておけばある方向を見つけて流れる。この場合、人が方向を与えるが故に、人が水を支配するとはいへない。水に隨って支配するのである。この様に経済(のもつ性質)にしたがって人は経済を支配する。つまり経済properの問題が存する」。

第65回国会の放送小委員会における尾張の発言は、管理統制を最も嫌い自由を重んじた、尾張の真骨頂と言える。

(文中敬称略)

◎次回は6月1日に掲載します。

プロフィール

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    伊藤 徳三

    1945年東京生まれ。69年一橋大学社会学部卒。同年電通入社。クリエーティブ部門でCMプランナー、クリエーティブ・ディレクター、シニア・クリエーティブ・ディレクターを歴任。この間、カルピス、東芝、明治製菓、富士写真フイルム、花王などを担当。カンヌ国際広告映画祭銀賞、全日本CMフェスティバル大賞、ACC賞などを受賞。著書に『時代を映したキャッチフレーズ事典』(共著)。

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