電通を創った男たち #50

電通軍師にしてニューメディアの旗手

塚本芳和(2)

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    北野 邦彦

農学博士・塚本芳和、電通に入社

 

昭和58年、本社メディア開発局長に就任したころの塚本芳和  
昭和58年、本社メディア開発局長に就任したころの塚本芳和
 

塚本芳和は昭和34(1959)年10月、吉田秀雄がなくなる3年半ほど前、電通に入社し、東京本社企画調査局調査第1部に配属された。身分は嘱託である。翌35年7月には嘱託から社員の資格を一気に飛びこして、その上の資格である主事となる。さらに半年後の36年1月には、調査第1部の副部長にとんとん拍子で昇進した。

電通が調査部門の拡充を図ったのは戦後になってのことではない。第2次大戦以前から調査部門の拡充には力を入れていた。日華事変の勃発した昭和12年の12月には調査機能を拡大し、市場調査と分析、広告商品127種に対する広告効果、新種の世論調査などを行っている。しかし、調査領域の拡充が社の経営方針に掲げられ、急速な拡充策がとられたのは、吉田が「活動方針」に明記してからのことである。

敗戦の翌年である昭和21年12月には、本社業務局に調査部を新設し、昭和23年1月には、広告図書室を調査部の管轄とする。同年4月には「新聞と放送に関する世論調査」「商品市場調査」「大衆の読書傾向調査」などの調査を実施。昭和26年7月には、調査部を宣伝事業部、出版部、PR部とともに「独立4部」として、元満州日報理事長で秘書役の松本豊三の直轄する部門に再編し、その活動範囲の拡大を図った。

昭和27年12月、本社と大阪支社に企画調査局が新設される。本社企画調査局には調査部、宣伝技術部、出版部、PR部、広告相談所、広告図書室が置かれる。

塚本が入社する前年の昭和33年5月、本社企画調査局に置かれていた宣伝技術1~3部は、宣伝技術局として独立し、企画調査局は市場調査や媒体調査、広告統計などを主たる専門の業務とする部門になる。

吉田の立てた活動方針、「調査機能の充実」に沿って、東京と大阪の企画調査局は組織、人員共に一層の拡大が図られる。塚本が入社した昭和34年当時の東京本社企画調査局は、戦時中に満州日報編集局長であった森崎実局長以下100名の世帯で、調査第1部~第3部、広告統計部、資料部、マーケティング部、PR部、出版部によって構成されていたが、数学や経営工学などの理数系や、心理学科、経済学部、経営学部、商学部などの学部卒の採用が積極的に行われた。塚本芳和は次代の調査部門を担うにふさわしい知力を備えた人材として採用され、後に大阪支社マーケティング局長になる碩学の田実博部長の下、調査第1部配属となる。調査第1部は、広告主から受注した市場調査の企画・実施を担う部署であった。

電通は、あるいは吉田秀雄は、塚本芳和のどのあたりを見込んで採用に踏み切ったのであろうか。

  塚本の博士論文「魚類の発する音響に関する研究」
 
塚本の博士論文 「魚類の発する音響に関する研究」

電通に入社する半年前の昭和34年3月、塚本は東京大学大学院博士課程を修了し、農学博士号を授与される。水産学の権威であった末廣恭雄教授の指導の下で博士号を受けるが、「魚類の発する音響に関する研究」がその博士論文のタイトルであった。

この論文は、文京区弥生の東京大学農学生命科学図書館に今でも保管されており、論文の指導を受けた末廣恭雄教授、日比谷京助教授、音響測定のためのオシログラフの技術協力を得たNHK教育局などの関係者への謝意のあふれた「緒言」から始まり、90頁にわたる研究成果が披歴されている。

昭和34年当時の電通社員の総人数は2460名。その中で博士号を持った社員は塚本芳和ただ一人であった。そもそも昭和初期までは博士号と言えば稀有な存在であり、博士号を持った者は「末は博士か大臣か」と謳われるほど、世の憧れと尊敬の対象であった。しかも水産学の分野で博士号を取得した人物は、当時極めて数少ない存在であった。

このように希少な価値のある農学博士の肩書を持った人物が、何故農学や水産学と縁遠い広告の分野に飛び込んできたのであろうか。広告会社としての電通の業務内容と水産学との間に、一体どのような接点があったのであろうか。塚本の水産学分野の大学院での履修内容と電通の業務との関連性を探ってみた。

 
東大農学部水産学科の漁撈実習。中央が塚本
 

後日、筆者からこの質問を受けた塚本自身は次のように答えている。「ドクター論文のテーマこそ、指導を受けた末廣恭雄教授のアドバイスで選んだが、院生時代に力を入れてやったことの一つに魚の生態分布の研究があった。当時の日本は食料不足、燃料不足で、どのあたりに漁船を出せば効率的に漁獲量を確保できるのかが水産業界の大きな課題であった。そのためにはいくつかの海上でサンプリングの漁を行い、それによって得られた漁獲量を統計処理して全体の漁獲量を推計する。その結果、少ない漁船、少ない燃料で漁業の生産効率を高めることができる。電通の調査部が実施する市場調査と漁獲量の調査とは基本的な理屈は同じだ」。

漁獲量と市場のどこにニーズがあるかは共に無作為抽出によって得られたサンプル結果から全体を推計するという、統計調査法を使って回答を得ることが出来る。水産学で学んだ漁獲量の統計調査技法は、電通の市場調査にそのまま立派に適応できるという答えであった。

塚本が電通の社員として採用された第一の理由は、市場調査機能の拡充に力を注いでいた吉田秀雄のメガネにかなったことにあったのは言うまでもない。また、2500人近くを数える社員のなかで博士号を持つ社員は誰一人いなかった電通で、東京大学農学博士の肩書はいかにも一流好みの吉田秀雄の望むところであったに違いない。

しかし、いかに東京大学農学博士の肩書を持った人物であっても、それほど容易に吉田秀雄のメガネにかなったわけでもない。名前の通りに誠実な人柄の父親、塚本誠が当時の電通の幹部社員であったことも、塚本芳和を採用するにあたっての大きな理由となったことも、容易に推察できる。

(文中敬称略)

◎次回は6月28日に掲載します。

プロフィール

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    北野 邦彦

    1937年生まれ。早大第1商学部卒。63年電通入社。秘書室長、広報室長などを歴任。01年より帝京大文学部社会学科教授を務めた。著書に『日本の広報・PR100年』(共著/同文館)、『実践マーケティング・コミュニケーションズ』(共著/電通)など。

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