電通を創った男たち #51

電通軍師にしてニューメディアの旗手

塚本芳和(3)

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    北野 邦彦

父・塚本誠と塚本芳和の経歴

 

 
 
昭和10年、父・塚本誠と

ここで、改めて塚本芳和の生い立ちを確認しておこう。塚本芳和は昭和5(1930)年5月26日、塚本誠の長男として兵庫県伊丹市で生まれた。父・誠は陸軍将校であったが、祖父・塚本芳郎もまた軍人という、親子3代にわたる軍人一家であった。

祖父・塚本芳郎は日露戦争に従軍するが、明治38年1月、第8師団第5連隊第2大隊長として奉天郊外の黒講台の戦闘を指揮し、壮烈な戦死を遂げている。この戦闘の激しさと塚本少佐の勇敢さを、司馬遼太郎は『坂の上の雲』(文春文庫第6巻「黒講台」)の中で次のように記している。

「立見師団が戦場に展開した第1日目に迎えたロシア軍の兵力は8個師団であった。その一部である依田広太郎少将の旅団のごときは小銃のみの装備でありながら、50門以上のロシア砲兵の集中砲火を浴び、しかも雪原のなかで拠るべき地物がなく、ほとんど全滅の危機にさらされた。……そのうち津川謙光大佐の連隊のごときは、津川が負傷し、塚本という少佐が連隊の指揮をとり、とるだけでなくみずから小銃をとって射撃し、やがては砲弾のために五体が微塵に砕けた。部隊は四分の一に減り、死体は雪原を覆い、地獄をみるような観を呈した」。

父の塚本誠は陸軍士官学校を卒業し陸軍歩兵将校に任官するが、体をこわしたため憲兵隊に転身、上海や台北で情報将校として活躍し、日本が敗れた昭和20年には陸軍大佐・東京憲兵隊特高課長という重い役職にあった。東京憲兵隊特高課長の肩書は、いかにもいかめしく威圧的であり、暗い感じを与えるが、当の本人は穏やかな人柄で人脈が豊か、懐の深い、酒好き、話好きの人物であった。夕闇が迫ると誰彼となく社員を誘い、なじみの飲み屋に向かう。「今夜は浅酌低唱で行くぞ」と言いながら、時がたつにつれ、浅酌は深酌となり、低唱は高吟となるのが常の愉快な酒徒であった。

塚本誠は、昭和27年5月、吉田秀雄に乞われて電通に入社し、本社ラジオテレビ局テレビ営業部長となる。昭和28年8月に民放テレビ局第1号となる日本テレビ放送網が開局するが、塚本誠の入社は、その1年4カ月前のことである。

『或る情報将校の記録』  
『或る情報将校の記録』
 

塚本誠の電通入社の契機については、昭和46年に出版された自著『或る情報将校の記録』(中央公論事業出版)に詳しく述べられているが、戦時中に上海で発行されていた日本語新聞「大陸新報」の専務理事・編集局長であった森山喬が戦後電通に入社し、本社ラジオテレビ局長に就任していた関係で、塚本誠が上海の地で憲兵隊長であった以来のよしみから塚本を吉田秀雄に引き合わせ、吉田は直ちに塚本の入社を決断したとのことである。

昭和31年5月、塚本誠は本社宣伝事業局宣伝事業部長兼映画部長に異動となる。塚本芳和が電通に入社する前の年である。昭和35年6月には塚本誠は広告主を担当する本社第2連絡局の局長、37年7月には営業部門の元締めである本社連絡総務を経て、40年6月、取締役に就任する。昭和42年11月、取締役退任。50年8月、71歳で逝去する。この時、塚本芳和は総合計画室計画2部長として、電通の経営計画策定の業務に携わっていた。

吉田秀雄は、満州や中国のマスコミや満州国政府関係者や南満州鉄道(満鉄)関係者、軍関係者などを積極的に採用した。満州国国務院総務庁弘報処長の市川敏は本社総務局長から常務に、満州放送総局副局長の金澤覚太郎は本社ラジオテレビ局長、上海の大陸新報専務理事・編集局長の森山喬は本社ラジオテレビ局長から常務へ、満鉄弘報課長、満州日報理事長の松本豊三は秘書役から大阪支社ラジオテレビ局長に、満州日報編集局長の森崎実は本社開発局長、ビデオリサーチ社長に、満鉄旅客課長の小谷重一は本社国際局長、ニューヨーク総局長に、満鉄の市江雄次は本社PR局長にと、数多くの満州帰り、大陸帰りや、塚本誠を始めとする復員軍人が戦後の電通の多くの要職を占めた。

  昭和19年、名古屋陸軍幼年学校に入学
 
昭和19年、名古屋陸軍幼年学校に入学

昭和5年、伊丹で生を受けた塚本芳和は、18年4月、東京市立第1中学校(後の九段高校)に入学するが、祖父も父も陸軍軍人という軍人一家に生まれ、時の流れもあって芳和も軍人を志し、19年4月、名古屋陸軍幼年学校に入学する。しかし翌20年8月、幼年学校2年時に敗戦を迎え、一家が栃木に疎開した関係で、昭和23年、旧制栃木中学を卒業。同年4月旧制水戸高校理科に進学する。翌24年、水戸高校が新制の国立茨城大学となったため、同学文理学部理科に進学するが、27年4月、東京大学農学部水産学科3年に編入し、29年4月、東京大学大学院生物系研究科水産学専攻修士課程、31年4月には大学院博士課程に進み、34年3月に博士課程を修了して、農学博士号を取得し、その半年後、電通に入社する。

(文中敬称略)

◎次回は6月29日に掲載します。

プロフィール

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    北野 邦彦

    1937年生まれ。早大第1商学部卒。63年電通入社。秘書室長、広報室長などを歴任。01年より帝京大文学部社会学科教授を務めた。著書に『日本の広報・PR100年』(共著/同文館)、『実践マーケティング・コミュニケーションズ』(共著/電通)など。

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