近いカンヌ、遠いカンヌ #01

近いカンヌ、遠いカンヌ

  • Take 02 6559 hirota
    廣田 周作
    株式会社電通 ビジネス・クリエーション・センター

7月からビジネス・クリエーション・センターに所属している廣田と申します。帰国後一週間以上がたった今、あの「カンヌ的微熱」とでもいうような、魅惑的で、スリリングで、刺激的な「熱気」が身体の中から抜けてきており、今、一人、必死で、あの一週間の熱気を取り戻そうと、スマートフォンに残っている小さな写真を眺めながら、部屋でうんうんと唸っています。

さて、私はクリエーティブ系の部署に所属しているわけではありません。また、研修などの形で行ったわけでもありません。いわんや受賞の候補者でもありません。現地では、基本は、クライアントに同行し、会場の外であくせく「仕事」をしていました。なので、僕にクリエーティブの「最新潮流」とか、新しくてかっこいい「キーワード」とか「フレームワーク」を期待されても少し困ります(でも、時々、そういうの求めてくる人いますよね…困りますよね)。

とはいえ、クリエーティブでもなく、研修でもない一プランナーとして、現地で得たものがなかったか?というと、全くそんなことはありませんでした。1週間、目からうろこ体験の連続でした。仕事で行ったために、現地でもいろいろ大変ではあったのですが、カンヌは、僕みたいな立場の人間にとっても、仕事のヒントに満ちあふれた場所でした。

具体的に気付いたことは、大きくは二つあります。
一つ目は、「カンヌで議論されていることは、僕らの日常の議論と思った以上に近い」ということ。もう一つは、「カンヌに来ている世界の人たちの真剣さは、僕らよりもずっと遠いところにある」ということです。遠いと思っていたものが近く、近いと思っていた人たちが遠かったということです。

順番に説明します。

カンヌで議論されていることは、僕らの日常の議論と思った以上に近い

まず、「カンヌで議論されていることは、僕らの日常の議論と思った以上に近い」ということ。これまでカンヌといえば、制作系の人たちに限ったお祭りだと思っていました。もちろんそういう側面は確かにあるようですが、何年か前にカンヌライオンズは、その名前を「広告祭」と呼ぶのをやめ、「クリエイティビティ・フェスティバル」と呼ぶようになり話題になったように、その新しい考え方は、今年もかなりラディカルに進んでいるようでした。提出されているアイデア多くは、非・制作系の部署、例えば僕のようにクライアントの事業領域に関するアイデアを出しているような人間にとってこそ、近い議論がなされていたのです。それはとても大きな発見でした。アイデアというものが、(いわゆる映像とか、プリントとかの)広告クリエーティブに閉じていない。評価されるのがそもそも、世の中を変えるための仕掛けのことだったり、企業の組織自体を変えてしまうことだったり、広告ではないコンテンツこそが重要であるという視点だったりするのです(もちろん個別のアイデアでは、最終的な表現力のクオリティーが大きく求められるのがカンヌの特徴ですが)。とにかく、大きな課題を大きなアイデアで解決している(手段は問わない)ものこそが、賞を獲得していました。

自分が普段やっている目の前の作業は、「クリエーティブじゃない」と僕は思っていたわけですが、カンヌを通して、何をもってクリエーティブとするのか?その「基準」がとても抽象的かつ自由だということに気が付き、とても視野が広まったと思いました(もちろん、作品をエントリーすらしていない自分ですが、思想のレベルで自由を感じたということです)。

また、素晴らしいインサイトは国境をやすやすと超えていくということも発見でした。人間の本質に迫ったインサイトや、直感的に分かるアイデア(説明を不要とする強いアイデア)は、会場に集まるさまざまな国の人たちから惜しみない拍手を受けていました。これまでも東京からカンヌの事例を「勉強する」ということはあったのですが、現地に行って、多くの人たちと共時的に作品に触れ、身体的に反応する。感動はその瞬間に言語や国の壁を一気に越えるということを感じました。知っていたつもりでしたが、肌で感じられたのは大きかったです。

ただ、一方で「ソーシャルグッド」的な課題を見つけて、それにデジタルとか使って、こういうふうにアプローチすればいいんでしょ?みたいに、どこか受験勉強の参考書を思わせるようなショートリスト作品もたくさんありました。賞の「傾向と対策」みたいな、そういう意図が透けてみえるアイデアには、正直、残念な気持ちになりました。

普段の僕は、企業の事業領域のコンサルティングや、デジタル系のプランニングの仕事が多いのですが、賞をとれるか別としても、意外にカンヌという場と地続きの仕事をやっているのかもしれない、と思えることがいくつかありました。そういう意味では、もっと自分たちがやっていることを信じて、仕事をしていっていいんだと感じました。


カンヌにおける成長社会と成熟社会の明確な差

一方、「カンヌに来ている世界の人たちの真剣さは、僕らよりもずっと遠いところにある」ということも感じたのでした。ここ数年のトレンドだとは思うのですが、BRICs諸国、特に今年は南米のクリエーティブが圧倒的に力を持っていると感じました。恐らく理由は二つで、経済的に急速に発展しているということと、また、同時にまだまだ社会問題が山積みということ。そうした国でこそ、クリエーティブは輝くのかもしれないと思ったのでした。つまり、「欲望」や「渇望」が社会の中で大きく膨らんでいる状況でこそ、クリエーターたちもその大きな欲望の穴を埋めるべく、大きなアイデアを出しやすいのではないか?だから、クリエーターも真剣になる。命を懸けていると言ってもいい。命を懸けるだけの欲望と渇望がそこに渦巻いているのだから。

会場で、ある方に伺ったのですが、ブラジルでは広告クリエーターの地位がものすごく高いのだとか。とくに、カンヌを取るとそのステータスが上がり、分かりやすく給料と社会的な地位を手にすることができるといいます(芸能人と同じような立場になるらしいですね!)。もちろん、彼らも、その地位や名声のためだけにやっているとは言いませんが、そこには、僕らとは違う「ガチさ」があると感じました。もちろん、日本でも受賞者は称賛されますが、一気に給料がばーんと上がり、社会的なステータスまで変わってしまうということは(もしかしたら僕の知らないところではあるかもしれないけれど)、表向きにはなさそうです。

成長社会と成熟社会。日本は、明らかに後者に足を突っ込んでいます。日本は、社会全体が、いろいろな困難を抱えながらも、なんだかんだでまったりと成熟していっています。経済的な成長をいったん経験した上で、「真の幸せ」とか「自分らしさ」といった、ある意味、「明日のための」議論をしている。そのような中で、「今日のための」議論をしている南米諸国のクリエーターたちが、社会の大きな「欲望の穴」を埋めるべく刺激的なアイデアを出している。彼らの真剣さに比べたら、自分は全然貪欲に考えられてないなと感じたのも事実でした。

ただ、欲望は、他者に感染するという性質を持っています(皆が欲しいと言っているから、自分もそれが欲しくなる、というように)。そういう意味では、僕も会場で、南米の人たちの欲望に感染したように思います。仕事をもっとガチにしていかなくてはと思いました。同じ業界で、あんな真剣なまなざしをしている人たちを前に考えさせられたのでした。そんな中、日本から菅野薫さんが、チタニウムのグランプリで新しい方向のクリエーティブを称賛されたのは本当に後輩である僕にとっても希望になりました。日本、ここから始まりますよ!!

ということで、これからもっと頑張ろうと思います。まずは目の前のことからしっかりやろうと思っていますが。そんな熱いことを思ったカンヌでした。

プロフィール

  • Take 02 6559 hirota
    廣田 周作
    株式会社電通 ビジネス・クリエーション・センター

    2009年に電通入社。企業のソーシャルメディアの戦略的活用コンサルティングから、デジタル領域における戦略策定、キャンペーン実施、デジタルプロモーション企画、効果検証を担当。社内横断組織「電通ソーシャルメディアラボ」「電通モダン・コミュニケーション・ラボ」などに所属。著書に『SHARED VISION』(宣伝会議)。

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