電通を創った男たち #54

電通軍師にしてニューメディアの旗手

塚本芳和(6)

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    北野 邦彦

ニューメディアに寄り添って
――電通社歴第3期<経営計画部門>

 

 
 
お祭り広場やテーマ館のある
「大阪万博」シンボルゾーン
 

三共担当の営業部員として、塚本は緻密でしかも旺盛なサービス精神を発揮する5年間を過ごした。この間、昭和44(1969)年7月にはアポロ11号に搭乗したアームストロング船長が遂に人類初の月面着陸に成功し、昭和45年には大阪で開催された万国博覧会に電通も全面的に協力し、万博のテーマである「人類の進歩と調和」を受けて、未来を照らす科学技術のテーマ展開に沸いた。

新しい時代を先取りするために、昭和44年11月、電通も社長室にシステム開発事務局を設置すると塚本芳和は営業部門を離れ、この新設事務局に副部長として配属され、電通を科学的視点からたくましく育て上げるための数々のプロジェクト推進の陣頭指揮に立つことになった。

 
 
電通が編集・製作から販売まで行った『日本万国博覧会公式ガイド』は大ベストセラーに
 

この時、経理局から社長室に異動した産形靖彦は、『追悼文庫・塚ごん塚』の中で、次のように述べている。「(システム開発事務局の)事務局長は数理哲学の天才山田善二郎氏、参謀が塚ごんこと博才塚本芳和氏、自称秀才小野岩雄氏、論才梅田八主守氏、英才上野義矩氏、そして愚才の小生が事務局メンバーとなった。毎日のように塚ごんの『バーカ、こんなことも判らネエのか』の暖かい激励や宇宙語が飛び交い、多くの有能な若手中堅社員が20を超えるプロジェクトに参画し、次代の電通を描き出す作業はその熱気でむせ返るようだった」。

塚本はプロジェクト推進リーダーとして、プロジェクトの骨組み作りに英知を傾注する一方、全社からピックアップした中堅社員の中でこれはと思う人物を総合計画室主宰のプロジェクトチームに加え、彼らの所属する現場では決して得られない新知識や、組織の壁を越えた人的ネットワーク形成の意識を獲得させることも心掛けていた。

この時塚本芳和の直属の部下であった小野岩雄は、塚本の性格を次のように述べている。

「あの頃貴方につかえてみて感じた事は、貴方は基本的に学者であるということでした。常に思考がロジカルであり、すじが通っていて、且つ合理的でした。そしてまた性格が豪快でしたから、周囲がのびのびとしており、仕事もよくはかどり、大型の結果を引き出すことが出来たように思います。つまり、あの種の仕事のリーダーとしては、この上ない人材だったという事です」(『塚ごん塚』)。

この時期、塚本芳和は、急速に台頭してきたニューメディアの動向にも強い関心を寄せ、それを次代の電通のために、いかに採算ベースにのせるかを考えていた。

電通が大きく成長することが出来た最大の要因は、吉田秀雄による民間放送の設立推進にある。電通は昭和21年2月に、戦後の経営方針として6本の柱を立てるが、その柱の筆頭に掲げたのは「商業放送の実施促進とそれに必要なあらゆる企画と準備」であった。昭和26年にはラジオ民間放送、昭和28年にはテレビ民間放送がスタートし、それまでにあった新聞・雑誌メディアに対するニューメディアとして、一気に成長を遂げ、昭和50年には、オールドメディアの代表格であった新聞広告費をテレビ広告費が抜き、この状況は今に至るまで継続している。

しかしラジオ媒体やテレビ媒体の急伸に、何時までも安穏としているわけには行かない。科学技術の進展は、いずれラジオやテレビに代わるさらに強力な広告媒体の出現を可能にする。そのためには常に次々に台頭するニューメディアの動向から目をそらすわけにはいかない。

理系の頭脳を持つ塚本芳和は、新技術の出現に強い興味を示していた。折からニューメディアの芽が続々と誕生し、電通もそれらに積極的に出資し、また人材を派遣する。

 
昭和51年1月、多摩ニュータウンで行われた
CCIS実験の開局記念式典
 

塚本がシステム開発事務局に異動した翌年の昭和45年1月、東京ケーブルビジョンを始め大阪、名古屋、福岡、北九州にCATV財団が発足し、電通はこれらに評議員を送り込む。同年10月には甲府に初のCATV会社、日本ネットワークサービスが開局し、電通は出資する。昭和47年12月には多摩ニュータウン生活情報システム開発協会が発足し、電通も参画する。昭和48年4月、郵政省と通産省が一体となってニューメディア実験プロジェクトを推進するための財団、多摩CCISと東生駒HI-OVISを発足させたが、電通はこれらにも全面的に協力する。昭和55年9月には日本有線テレビジョン放送連盟が電通の肝煎りで発足する。これらのニューメディアの動きのすべてに塚本はピッタリと寄り添っていた。

ニューメディアの動きはアメリカが最も早かった。当時電通ニューヨーク支局勤務であった筆者は、これらの動きを現地取材した資料をベースに報告書として作成し、塚本に逐一報告した。オハイオ州デンバーのテレビ局によるインフォマーシャル、ニューヨークタイムズのインフォメーションバンク、ボストンの教育局WNETの動き、CBS、ABC、NBC3大ネットワーク局のニューメディアへの取り組み、FTC(連邦通信委員会)の新たな規制などその内容は多岐にわたったが、それらの実情を自身の目で確認するため、昭和52年7月、53年6月、58年4~5月と、塚本はアメリカやヨーロッパに出張し、先進各国のメディア動向をつぶさに調査する。

(文中敬称略)

◎次回は7月12日に掲載します。

プロフィール

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    北野 邦彦

    1937年生まれ。早大第1商学部卒。63年電通入社。秘書室長、広報室長などを歴任。01年より帝京大文学部社会学科教授を務めた。著書に『日本の広報・PR100年』(共著/同文館)、『実践マーケティング・コミュニケーションズ』(共著/電通)など。

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