電通を創った男たち #61

コピーライターを

いちばんたくさん送りだした人

近藤 朔(5)

  • Uchida pr
    内田 東

ヨコハマをこよなく愛した

 

  横浜かをり
 
横浜かをり

近藤の住まいは横浜近辺の弘明寺である。
関内駅の傍らにそびえる横浜スタジアムの外野ゲート前を横切り、中区役所から山下公園へ向かう大桟橋通りに、壁一面に緑の蔦が繁ったFRENCH RESTAURANT KAORI(かをり)の看板が見える。近藤が一人で来ることはまずない。3、4人で来て1階喫茶の4人掛けの丸い席につく。薄めの水割りを1杯飲んだだけで赤くなる。「酒が飲めないくせに、ビールやウイスキーのコピーを書きたがる」と下戸を自認しているのに、近藤は“かをり”にバランタインのファイネストをボトルキープしていた。酒棚からNo.119と書かれたボトルを自ら取り出してみんなに振る舞う。つまみは、チョコレートと洋酒のハーモニーが絶妙な手づくりのトリュフとチーズの香りが鼻腔をくすぐるクロックムッシュが定番だ。横浜近辺に住む若手のコピーライターを誘って、築地の電通から夕焼けに染まる高速道をひとっ走りして、かをりへ駆けつける。暑気払いにと、かをりのヴィシソワーズを味わいに来る。自分が連れ出したのだからと、勘定はダイナースカードで近藤が支払った。

「ふと思い出すのが、かをりのチョコレートです。ご自慢のトリュフを、私たちは何度もいただきました。私もそうですが、かをりのフランス料理を近藤さんにごちそうになったコピーライターは、たくさんいます」と、岡田耕は当時を懐かしんだ。

「湘南から通っていて、慶応出で、という経歴から私たちが想像する人物が、まさにそのまま、近藤さんだった。長身で、痩せていて、顔立ちがととのっていて、そして、声が小さくて。近藤さんは、ヨコハマの街が開花させた先進のコピーライターであった。また、コピー表現にモダンの風を入れた、最初の作家でもあった」と土屋耕一は近藤を評している。

娘の緋紗子は「父はコピーを生みだすのに、どれだけの時間を割き、苦しんだことでしょう。父は家でよく応接間に1人籠っていました。ドアをあけるといつもたばこの煙のなかにいて、何か考えごとをしていました」という。コピーライターの勤務場所・時間はシームレスであって、家庭も職場になってしまう。煙がもうもうでも、近藤はいつもきちんとした洋装で原稿用紙にむかっていた。緋紗子は部屋に入るのになぜか緊張して勇気がいったという。

1964年ごろ、富士屋ホテルでの近藤夫妻  
1964年ごろ、富士屋ホテルでの近藤夫妻
 

3歳下の母を「お美那」とよんでいて、夫婦仲はとてもよかった。時々夫婦連れだって箱根の富士屋ホテルへ出向いた。このとき緋紗子は祖母とお留守番ということになる。緋紗子が横浜雙葉の中学へ通うようになると、近藤は毎朝いすゞのフローリアンを駆って校門まで送り届けた。緋紗子が高校に入ってフランス語をはじめると、『20ans』や『elle』などの雑誌をフランスから定期購入してくれた。これらの雑誌を楽しみながらフランス語を覚え、フランスになじんだ。父娘はよく連れ立って伊勢佐木町の映画館へ出かけた。オードリー・ヘプバーンの「パリで一緒に」など洋画ばかりをよく観た。

晩年の近藤は、孫の大輔を連れて、かをり特製の弁当を抱えて横浜スタジアムへ出かけた。慶応の三田会がホテルニューグランドで開かれると、「ヴィシソワーズが逸品だから」と、同窓生をかをりまでひっぱってきた。散髪はいつもニューグランド1階の床屋と決まっていた。近藤は妻を愛し娘を愛した。そしてヨコハマ界隈の生活をこよなく愛した。

近藤は阪神フアンであった。というより1947年、阪神に入団した慶応義塾同窓の別当薫のフアンといった方が正しいかもしれない。近鉄戦でニ盗、三盗、本盗を続けさまに成功させた俊足。毎日に移籍するや、球界初の3割、30本、30盗塁を記録してパリーグ初代MVPに輝く。ミス神戸との結婚。球界の紳士と謳われた別当の公私にわたる華麗な行動は、当時の日本を沸かせたものだ。

1978年、関内駅のそばの中区に横浜スタジアムが完成した。大洋ホエールズは本拠地を川崎から横浜に移して、横浜大洋ホエールズと改称した。そして横浜大洋ホエールズの監督があの別当薫である。近藤はスターの追っかけのように、別当を追いかけて阪神から横浜フアンに宗旨替えをした。でもタイガース対ヨコハマ戦になると、どっちが勝ってもいいんだとニコニコしていた。別当率いる横浜大洋ホエールズは4位、2位とまずまずの成績をあげたが、そんなことはどうでもよかった。横浜スタジアムがあり、近くになじみのかをりがあることが、近藤の心のオアシスとなった。

(文中敬称略)

◎次回は10月18日に掲載します。

プロフィール

  • Uchida pr
    内田 東

    1938年東京都生まれ。早大文学部国文科卒。62年電通入社。本社宣伝技術局に配属され、キリンビール、三菱電機、アデランス、味の素などの広告キャンペーンに参加。朝日広告賞、毎日広告賞、カンヌ国際広告祭、全日本CMコンクール、日本雑誌広告賞などを受賞。電通中部支社マーケティング・クリエーティブ局長、目白大学社会学部メディア表現学科教授などを歴任。東京コピーライターズクラブ、日本広告学会会員。

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