電通を創った男たち #62

コピーライターを

いちばんたくさん送りだした人

近藤 朔(6)

  • Uchida pr
    内田 東

印刷と電波のクリエーティブ統合

 

 
 
全世界が見守ったアポロ11号月面着陸

1969年7月、アメリカは人類初の月面着陸に成功した。ニール・アームストロング船長は「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな跳躍である」といい、月の表面を踏み出す姿を全世界にみせた。この歴史的快挙が映像で流れたとき、近藤は「月にも星にも月星靴」というコピーを書いている。秋山晶は「冷静さの中に、信じられないファンタジーの、エンタティメントの力をもっていることに驚いた」と感想を述べている。機を見るに敏というよりか、気まじめな近藤にこんな茶目っ気が潜んでいるのだ。

「チョコキャラと呼んで」は、明治チョコレートの近藤のコピーである。土屋耕一は「この短い言葉は、キャッチフレーズであるけれど、同時に、言葉そのものが可愛いアイドルのような顔立ちをしていることにびっくりする」といった。

近藤は、コピーはデザインに何らかのアイデアを提供するものでなくてはいけないと思った。さらにコピーが広告にイメージを与えていかなくてはいけないとも考えた。こういうとコピーライターがイニシアティブを握って、アートディレクターに文句をいわせない専横的な態度をとるように想像しがちだが、そうではない。コピーとアートの結婚を、近藤ほど切に願ったコピーライターはいない。デザインに、広告そのものに、「種を蒔くコピー」が、近藤が求めたコピー作法といってよい。

 
キッコーマン醤油「日本はしあわせ」(1966年制作)コピー近藤朔、アートディレクター&イラストレーション大橋正
 

近藤は言葉に対して厳格であった。「イメージということばは、まさに十人十色の意味をもっている。コンセプトしかりである。生活の場では伝達手段はもう、ことばの意味に頼れない。共感だけが的確に伝達しうる唯一のことばだ。せめて広告という、あるいは情報産業という専門分野の中だけでも、“認知”と“理解”との差を、努力によってつめたいものだ」という。私たちは、「どうも…」などとあいまいな日常語を通して、大勢の人たちと広く浅いつき合いをしている。時には思わぬ誤解を生じることがある。日本語をもっと大切にしたいと近藤は訴える。「“高嶺の花”の嶺は、当用漢字では根が正しい。誰もが、あらためて驚く。根という字は本来、土の上の事物に使われることはなかったはずである。まして高嶺の嶺は、山は山でもあまり低い山ではないと思う。漢字を使うからには表意文字として使うのが望ましい。感覚的にも意味内容を的確に伝えること、これがコミュニケーションのシンボルとしてのことばの機能だと思う。だいたい国語審議会がなってない」と手厳しい。

「“たばこは動くアクセサリー”というのは、少しうさんくさい」と、コーヒーを飲みながら近藤はいった。マダム・マサコさんの実用とシックの中に“ハンカチは動くアクセサリー”とあるのを君は知っているかというのだ。猿真似はいけないと近藤はつぶやいた。

 
 
クリエーティブ部門の組織統合を伝える「電通社報」(1969年7月31日号)

月面を歩くアームストロング船長の姿に地球上が湧きたっていたころ、電通は懸案であった東京本社、大阪支社のクリエーティブ部門の統合に踏みきった。従来の広告制作作業は、印刷は宣伝技術局で、電波はラジオテレビ企画制作局でと、それぞれ専門分化ですすめられてきた。しかしマーケティングの高度化にともない、それらの専門技術はポリシーの統一のもとに両者が同じテーブルについて共同作業を行うことにした。電波と印刷とでは作業の質や流れ方がちがう。セイコー担当グループなどで1年間テスト的に統合作業を試みて、効果を見きわめた。両分野を合併させて、クリエーティブ室と名づけた。印刷のコピーライターやデザイナーには技術手当がついていたが、電波の企画制作者には手当がなかった。電波は新しく急速に発展したメディアであり、まだCMプランナーという呼称もなかったが、統合後は技術手当がつくようになった。

日比野恒次社長は、“新しいクリエーターの出現を期待する”と題して「このたびの組織改編は、ひとりクリエーティブ作業を充実させ広告作品の質の画期的向上を期するにとどまらず、年来の目標であったアイデアとプランニングに徹する近代広告会社の完成をめざすものである」と述べている。

当時近藤は第一CR局長であった。「統合によって印刷、電波両媒体のクリエーターが密接になり、表現の上で一本筋の通った広告がつくれるようになった。内面的には、それぞれのクリエーターが互いに刺激を受けあい、知識を交換したり吸収をして想像力を広げることにつながった」という感想を述べている。この統合は、従来のこま切れ型とは異なる、大型キャンペーンを生みだすことに大いに役立った。電波作業のみのクライアントに印刷作業が加わってきた。そしてテレビ、印刷ともに内容を充実させるため費用をかけるようになった。筧CR総務は「統合から1年を経た今年(1970年)の業績は各月とも前年度比140%を割った月はない。これは統合の成果と思われる」と報告している。近藤も「キャンペーンが立体化してきた。とくに印刷媒体と電波媒体との相乗効果をキャンペーンの上で、計算する、ねらうという形が多くなった。統合されたこと自体、またそれから生まれる結果もかなり評価されていると思う」と自信を深めている。

(文中敬称略)

◎次回は10月19日に掲載します。

プロフィール

  • Uchida pr
    内田 東

    1938年東京都生まれ。早大文学部国文科卒。62年電通入社。本社宣伝技術局に配属され、キリンビール、三菱電機、アデランス、味の素などの広告キャンペーンに参加。朝日広告賞、毎日広告賞、カンヌ国際広告祭、全日本CMコンクール、日本雑誌広告賞などを受賞。電通中部支社マーケティング・クリエーティブ局長、目白大学社会学部メディア表現学科教授などを歴任。東京コピーライターズクラブ、日本広告学会会員。

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