電通を創った男たち #65

コピーライターを

いちばんたくさん送りだした人

近藤 朔(9)

  • Uchida pr
    内田 東

フライパンにもキッコーマン

 

「スカッとさわやか、コカ・コーラ」のCMがひんぱんに流れてくる1962年頃、日本人の食生活の変化―つまり洋風化にひときわ拍車がかかってきた。醤油を使う料理のリサーチを行ったところ、和食69%に対して中華14%、洋食10%と、洋食や中華料理に、醤油を使っていることがわかった。特に若い世代の洋食を好む傾向は高まると予測された。ここのところの牛肉・豚肉・鶏肉や牛乳などの消費量の増加も顕著であった。大豆の発酵食品である醤油は、肉類のうまみをひきだすのに長けている。バーベキューやステーキといった肉料理をおいしくする調味料・醤油という時代が、もうそこまできていたのである。「仮説のない調査など意味がない」と近藤はいう。「目的をもたない調査資料ほど退屈なものはない」ともいっていた。「洋食や中華料理にも醤油を使ってもらえるはずだ」という仮説は、データに目を通したかぎり、かなりの確率で成功すると思われた。うまくいけば醤油はワールドワイドの料理にマッチして、“世界の調味料”になれるかもしれない。そのためには「醤油を和食だけの調味料と考えるのは、もうやめよう」という意識改革が必要であった。

  野田醤油「フライパンにもキッコーマン」(1963年制作)コピー近藤朔、アートディレクター&イラストレーション大橋正
 
野田醤油「フライパンにもキッコーマン」(1963年制作)コピー近藤朔、アートディレクター&イラストレーション大橋正

「フライパンにもキッコーマン」は、洋風化の波にのって新しい需要を開拓するためにだけ生まれたものではない。「コピーライターは文章家である以上にゆたかなビジョンの所有者でなくてはならない」という上野壮夫のコピー哲学を実践したものでもあった。和食だけから世界の調味料へと変身するキッコーマンの壮大なビジョンを提示した宣言文でもあるのだ。近藤らしく、それを大声で叫ぶのではなく、土屋耕一のいう「コピー表現にモダンの風を入れた」しゃれた口ぶりでアピールしたのである。「フライパンにも…」が発信されたとき醤油はソイソースとなって、世界の調味料へと羽ばたいたのである。

現在アメリカの家庭の3軒に2軒で醤油が使われている。soy sauce(アメリカ語)、sojasoben(ドイツ語)、salsa de soja(スペイン語)と、kikkomanは世界の家庭で愛用されている。ワールドワイドになったキッコーマンの源泉は、半世紀前に発信された「フライパンにもキッコ-マン」であることは疑いがない。2014年のTCCの審査方針は「そのコピーがない世界とそのコピーがある世界の何がかわりますか」である。「フライパンにもキッコーマン」のスローガンは世界の調味料をめざすkikkomanにとって、なくてはならない礎であり、なくてはならない旗印であった。

「世界各国の奥さまから、日本の奥さまへ…。キッコーマンの輸出先の各国の奥さまがたから予想以上のお手紙をいただきました。スイスの奥さまから、アメリカの奥さまから、ドイツの奥さまから…」kikkomanを使っておいしくなったお料理のレポート広告である。kikkomanは世界の食卓に次第に根付きはじめた。日本の奥さま方へ顔を向けた広告なのだが、同時に、キッコーマン醤油株式会社の社員一人一人に、これからキッコーマンが進むべき世界戦略のビジョンを広告で明確に示してみせたのである。企業のCI(Corporate Identity=企業の独自性、企業らしさ)を代弁した広告といっても過言ではない。

ノルウェーの広告「Lun servering+k」  
ノルウェーの広告「Lun servering+k」
 

今年の4月、スペインの雑誌に掲載されていたキッコーマンの広告をみた。Wok+kというヘッドラインだ。Wokは中華鍋のことで、「中華鍋にキッコーマン」とは、まさに「フライパンにもキッコーマン」の生き写しではないか。ただちがっているのはキッコーマンをkikkomanの頭文字をとってkとしていることだ。キッコーマンの海外広告を調べてみると、ここ1、2年の間に、あちらの国こちらの国でやたらにkが出現している。イギリスでは「stir fry+k」肉や野菜を強火ですばやく炒めたらkを加える。フランス「L’explosion de saveurs+k 味の爆発へkを加える」。イタリア「il mio piatto preferito+k 私の好きな料理にはkを加える」。ドイツ「vielfalt+k=geschmack 色々な料理にkを加える=おいしい」といったように、欧州連合(eu)では軒並みキッコーマンをkという略称でよんでいるのである。さらにノルウェーでも「Lun servering+k 暖かいおもてなしにkは必要」。フィンランドでも「reseptini+k 私のレシピにkを加える」。北欧の国々でも、キッコーマンをkの略称でよんでいるのだ。

こうした広告表現が現れる5年ほど前のキッコーマンの海外広告は「日本からきた調味料」といったヘッドラインに、日本情緒をにじませたデザインー例えば葛飾北斎の「富嶽三十六景」の一つ神奈川沖浪裏をパロディ化したもので、醤油が大波になっているーといった表現が多かった。いまやエキゾチックジャパンの表現は影をひそめ、TシャツとGパンの現地に溶けこんだ格好で「kをプラスしてね!」と、親しげに呼びかけているのだ。

緋紗子は、父は最期まで潔かったとふり返る。膵臓ガンの手術を受けるとき、見守る家族に手をふって手術室に向かった。いつも通りの穏やかな表情だったという。近藤がこの世を去って24年が経った。

EU各国の紙面をにぎわすキッコーマンの広告を近藤がみたらどう思うだろうか。醤油が世界の調味料となって、ここまで浸透したかと感慨深げな微笑を浮かべるにちがいない。広告は制作者の手を放れると、自由の翼を広げて思いもかけない結果をもたらす。kという愛称で親しまれているなど、考えもしなかっただろう。近藤は「種を蒔くコピー」を理想とした。数十年が経って、花咲かじいさんは、みごとに花を咲かせたのである。

花を与えるのは自然。編んで花輪にするのは芸術(ゲーテ詩集 高橋健二訳 新潮文庫)

[完]

(文中敬称略)

プロフィール

  • Uchida pr
    内田 東

    1938年東京都生まれ。早大文学部国文科卒。62年電通入社。本社宣伝技術局に配属され、キリンビール、三菱電機、アデランス、味の素などの広告キャンペーンに参加。朝日広告賞、毎日広告賞、カンヌ国際広告祭、全日本CMコンクール、日本雑誌広告賞などを受賞。電通中部支社マーケティング・クリエーティブ局長、目白大学社会学部メディア表現学科教授などを歴任。東京コピーライターズクラブ、日本広告学会会員。

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