電通を創った男たち #64

コピーライターを

いちばんたくさん送りだした人

近藤 朔(8)

  • Uchida pr
    内田 東

消費者から生活者へ

 

  野田醤油「ウエルカムピーマン」(19●●年制作)コピー近藤朔、アートディレクター&イラストレーション大橋
 
野田醤油「ウエルカムピーマン」(1963年制作)コピー近藤朔、アートディレクター&イラストレーション大橋正

「あくまでも洋風で、おしゃれで、かっこよかった。私たちの家の中に、洋風な暮らしが入りこんで、いつの間にか床の間が消えてベッドルームになっていく、そんな転換期の最初の旗をふった人は、多分、近藤さんだったと思う」と土屋耕一はふり返る。中国地方有数の名家のおぼっちゃん、慶応義塾、海軍、ヨコハマといったキャリアが、洋風の香りを漂わす近藤のキャラクターをつくりあげたのだろうか。「コピーはさしあたり、人の心に聞かせるセリフということになろう。そして、アイデアに演出されたドラマが人の心に深く触れると、そこに感動が生まれる」というが、近藤ワールドを築きあげるのには、培われた感性と技術の裏づけを必要とする。カタカナのヘッドラインは一歩まちがえばバタ臭さがすぎて嫌みになるのだが、それを感じさせずに読む者の心に素直に溶けこむのである。上品さがにじみ出てくるのである。

“血の通った広告”、“生活のなかにある広告”、“生活者との対話のある広告”は、近藤がいつも口にする広告哲学であり、それを誠実に実行しようと試みた。“企業と生活者との対話”について、秋山晶が明快に解説してくれているとして、近藤がTCCの会報に引用した文章がある。「すぐれた広告とは、どういう広告だろう。私たちは企業と生活者との対話を心と心のピンポンのように考えた。そのサーブは得点を得るためのサーブではなくて、相手に打ち返させるためのサーブである。広告はサーブの役目を果たせばよい」と秋山はいうのである。

「生活者ということばをわれわれが初めて活字で読んだのは、たしか67年であったように思う」と近藤はいう。ネッスル日本が「お早ようーマギーです」を、メディアミックスを駆使して大々的にキャンペーン展開した年である。「そして70年になると、消費者を生活者とごく自然にいわれるようになった」という。単に浪費する者と見做した“消費者”ということばは、人間を“糞袋”と例えるのに等しいニューアンスを含んでいる。人間らしく生きる時代を迎えて、ことばの入れ替えが必要となったのだ。生活者へと変身した消費者は自立の姿勢をとりはじめる。消費者は新しい商品をやみくもに求めたが、生活者は選ぶことからはじめる。

「“くたばれGNP”とはジャーナリズムがつくったことばだが、60年代の総括と同時に、戦後の高度成長とひきかえに国民が失いつつあったものへの警鐘とも聞こえるものであった」と近藤はいう。「コンシューマリズムの台頭から、広告表現に対する一般大衆の目は厳しくなる。誠実な企業が誠実に伝達するという姿勢で、本来のクリエティビティのものさしで対処していくしか方法はない。こういった時期には、クリエーティブピープルの良識を確立することが重要だ」と、クリエーティブに関わるすべての者に、+モラルの感性をもつことを要求した。さらにクリエーティブワークに必要な情報は広範囲にわたるとして「情報を整理して助走路を的確に計り、企業の意思決定を基盤に、クリエーティブな飛躍に挑まなくてはならない」といい、「この飛躍とは発想の転換であり、類型からの離陸である」と、元飛行機乗りを匂わすようないい方で広告表現のあり方を示唆した。

「表現活動がマーケティング、とくにリサーチとからみあわせていくことが必要である。今のような不況下では広告主に出稿上の迷いが出ることが多い。そのアドバイスを行い、広告計画の方向を示すような的確な調査資料が必要になってくる」。企業が戦後最大の倒産件数をだした1966年の近藤の発言である。「調査資料を単なる読み物にしてはいけない」が口癖であった。調査資料を読み解き、チャーミングな広告メッセージに置きかえて、生活者に「これは私の商品だ」と思ってもらえるようにするのが、コピーライターの仕事だと思っている。

この年、TCCに入賞した広告のクオリティーは貧しく、不作だった。その原因を不況のせいだとする見方に、「不況なのは、制作者自身の精神的不況だ」と、近藤はコピーライターの能力不足を容赦なく批判している。

1969年いざなぎ景気に押されて日本はGNP世界第2位となった。この高度成長時代を代弁したのが、「oh!モウレツ」(丸善石油のCM)と、スカートを捲りあげられた小川ローザの叫びであった。日本経済の繁栄のひずみ現象として、4大公害病が取りざたされたのもこのころである。翌年の1970年になるや、モウレツの反動があからさまに噴出しはじめた。富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」のCMは、人間性の回帰への狼煙であった。

人間回復をうたって1970年にスタートした歩行者天国  
人間回復をうたって1970年にスタートした歩行者天国
 


◎次回は10月26日に掲載します。

 

(文中敬称略)

 

 

 

 

プロフィール

  • Uchida pr
    内田 東

    1938年東京都生まれ。早大文学部国文科卒。62年電通入社。本社宣伝技術局に配属され、キリンビール、三菱電機、アデランス、味の素などの広告キャンペーンに参加。朝日広告賞、毎日広告賞、カンヌ国際広告祭、全日本CMコンクール、日本雑誌広告賞などを受賞。電通中部支社マーケティング・クリエーティブ局長、目白大学社会学部メディア表現学科教授などを歴任。東京コピーライターズクラブ、日本広告学会会員。

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