電通を創った男たち #66

戦後日本を代表するプロデューサー

小谷 正一(1)

  • Okada
    岡田 芳郎

井上靖の芥川賞受賞小説『闘牛』のモデルになった男

 

  井上靖・著『闘牛』
 
 井上靖『闘牛』

電通の素晴らしいOBの中でも、小谷正一(こたに・まさかず)ほど劇的な仕事を行った人は少ないだろう。なにしろ井上靖が小谷をモデルにした小説『闘牛』で芥川賞をとり、さらに小谷の仕事をもとに『黒い蝶』『貧血と花と爆弾』を書いたぐらいだから。小谷が主要な登場人物になる本は、足立巻一の小説『夕刊流星号』、馬場康夫のビジネス・エッセイ『「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た!』、藤田潔の自伝的読み物『テレビ快男児』など数多い。さらに小谷伝説と銘打った早瀬圭一のノン・フィクション『無理難題「プロデュース」します』や、私が雑誌『宣伝会議』に1年間連載した評伝「戦後マスコミに生命を吹き込んだ男―小谷正一物語」を原作に劇場映画化の検討が行われるなど、死後20年以上を経た現在に至っても小谷正一の話題は尽きない。

小谷正一の仕事で世に知られているのは、
戦後初めて鉄のカーテンの向こうから当時のナンバーワン・バイオリニスト、ダヴィッド・オイストラッフの招聘に成功。これは当時、“事件”として社会的話題となった。
プロ野球パシフィック・リーグを構想し、今日の2リーグ制を成立させた。この仕事は、不可能を可能にしたといわれた。
初の民間放送ラジオ(新日本放送)の初代放送部長として番組を企画編成し、また電波料の概念を確立し、料金設定を行った(この時、吉田社長のアドバイスを受けたのが後に小谷が電通に入る因縁をつくった)。
大阪万国博「住友童話館」「電力館」の総合プロデュースを務め、予算と企画内容のすべてに責任と権限を持つ真のプロデューサーのあり方を後進に示した。

小谷は日本のプロデューサーのリーダーであり、多くの後進を育てた。

小谷は、いちばん面白い時代に生きた。変化の激しい昭和後半期、白いキャンバスに自由に絵を描き込める状況で仕事をした。それがうらやましいと、私は言いがかりをつけたことがある。小谷はさらりと言ったものだ。「きみ、いつだって時代は過渡期だし、キャンバスは白いんだぜ」。

昭和の歌謡曲のヒットメーカー、作詞家の阿久悠は1982年7月、小谷の古希祝いの会で、「21世紀を見るだけでなく」と題し、小谷正一に捧げる詩を朗読した。      

「21世紀を見るだけでなく/21世紀を/これはオモロイ時代やと/歩いてくれませんか」

21世紀を夢見ていた小谷正一  
21世紀を夢見ていた小谷正一
 

という言葉を最初と最後に置いた45行にわたる長詩は、時代の水先案内人であり、巨大な構想力をもつプランナーであり、自由を大事にし組織にしばられぬ生き方の達人であり、柔軟な思考と強い意志と見事な実行力のプロデューサーであり、クリエーティブな人たちのリーダーである小谷への賛歌だ。

しかし小谷は1992(平成4)年8月8日、80歳で亡くなった。

「21世紀っていったいどんな世紀やろ。一日でいいから生きて見てみたいな」と小谷正一が言ったその21世紀に私たちは生きている。小谷が夢見た未来、そこに私たちはいて、どんな夢を抱いて生きているだろう。この時代を面白がって生きているだろうか。

(文中敬称略)

◎次回は11月23日に掲載します。

プロフィール

  • Okada
    岡田 芳郎

    1934年東京都生まれ。早大政経学部卒。56年電通入社。コーポレート・アイデンティティ室長、電通総研常任監査役などを務め、98年退職。著書に『社会と語る企業』(電通)、『観劇のバイブル』(太陽企画出版)、『日本の企画者たち~広告・メディア・コンテンツビジネスの礎を築いた人々~』(宣伝会議)など。

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