電通を創った男たち #69

戦後日本を代表するプロデューサー

小谷 正一(4)

  • Okada
    岡田 芳郎

日本万国博「住友童話館」「電力館」総合プロデュース

 

日本万国博覧会は1970(昭和45)年、大阪千里が丘で3月14日から9月13日まで6カ月間にわたり開催された。入場者数6,421万8,770人は万博史上空前の動員数である。最も混雑したパビリオンは月の石を展示したアメリカ館だった。

1966年、個人事務所「株式会社デスクK」を設立した小谷正一はパビリオン参加する住友グループからプロデュースへの打診を受けた。その時小谷はあっさり断った。「なんで俺が博覧会の仕事などにかかわる必要があるのか。まず日本万国博の『人類の進歩と調和』というテーマは大正時代のセンスでいかにも古い。そして会場が100万坪という広さでゴルフ場5つ分だというが誰が1日に5ラウンド回るものか」と否定的だった。

だが「それでもなんとか引き受けてもらえないか」と住友グループは諦めなかった。小谷は人を口説く名人だが、うらはらに口説かれると弱い。そこまで言われるなら、と受け入れる気持ちがもたげてくる。

住友童話館竣工式であいさつする小谷  
住友童話館竣工式であいさつする小谷
 

「もしやるならどんな意味があるか」。

結局、小谷は住友グループと電気事業連合会の二つのパビリオンの総合プロデューサーを引き受けた。万博の仕事をやろうと決意したのは、それまで人の相談を受けてアイデアやプランを数多く提供してきたが、せいぜいが菓子折りひとつを持ってくるだけで、形のない企画に金を払う習慣がない日本の悪習を断ち切るためだった。

「万博は、アイデア、プランを有料化する恰好のチャンスになる」。
小谷はまず自らがそれを実践し、後進のための道を開こうと考えた。

住友グループから総合プロデューサーを委嘱されたとき、一言だけ答えた。
「ご高説拝聴というのでしたらご免こうむります。一切を私にお任せいただけるのであればお引き受けいたします」。

万国博が日本で初めて開かれるイベントであることに食指を動かした。まだ誰も歩いていない砂浜に足跡をつけていく快感が意欲を駆り立てた。企業パビリオンをゼロから考え構築する作業は久しぶりにがっぷり取り組んでいい仕事だと思った。

まず制作予算24億円を全部、小谷正一に預けてもらう契約を住友グループと交わした。金を持たず頭脳と体力だけで仕事するプロデューサーではなく、金も仕事の実権も一手に掌握する本当のプロデューサーとしてプロジェクトを指揮した。

住友グループからは社内募集したアイデアが数多く小谷のところに届けられた。ほとんどが“宇宙もの”と“未来もの”である。宇宙ものなどはアメリカやソ連にかなうはずがない。

小谷は日本の知恵を使おうと考えた。アートとエレクトロニクス。“童話と科学の結婚”をテーマにしようと決めた。

世界の童話から60話を選び、現代風に立体構成した「住友童話館」の中心展示は、映像とナマの人形芝居をミックスさせた連鎖劇「パピプッペ劇場」である。二つの劇が制作された。

「パンパの活躍」は、脚本・谷川俊太郎、音楽・山本直純、美術・アニメーション・和田誠、人形操演・ガイ氏人形劇団。

「つる」は、脚本・和田夏十、音楽・山本直純、美術・河東安英、ナレーター・芥川比呂志、人形操演・竹田人形座。演出は2作品とも市川崑である。宇宙ステーションのような建物の設計は大谷研究室(大谷幸夫)だ。

電気事業連合会の「電力館」では、展示の目玉、“イリュージョン”という引田天功(初代)が演じるマジックショーが人気を集めた。100万ボルトの電流の放電スペクタクルも見ものだった。設計は坂倉準三建築研究所が手掛けた。

  住友童話館
 
企業パビリオン人気投票で、住友童話館(上)は1位、電力館(下)は3位になった
 
  電力館

2つのパビリオンとも一流スタッフを集め、質の高い展示を作り上げた。万博終了後、『週刊現代』が行った企業パビリオン人気投票で、住友童話館が1位、電力館が3位になった。

だが今回の万博最大の目玉はアメリカ館の「月の石」だった。まだ見たことのない物を見たいという素朴な好奇心が、仕掛けやアイデアよりはるかに大衆をとらえる。小谷はそのことを思った。

万博は兆単位の金を使って半年間で6,000万の人を動かした。だが日本の神社は正月三が日だけで全国で6,000万人がお参りに行く。神社はまったく設備投資もせず賽銭をもらって万博以上の人が集まる。習慣の力と大衆の心の不思議さ、怖さ。大衆の動態をもっと真剣に考えねばならぬ。

さらに大型コンピューターの精緻な万博入場者予測は3,800万人だったが、実際は6,000万人を超していた。こんな予測なら占い師が予測した方が当るかもしれない。すでに行われたニューヨーク博もカナダ・モントリオール博も大幅に予測がはずれている。情報に携わる人のインプットがいかに原始的で大衆の行動や社会の動きを把握していないかを思った。

マスコミそしてプランナーはもう一度出直さなければいけない。なにも世の中を掴んでいないではないか。

ちなみに小谷は万博会場でどの企業パビリオンに入館するときも必ず一般の入場者として列に並んだ。関係者として裏からすっと入れてもらうこともできるが、何時間も待つ行列に並び人々と一緒に押し合いながら展示を見ることでしか自分のプロデューサーとしての視点が生まれないと信じていた。のちに小谷はキャンディーズのお別れコンサートや浅草木馬館閉館公演などにまめに足を運んだが、自分で切符を買い特別の便宜を図ってもらうことは決してしなかった。

(文中敬称略)

◎次回は12月6日に掲載します。

プロフィール

  • Okada
    岡田 芳郎

    1934年東京都生まれ。早大政経学部卒。56年電通入社。コーポレート・アイデンティティ室長、電通総研常任監査役などを務め、98年退職。著書に『社会と語る企業』(電通)、『観劇のバイブル』(太陽企画出版)、『日本の企画者たち~広告・メディア・コンテンツビジネスの礎を築いた人々~』(宣伝会議)など。

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