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「新・日本力」の鍛え方No.1

社会イノベーションに欠かせない
「踊り場機能」

2015/01/20

「JAPANESE」/電通3CRP局 古谷萌
「JAPANESE」/電通3CRP局 古谷萌

2020年東京オリンピック・パラリンピック開催という追い風も受けて、今、日本の底力が問われようとしている。日本ならではの強みをどう生かし、日本の活力をどう取り戻していけばいいのか。古今東西の歴史と文化に精通し、日本文化研究の第一人者でもある編集工学研究所所長の松岡正剛氏と、元内閣府事務次官で現電通総研上席フェローの浜野潤氏が、今この時代に再認識すべき「新・日本力」の在り方について議論した。司会は、電通総研所長の中尾潤氏。4回にわたってお送りします。

 
浜野潤氏(電通総研上席フェロー)/松岡正剛氏(編集工学研究所所長)
 

地方を「振興」するだけではイノベーションは起きない

中尾:松岡先生は、室町時代や江戸時代にも日本様式を見直すムーブメントがあったと指摘されています。私ども電通総研も、「新・日本力」というキーワードを設けて、現代的な視点から日本ならではの力をどう発揮していくべきかを発信していこうとしています。松岡先生の深い洞察に基づいた知見を伺いたいと思いますが、まず、浜野さんに、かつて内閣府にいた立場から、今、この時代に求められる日本力をどう捉えているのか、そのへんから話の口火を切っていただけますでしょうか。

浜野:端的に言えば、労働人口が減り、資本の伸びもそう期待できるわけではない社会・経済環境の中でいかにイノベーションを生み出すか、その一点に尽きると思います。「失われた20年」といわれつつも、日本の社会資本は交通インフラにしてもすでに主要な整備がされているし、金融資産もある。そして何より、経験や知識に裏づけられた人的資本が日本には十分にあります。加えて、日本の企業風土には、昔から「売り手よし、買い手よし、世間よし」といった、中長期的視点で多方面のステークホルダーに配慮する精神文化もある。そういう日本ならではの良さを生かし、ヒト・モノ・カネ・情報をどんどん動かして、多くの人が刺激を得る環境づくりが大切だと思っています。そのためには、今までできなかったタブーに挑戦するということも必要でしょうし、民間の創意工夫を生かす公的支援の仕組みづくりも欠かせません。科学技術の振興も、社会的諸課題の解決に向けて、組織や制度を変えていく必要もあるのではないかと考えています。

松岡:イノベーションには技術イノベーションと社会イノベーションの両輪が必要ですが、日本の場合、社会イノベーションの方が不十分という印象は否めません。ただ、日本人は社会イノベーションが不得手かというと決してそういうわけではなく、歴史を振り返れば、例えば江戸時代は鎖国していても、藩札の発行やさまざまな物産の振興など、極めて面白いソーシャルキャピタルが各地に蓄積され、開花していました。そんな社会イノベーションが、現代の日本では非常に手薄になっている。主要な交通インフラは整備されても、日本全国にソーシャルキャピタルが蓄積されているとは言い難いのではないでしょうか。

浜野:政府は地方再生とか地方創生とか、いろんな言い方をしてきましたが、なかなかうまくいかないのは、地方独自の力を生み出そうというより、結局は中央から地方への振興策でしかないという側面が大きかったからではないでしょうか。戦後ずっと同じことを繰り返してきていますね。

浜野潤氏

「あやしい仕組み」をいかにつくり上げるか

中尾:今はICT技術の発展もあって、ローカルを基点にグローバルやナショナルを考える土壌はできつつあると思いますが、なかなかうまくいかないのはなぜだとお考えでしょうか。

松岡:ローカルをグローバルに、ナショナルにという動きは、これも実は幕末時代にすでにあって、明治維新を推進した薩摩、長州、土佐、肥前のいわゆる「薩長土肥」が、英国やフランスの軍事資本をローカルに引っ張ってきて技術革新を起こし、明治維新につなげました。歴史的には一度成功しているんです。ところが、その後、欧米の列強に伍して日韓併合、満州建国という道に突き進んだときに、結局は列強のルールに負けていくようになる。それが戦後も、プラザ合意や日米構造協議に至るまでずっと尾を引くことになるわけです。その過程で、ローカルからグローバルへ、あるいはローカルとナショナルの在り方を再構築するチャンスがあったのにもかかわらず、所得倍増や日本列島改造の方に関心が向いてしまった。大きな視点で歴史を振り返ったときに、それは、日本人にイナーシャ(慣性)だけを植え付けてきたのではないか。外在の基準や価値観が一気になだれ込み、しかもそれを無自覚に受け入れてしまうと、さまざまな弊害が起きます。アジアの農業は天水農業で直まきですが、日本は風土が違うので苗代をつくり、ある程度稲を育ててから、本田に田植えをする手法を取った。苗代は、幼弱なものを強化する踊り場のようなものだったわけです。こういう中間的な機能が、日本人の文化からだんだん失われてきています。人材育成という点でも、昔は村々に若衆宿があって、そこで若者たちに共同生活をさせて、いろんなしきたりなどを学ばせた。これも、社会に出るまでの踊り場的な機能です。ところが今は、企業の新卒採用では、できるだけ出来のいい学生をいきなり引っこ抜くような採用の仕方をしている。

中尾:人を育てる踊り場がなくなったということですね。

松岡:イノベーションという観点から言えば、今、二つ問題を抱えていると思います。一つは、ICTの進化が非常に速いスピードであるため、企業がイノベーションに時間をかけても、その間に、機能も技術も市場も少し前とは全く違うものになってしまう。また、日本の企業は、組織内の小集団ごとに高い技術力やさまざまな能力を持っているにもかかわらず、M&Aなどで規模の拡大に走ったために、小集団ごとの力を発揮しにくくなった。そういったイノベーションのジレンマをどう克服するかが大きな課題になっています。

松岡正剛氏

それともう一つ。今のイノベーションが、他社の技術を分析・解析して自社の製造技術に生かすリバースエンジニアリングで回っていることは無視できません。もちろん知財を保護するルールは大切だけれども、現代のイノベーションは、リバースイノベーションで成り立っているという側面は多分にあります。このリバースイノベーションを、今の日本社会や企業の制度の中でどのように取り入れていくかが大きな鍵を握っていると思います。江戸時代、脱藩は幕府からも藩からも問題視されていたのに、坂本龍馬たちは、「横議横行」といって、藩の垣根を越えて議論し連携を深めていくという、リバースイノベーションに近い考え方を持っていました。「新・日本力」を考えるときには、こういう一種あやしい仕組みをつくっておかなくてはいけないと私は考えています。「あやしい」と言うと誤解されるかもしれませんが、言い換えれば、物事を試す実験場です。そこで、産官学が力を合わせて、次代に残していくもの、切り捨てるべきものは何かといった議論をゼロベースで始め、実践していく必要があるのではないかと思います。

[第2回へ続く]