loading...

Dentsu Design TalkNo.42

書籍『電通デザイントークVol.2』

川田十夢×阿部光史「広告を拡張する」

2015/01/30

書籍『電通デザイントークVol.2』が2014年12月19日から好評発売中です。
今回はその中のSession2から、AR 三兄弟の長男であり、開発者としての顔を持ちつつ、独特の文体で作家でもある川田十夢氏と、「どうする?アイフル!」のくぅーちゃんシリーズなどを手掛けた電通のクリエーティブディレクター阿部光史氏が、広告の“拡張”について語り合ったその中身を少しご紹介いたします。

企画プロデュース:電通イベント&スペース・デザイン局 金原亜紀

世界をアレ(AR)するテクノロジー

阿部:これからテクノロジーと広告の関係について川田十夢さんからいろいろなお話をいただきますが、まずは僕の自己紹介から始めさせてください。普段の僕の仕事は、クライアント業務としての広告クリエーティブディレクションが中心なのですが、それとは別に社内にあるギークラボ的な組織を主宰しています。とはいっても、これはまったくの私的な組織で、特に会社からのバックアップがあるわけではないのですが、社員有志が集まって、自主的に勉強会や展示会への出品などを行っています。例えば世界各地で開催されている、オライリーという出版社主催のMaker Fair Tokyoにいくつかの作品を出品してきました。2014年の今年は「ヴァーチャル・フリーフォールマシン」を出品しようと思っています。Oculus Rift に代表される、ここ最近人気のVRゴーグルを自作し、3Dカメラを実際に高いところから落下させ、その光景を視覚と聴覚で疑似体験するマシン。これは「ヒューストン」という名前にする予定です(笑)。川田さんとはこれまで2回ほどお会いして、僕がやっているこんなことを「電通という大きな組織の中で、ラボ的な立ち回りをしているのは面白いですね」と言ってくださった。それで今回の対談が実現したというわけです。その川田さんは日本に「AR」というものを広めた第一人者です。TBS系列の『情熱大陸』に登場されたことで知ったという方も多いかもしれません。

川田:僕の回の放送は2013年9月だったんですが、「これは完全に売れた。普通に街を歩けなくなったらどうしよう」と心配になりました。しかし実際には、とくに誰からも声をかけられませんでした(笑)。

阿部:川田さんはAR 三兄弟の“長男”として活躍し、広告事例にも数多く携わっていらっしゃる。それも商品をただ宣伝するためのものではなく、広告を拡張するというか、コンテ ンツとしてエンターテインメント性が高いものを作り続けています。しかも今年(2014 年)8月には『パターン』という、テクノロジーと演劇が融合した不思議な舞台を作・演出・開発しました。そういった非常に広い範囲の活動をしている川田さ んですけども、お話ししていてすごく言葉が独特なんですね。今日はその刺激的な言葉の使い方についても、みなさんに楽しんでいただけたらと思います。

川田:僕が普段からやっていることは、アートとかみたいにあんまり堅苦しくなくて、「いかに生活を楽しくするのか」を重点に考えています。普段着のまま気軽に立ち寄れる近未来。それがARという現実を拡張する概念と合っていたのだと思いますね。というわけで、本日のテーマは「世界をアレする」でございます。これも勢いで言ってしまったんですよ。電通デザイントークのテーマを決めてくださいとざっくり頼まれたので、「もう、アレでいいんじゃないですか」って。そうしたら本当に採用してくれて、正直ビビってます(笑)。なんとかソレらしくすると、アレするというのは、拡張ですね。僕がどういう発想で世界をアレしていっているのか、お話しできたらいいかなと。わりと凄いことをやっているので。

阿部:本題に入る前に、まず「世界をアレ(AR)する」ということから説明していただけますか。

川田:そうですね。プチ概論として、まずよく間違われる「仮想現実(ヴァーチャル・リアリティ)」との違いについてお話ししましょう。ARはオーギュメンテッド・リアリティ(Augmented Reality)の略称であって、正式には「拡張現実感」と訳されています。仮想現実は、例えば目隠し型のOculus Riftのように、画面の枠の中で体験するリアリティのことです。一方の拡張現実は、あくまで現実を媒介するもので、すでにある風景でも、画面を通して見るとまったく違ったように体験できる仕掛けを指します。画面の中のリアリティと、リアルに介在する画面。どっちがどう優れているという話ではないのですが、狭義でいうとそういう違いがあります。一般的に有名になったARというと、頓智ドットという会社が作った「セカイカメラ」をご存知の方が多いと思います。現実の風景をスマホのカメラで覗きこむと、そこに存在しないものが見えてくる。大雑把にいうと、旧来の拡張現実感とはそういうものです。僕は2009年にAR 三兄弟を始めたのですが、その頃はまだARもセカイカメラも流行っていなかった。ただ、技術的にはiPhoneが大ブームになっていたり、ウェブカメラ付きのパソコンのシェアが7~8割くらいになっていたりして、いよいよカメラ認識という技術がカジュアルに使われ始める前夜みたいな雰囲気はありました。だけど、あんまり面白いかたちで使っている人がいなかったんです。

当時はすでに研究者の間では使い古された技術だったのに、「どう使えば面白くなるのか」といった考えにたどり着いていない。学術的な論文を書いたり、その モックアップを作ったりして、終わっていた。大きな疑問を感じていました。多分、ARという言葉の翻訳からしてわかりづらかったんです。オーギュメンテッ ド・リアリティのリアリティって、正しく訳すと「現実感」なんです。決して間違っていない。ただ、この“感”というのがものすごくわかりづらい印象を与え ていて、だから僕らはARをオーギュメンテッド・リアリティと説明するのではなく、意識的に「拡張現実」と感を外して日本語で宣言することにしました。僕らが拡張しているのは画面の中のリアリティではなく、現実そのものだと。旧来のAR とも、セカイカメラとも違うと。だから、今ARが拡張現実と感を外して訳されるようになったのは、露骨に僕らの影響です。誤訳っちゃ誤訳なんですが。拡張 現実という真新しい概念で何をしているのかというと、ひと言でいえば現実の時間とか空間を耕すことをやっています。ありふれた景色でも、拡張現実を使えば 違った体験が生まれる。そういうことを技術や見立てによって追求しているわけです。

<了>

本の詳細・購入はこちらをご覧ください。