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坂東玉三郎「演技はコミュニケーション。その根源は、思いの強さ」

2015/01/30

「反応」が先立ってしまっては本物にはなり得ない

演じることは、密接なコミュニケーションが重要なのです。自分に伝えたいことがあっても、それがお客さまに伝わらなければ、芝居をする意味もなければ、役者が存在する意味もありません。お客さまとのコミュニケーションだけでなく、役者同士や、俳優とスタッフとの密なコミュニケーションが演技の 出来を左右するのも言うまでもありません。少し固い話になりますが、そもそも人間の心は無意識のうちに三つのプロセスをたどります。最初は「感受」で始まります。目の前にあるもの、触れるもの全てを五感で感じることです。その感じたことを、心で理解する「浸透」という段階が次にあります。そして「反応」。私は、演技とはこのプロセス全体の再構築だと思っています。

ここで、大事なことが一つあります。反応が先に立ってはいけないことです。演じる側も、見る側も、反応が演技そのものだと思いがちです。それまでの段階を踏まないで演技をしていると、観客にも伝わりません。その役者は何も感じていないで、反応しかしていないということになります。まず感受して、心に浸透させる。ここが大変で、演技を大きく左右します。作為を感じさせず、人間の生理としての反応が出せるかどうか、役者の力が試されます。作品には作為があるものなんです。しかし作為がないところまでいくことが大事だ、と考えています。

 

同じ空間を共有するだけで魂と魂が触れ合う

コミュニケーションの語源は、「共有する」「分かち合う」だそうですね。私たち役者は、演じているときにお客さまと言葉を交わすわけではありませんが、ただ同じ空間を共有しているだけでコミュニケーションは成り立つ、と私は思っています。コミュニケーションとは、本来そういうものではないでしょうか。人と人が同じ場所にいて、相手の姿を目の前にして、その場に流れ漂う空気を共有する。それができていれば、言葉は交わさなくても、コミュニケーションは十分に成り立つはずです。それが心と心のつながり、魂と魂が触れ合うことです。

舞台芸術に限らず、あらゆる芸術がコミュニケーションそのものだと私が思うのは、その魂の触れ合いがあるからです。どんな芸術家であれ、創作物を人に見せようとするのは、人の魂とつながりたいからでしょう。画家も音楽家も、人と人のコミュニケーションを、より濃密なものにしたいという思いがあるからです。鑑賞する側も、芸術家の魂に触れたいと思うからこそ、作品に引かれていくのです。

鼓童のメンバーとともに(2013年8月、新潟県・佐渡)

「ただ楽しんでほしい」という、シンプルで強い思い

現代のコミュニケーションを考えたときに、情報化が進む中で、あまりにツールに頼り過ぎている気がします。スマートフォンなど情報をやりとりする道具は発達しましたが、あれは、コミュニケーションするための「手立て」であって、コミュニケーションそのものではないはずです。ただ連絡を取り合えば思いが通じているかといえば、そうでないこともあります。そして、たとえそばにいたとしても、あまり流れ作業になるとコミュニケーションが取れないということがあるんです。ロマンチックな時代、思いをはせる時代というのは、会えないからこそコミュニケーションを取りたいと思えるんです。たった一言の伝言、たった一行の手紙がコミュニケーションを濃くするんです。演じる私が大事にしてきたのは、お客さまに楽しんでもらうこと、その一点です。とてもシンプルです。私はご縁があって、2012年の4月から佐渡を本拠とする太鼓芸能集団「鼓童」の芸術監督をしていますが、演出する立場としても、答えは同じです。

今年、1月から3月まで、私が演出した「鼓童ワン・アース・ツアー~神秘」が米国とカナダを回ります。神社や仏閣、あるいは森のようなところで出合う非現実的な空間や、闇のような暗さの中から出てくる神秘的な雰囲気を劇場で感じていただきたい、と思ってこの作品をつくりました。

国が変わっても「楽しんでいただきたい」という思い、それだけです。シンプルであっても、大事なのは、その強い思いです。おそらく、コミュニケーションの根源とは、思いの強さです。強い思いさえあれば、感受、浸透、反応も、作為なく演じることができるでしょう。そして、見る人と何かを共有できるのです。


鼓童
佐渡を拠点に、太鼓を中心とした伝統的音楽芸能の可能性を追求し、現代に再創造する太鼓芸能集団。公演は47カ国で5500回を超える。2006年、坂東玉三郎氏との共演による舞台「アマテラス」を上演、15年5月に大阪・松竹座で再演予定。12年、坂東氏を芸術監督に招請。