Dentsu Design Talk #54

ものづくりとものがたり(後編)

~分人主義から見る、文学・アート・広告~

  • 平野 啓一郎
    小説家
  • Photo large pofile1
    田川 欣哉
    takram design engineering 代表/デザインエンジニア/RCA客員教授

3月27日に行われた電通デザイントークに登場したのは、作家の平野啓一郎氏とデザインエンジニアの田川欣哉氏の2人。平野氏が近年唱えてきた「分人主義」は、人間は一つの人格(individual)だけを生きているのではなく、対人関係ごとに異なる人格(dividual)を持ち、その集合体として生きている、という考え方。一方、田川氏率いるデザインエンジニアリングファーム「takram」は、「デザイン」と「エンジニアリング」という2つの手法を一人の人間が切り替え、組み合わせながら開発する方法論を採っている。ジャンルは違えど、根底の視座に共通点を持つ2人。
その「ものがたり」と「ものづくり」をめぐる対話の後編をお届けする。(前編はこちら

 

ユーザーを「分人」化して考えてみると

 

平野:「分人」という概念を、僕は「個人」に対立する概念として使っています。一つの個性を持った分割不可能な最小単位が個人であるという概念に対し、分人は対人関係ごとや場所ごとに、色々な人格を持っている。人格というものを、外界とのコミュニケーションのパターンのようなものと捉えて、複数の分人が自分の中で共有され、中心を持たずにネットワーク化されているイメージです。

近代の社会システムは、個人が一貫性を持っている前提でデザインされています。人は一貫性を持たなければならないという観念はそこから生まれ、そうでない自分への悩みが生じているんです。

田川:生物としてのエネルギー収支という観点から見れば、人間は皮膚によって外界と遮断された個人です。分人としてご飯を食べることは、ありませんからね。けれども、ネット上では距離や時間を超えて、分人が自由に飛び出せる環境になっている。

それが原因で、思考と身体の感覚は乖離を起こしているのだと思います。takramに最近入った超絶プログラマーがいるんですが、彼を見ていると、身体が彼にとって耐え難い制約になっているようにしか見えない(笑)。
今の100倍のスピードで高速タイピングできれば生産性が上がるのに、といったSF的感覚がいよいよ現実のものになってきました。

平野:考える能力とフィジカルな能力のギャップですね。僕も運転中にふと、考えるだけで車が右に曲がってくれたらいいのにと思うことがあります。でも、実際にそうなると一瞬たりともぼーっとできなくなって しまう。ハンドルを握る腕の遊びがあるおかげで、運転のストレスが軽減されている一面があるんです。

僕は、未来の人間の定義は「疲れている」になると思っています。ハンドルのようなバッファーがどんどん取り除かれ、集中力を維持しないといけない状況が、この先緩和されるとは思えません。人間は今以上に疲れ 続けている存在として生きていくしかないんじゃないか。エンターテインメントでも何でも、それが前提になるでしょうね。

さっきの内分泌系の話で言うと、実は身体にも分人化の仕組みはあります。会社に行くと思うと憂鬱になるけど、休みの日は旅行に行くほど元気という適応障害や「新型うつ」の話は、身体自体がそういう分人化のシステムを持っているということだと思います。

田川:大学時代、「大問題を割ると小問題になる。さらに分割して最小問題まで割って解き、その答えを束ねていければ大回答になって問題が解決できる」と教わったんです。企業の構造もCEOの下に経理やマーケティングや営業があって、その末端に個人がいるという同じ構造になっている。18世紀から20世紀の前半くらいまでは、その仕組みでうまく機能していた。

でも今では現実にそぐわなくなっている。投票権も今は一人一票ですが、この政策についてはこの党に、でもこの政策はあの党に入れたいのに…と割り切れない思いを抱えている人は多いと思う。投票用紙に「1/5 ○○党、4/5 □□党」と書けたらどんなに楽かと思います。

平野:一人の人間が自己実現として一つの職業に就いて、30年も40年もそれが無事に続くという社会はもう限界ですよね。だから、社会のシステムもデザインも、「個人」からもう一つ単位を小さくしていかなければいけない、というのが僕の考えです。

 

作り手にとっての幸せな状況とは

 

田川:小説もそのうち、中にアルゴリズムが埋め込まれていて、読む人によって展開が変わる…といったことが可能になるかもしれないですね。

平野:小説はストーリー(物語)とプロット(どういう順序で展開するか、どう深めるか)に分けて考えられます。小説体験は、主にプロットによって変わってきます。19世紀の小説って立ち上がりが重くて、走り幅飛びで言えば、助走が延々と続く。想像するに、リアリティーを感じるために、ある程度のインフォメーションが必要だったんじゃないかな。

でも今は、助走はできるだけ短くて、飛んでいるところだけを見たいという読者が増えました。最近の小説の最大の売り文句は、「ページをめくる手が止まらない」ですからね。でも、僕は「ああ、もう終わってしまう」と、めくる手を止めたくなるような本を書きたい。この時間に浸っていたいと読み手に思わせたいし、1回ではなく繰り返し読んでもらいたい。プロダクトデザインでは、ユーザーが向き合う時間の長さの違いは反映されますか?

田川:寿命が数カ月のデザインと、数年使うものではデザインが全く違います。長く使われるものは、使い手と道具の間の信頼関係が目減りしないことが大事になります。例えば、ダメージを受けやすいプラスチック素材だと傷ができた瞬間に心が離れることがあるから、傷が味わいになる方向性で素材をチョイスする、といったことです。作り手として幸せな状況だと思うのは、時間をかけて作れて、ユーザーも吟味して選んでくれ、長い時間それを使ってくれる。

そして使用後も中古に出たりして、市場にあり続けるもの。デザイナーたちが最終的に家具の世界に行くのも、いい家具は一生使ってもらえるからでしょう。そういうものは、プロダクトの世界でも減っていると思います。

平野:ファッションの世界は、インターネットでシーズン落ちの服が買えるようになって、6カ月のトレンドサイクルから、3~4年のゆるやかな周期になっていますね。トレンドを着こなそうとするよりも、マイワールド化しやすくなっている。

田川:そうですね。ファッションは、買う人の世界観に預けた方が成立しやすくなっている。平野さんがおっしゃったようなテンポの話は、まだ色々な要素が揺れ動いている最中ですが、今までなかった成立の仕方を考えられる面白い状況とも言えそうです。

 

<了>

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企画プロデュース:電通イベント&スペース・デザイン局 金原亜紀

プロフィール

  • 平野 啓一郎
    小説家

    1975 年愛知県生まれ、北九州市で育ち。京都大学在学中にデビュー作『日蝕』で芥川賞受賞。著書は、小説『葬送』、『決壊』、『ドーン』、『空白を満たしなさい』、新書『本の読み方』、『私とは何か 「個人」から「分人」へ』等。近著は小説『透明な迷宮』、エッセイ&対談集『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』。
    3/1 より毎日新聞にて新作『マチネの終わり』連載開始。3/11 よりweb サービス note でも連載を開始、アーティストとのコラボ企画を実施するなど新しい読書体験を提供していく。

  • Photo large pofile1
    田川 欣哉
    takram design engineering 代表/デザインエンジニア/RCA客員教授

    ハードウエア、ソフトウエアからインタラクティブアートまで、幅広い分野に精通するデザインエンジニア。主なプロジェクトに、トヨタ自動車「NS4」のUIデザイン、日本政府のビッグデータビジュアライゼーションシステム「RESAS -地域経済分析システム-」のプロトタイピング、NHK Eテレ「ミミクリーズ」のアートディレクションなどがある。日本語入力機器「tagtype」はニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに選定されている。東京大学工学部卒業。英国Royal College of Art修了。LEADING EDGE DESIGNを経て現職。Royal College of Art客員教授。

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