電通を創った男たち #82

松本豊三と電通の満州・大陸帰り、

復員軍人たち(7)

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    北野 邦彦

小谷重一のPR、国際広告への意欲

 

松本豊三、森崎實に続く満州帰りの逸材として、小谷重一の名も忘れることができない。
「電通を創った男たち」の中で既に紹介された小谷正一の名は、極めて大きなボリュームゾーンを占めているが、小谷重一もまた、決して小さなものではない。ただし、小谷重一の場合は、「おだに」と発音する。
小谷重一は1902年の生まれ。父、小谷重は関東軍・河本大作大佐の従兄弟に当たる。河本大佐は満州事変の契機となった張作霖爆殺事件の首謀者とされる人物である。小谷は、母の早逝により、河本大佐の実家に預けられ、その家から小学校に通った。1919年、アメリカ西海岸にわたり、1927年、シアトルのワシントン州立大学を卒業している。1929年、当時の難関であった満鉄の入社試験に合格し、大連鉄道部渉外課に配属となる。当時の渉外課とは、今日の広報課に当り、大連を含む関東州における満鉄の弘報活動や満鉄沿線住民の宣撫に当たる部署であった。

満鉄本社ビル
満鉄本社ビル

1932年、小谷は関東軍の要請を受け、関東軍第4課嘱託として大連から奉天に赴く。関東軍第4課とは、諜報活動担当部署であり、小谷の役割は、英語力を生かして外電の翻訳作業、外人記者の電報検閲、奉天在住の外人社交クラブである「カムデンクラブ(奉天倶楽部)」に赴き、外人の動向の調査、リットン調査団来滿の際の日本側通訳などであった。

1934年、満鉄総局営業局旅客主任になり、奉天勤務となる。1940年、満鉄錦州鉄道管理局営業部長に昇進。小谷が電通入社時の保証人となった古賀叶は、当時、満鉄錦州鉄道局長として、小谷の上司であった。1944年には、満鉄チチハル鉄道局運輸部長に就任、翌年、新京(現・長春)の満鉄本社運輸局旅客課長の時に敗戦を迎え、ソビエト軍の捕虜となる寸前に辛くも新京を脱出し、日本にたどり着く。
引き揚げ後、商社勤務をしたが、1950年、満鉄時代の上司であった古賀叶が常務取締役として電通に在籍していたため、古賀が保証人となり電通に入社し、東京本社営業局外国部長兼PR部長となる。

吉田秀雄は、民間放送開始と並んで、PRの導入と普及を戦後の電通の最重要経営課題と位置付け、田中寛次郎秘書役にその先導役を期待したが、田中の健康状態が優れないため、小谷に田中の代替役を命じた。小谷は得意の英語力を駆使し、戦後アメリカから導入されたばかりのPRについて、その内容把握とわが国への普及に心血を注ぐ。

入社翌年の1951年2月には、電通銀座ビルのホールで「PR解説展示会」を開催し、企業や官公庁の関係者向けに、アメリカのPR広告やパンフレット、営業報告書、ポスターなどを展示し、PRとはどのようなものであるかを実例で紹介し大きな反響を呼んだ。
その後、数年間にわたり、小谷は毎週の如く全国各地を飛び回って、官公庁、広告主、媒体関係者にPRとは何かの講演を続ける。まさにPRの伝道師であった。1951年、上智大学新聞学科に、わが国初のPR講座が開講されるが、小谷はその講師も務める。小谷自身が執筆し電通から発行された『PRの理論と実際』がテキストとして使用されている。

電通銀座ビルで開催された「PR解説展示会」
電通銀座ビルで開催された「PR解説展示会」

1957年、小谷はワシントン州立大学卒業以来、30年ぶりにアメリカに渡る。吉田秀雄が描いた電通国際化路線の開拓のためである。1960年、東京本社に国際広告局を設立するに際し国際広告局長に就任。翌1961年、ニューヨークに米州総局が新設され、小谷は米州総局長に就任する。

ニューヨークのテーラーで
ニューヨークのテーラーで

1963年1月27日、吉田秀雄は胃がんでこの世を去る。59歳であった。この年ニューヨークから帰任した小谷は、外資系広告主を取り込むために電通が設立したJIMA(ジャパン・インターナショナル・マーケティング・アンド・アドバタイジング)の専務取締役に就任する。社長は満鉄時代からの上司であった古賀叶である。
JIMA退社後は、日本国際広告協会常任理事・事務局長として、国際広告協会日本大会を実現させ、世界の広告界に、戦後日本の広告界の現況と将来像を紹介した。

小谷の電通生活における後半生は、国際広告部門にあったが、その前半はPRの導入と普及に全力を投じた。いずれも、吉田秀雄が将来に向けて大きく期待していた分野であり、小谷はアメリカで獲得した語学力、満鉄で培った幅広い人脈とビジネスの作法を通じ、戦後の電通のPRの導入と国際化に専念し、吉田の夢の実現に向けて奮闘した。1982年逝去。激動の昭和の電通を生き抜いた、79歳の大往生であった。

(文中敬称略)

◎次回は5月3日に掲載します。

プロフィール

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    北野 邦彦

    1937年生まれ。早大第1商学部卒。63年電通入社。秘書室長、広報室長などを歴任。01年より帝京大文学部社会学科教授を務めた。著書に『日本の広報・PR100年』(共著/同文館)、『実践マーケティング・コミュニケーションズ』(共著/電通)など。

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