電通を創った男たち #84

永遠のCM少年 内藤俊夫(1)

  • Uchida pr
    内田 東

広告の本場アメリカへ飛び立つ

「これが本物のクリエーティブか」打ちのめされて、ため息もでなかった。第1回ACC フェスティバルで、アメリカのCMフェスタの入賞作品が上映された。アメリカCMの質の高さを目の当たりにして日本の制作者たちは大きなショックを受けたが、内藤もその一人だった。日本のテレビ放送が1953年に始まり、NHKに続いて民放のNTVが産声をあげ、CMの第1号がオンエアされた。街頭テレビにかじりついた人々が、力道山の空手チョップに熱狂した時代である。街頭テレビの人だかりで、都電がストップしたこともあった。

新橋駅前で街頭テレビをモニターする内藤(左端の後ろ姿)
新橋駅前で街頭テレビをモニターする内藤(左端の後ろ姿)

CM制作8年、揺籃期の日本CM界が、アメリカの20年間に蓄積されたCM技術の結晶を見せつけられて、あまりの違いに愕然とするのも無理はなかった。映像やサウンドのクオリティーを生みだす撮影・照明・現像・録音の基本的なフィルム技術から、シズル効果(映像と音などで五感を刺激する)やクイックカット、画とサウンドのシンクロナイゼーションといった編集効果、ユーモアたっぷりのストーリーやデモンストレーションといった演出効果など、あらゆる面にわたって驚きの連続であった。

根本からやり直さなくてはならない。いちばん感動したのは食べものがおいしそうに撮れていること。食品をおいしそうに撮ろうと思ったことは一度もなかった。タレントが食べておいしいなあ!という顔をすれば、それでよいと思っていた。アメリカのCMではケーキにナイフが入ったところをクローズアップで撮る。タレントの表情を介さないでおいしさを直接表現する。これがコマーシャルなのだ。Don’t tell,show!(語るな。示せ)を、肝に銘じた。天婦羅を目の前でジューと揚げてみせるのと、口でおいしいというのとどちらか効果的か。答えは明白だ。CMは映像と音をシンクロさせて、おいしく揚げるシズルカットを表現できるのだ。それにしても、食べもののアップをあそこまで魅力的に表現できるだろうか。撮影技術が違いすぎる。
特に感銘を受けたのはシボレー・コルベア「沼地を走る」の耐久テストであった。今までは、車のスタイルとか走っている様子とかドライブの楽しさを描くのが自動車のCMだと思っていた。ところがコルベアは湿地帯を走り抜け、草地を横切り、水しぶきをあげて川を渡り、ジャンプして池を飛び越えた。コルベアのCMは耐久性とか高性能といった車の機能をえぐりだしてみせたのである。

内藤はこの考え方をトヨペットコロナに応用した。コロナに空中ジャンプをさせようと試みたのである。浅間高原の小さな飛行場を借りて、坂をつくり、50mほどジャンプをさせ着地の衝撃にも耐えて、颯爽と走り去るコロナの姿を撮影した。このシーンを撮るために道路やジャンプ台の工事から始まって、カメラを埋める穴掘り作業、ドライバーの保険、ドクターの用意、消防車の準備など今までの撮影現場では考えられなかったさまざまなケアを必要とした。

「ハウ ドゥ ユー ドゥ」の発音を、いきなり30回立て続けにやり直しさせられた。冷や汗が流れた。昨年の7月から始めた英会話の特訓。いくらかはうまくなったかもしれないが、留学の喜びにまじって空恐ろしい気持ちが先に立つ。1965年8月10日、本社ラジオテレビ企画制作局所属の内藤は大阪支社国際広告局の源昭雄とともに、パンアメリカン機のタラップをゆっくりと登った。

クリエーティブ部門では初めての留学派遣社員である。希望と不安が入りまじって胸がしめつけられた。アメリカの広告業界の現況を見聞し、国際感覚を養うことが留学生に与えられた課題である。そして自己の専門分野として2年近く研究してきたアメリカのCMの知識を、現地に赴き密着取材をすることで、さらに深めることができる。

海外留学生として、羽田空港を出発する内藤。左は源
海外留学生として、羽田空港を出発する内藤。左は源

内藤の研修テーマは「アメリカにおけるテレビ広告の研究、とくにCMフィルム、VTR・CMの企画制作の実際について」であった。あのアメリカのCMフェスタで見た驚きの数々を実際の現場で体験できると思うと、自然と興奮で身震いをした。それにはアメリカのクリエーティブの二大中心地であるニューヨ-クとシカゴ、さらにロサンゼルスに足を踏み入れる必要があった。「私のテーマは誰も手をつけなかったものだ。広いアメリカでこのテーマに取り組むことはやさしいようでむずかしい」と、内藤はいつになく気負っていた。受動的に学びたくない。能動的に働きかけたい。研修の域をこえて、実地の作業を何かやりたい。内藤の思いは、かなわぬ夢かもしれないが現地でのテレビCMのプロデュースであった。

羽田を発ってホノルルへ向かった。サンフランシスコ、ラスベガス、ロサンゼルス、メキシコシティー、シカゴなどを経てニューヨークへ。ニューヨーク支局で研修準備を整えた後、各地の広告会社やクライアント、プロダクションなどを足繁く訪れた。課題の研究へ向かって3カ月間にわたり実地研修に励んだ。
とくに電通の提携先のY&R社(Young&Rubicam=アメリカの広告会社。1975年全米で最高の取扱高を獲得)での研修を心待ちにしていた。内藤は、社長のフランクフルトが身をもって実践したCMのsimplicity(単純性)の構成に特別な興味をもっていたからである。シンプルで大胆な表現手法がフランクフルトの作風であり、それがY&Rの作風にもなっている。欲張った意図を広告に盛りこめば複雑さを招いて、アイデアをリンチにかけることになる。simplicityを追求していったフランクフルトは、必然的にワンカット手法にたどりつき、今やそれがY&Rのお家芸となっている。

1966年制作のユニオン・カーバイトのCM。手の平でピヨピヨと鳴いている1羽のひよこをガラス容器に入れて金属製の小箱へ入れる。その小箱をはさみでつまみ上げ沸騰している湯の中へ。ぐらぐら煮立っている熱湯の中で、ひよこが入った小箱が浮いたり沈んだりしている。「この小さな箱はユニオン・カーバイトの超断熱材で裏打ちされています。1.27cmの幅を隔てると、外側が1000℃の高熱でも、内側では何の熱も感じません」。延々と1分間…その後、小箱を取り出してふたをあけると、ガラス容器の中のひよこは何事もなかったようにピヨピヨと鳴きながら現れる。
このドキュメンタリーCMは、種も仕掛けもないことを証明するために、始めから終わりまで2分間ワンカットで描写されている。なんのトリックも用いず、真実をそっくりそのまま描き出しているから、見ている者は心うたれるのである。

ユニオン・カーバイトのCM
ユニオン・カーバイトのCM

Y&Rでの2週間の研修では得るものがたくさんあった。ただ現地でのCM制作のプロデュースは、短い研修期間の合間にチャンスが訪れることはなかった。アメリカでの研修を終了した内藤は、ヨーロッパへも足をのばして各国の広告事情を視察した。
この留学体験で、クリエーティブの内藤は、アメリカの広告事情に精通した国際派の内藤というもう一つの肩書を背負うことになった。

(文中敬称略)

◎次回は5月17日に掲載します。

プロフィール

  • Uchida pr
    内田 東

    1938年東京都生まれ。早大文学部国文科卒。62年電通入社。本社宣伝技術局に配属され、キリンビール、三菱電機、アデランス、味の素などの広告キャンペーンに参加。朝日広告賞、毎日広告賞、カンヌ国際広告祭、全日本CMコンクール、日本雑誌広告賞などを受賞。電通中部支社マーケティング・クリエーティブ局長、目白大学社会学部メディア表現学科教授などを歴任。東京コピーライターズクラブ、日本広告学会会員。

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