電通を創った男たち #85

永遠のCM少年 内藤俊夫(2)

  • Uchida pr
    内田 東

what to say(何をいうか)が大切だ

 

アメリカでの研修で、内藤はアメリカのCMと日本のそれとでは骨組みが基本的に違っていることを肌で感じとった。その実例として、コカコ-ラのキャンペーンを挙げている。コークが世界へ発信した広告では“real thing”とうたったとき、日本では“real life”とアレンジされて成功した。「たくさんあるコーラの中のホンモノ」では日本では通じない。「ほんとうの暮らしを見つけよう」と訴えたとき日本人は共感を覚えるのである。

アメリカのCMでは商品の内容がよくわかる。日本のCMでは商品のある暮らしがよくわかる。この違いは市場での商品の多様化と関連して生まれてくる。アメリカのスーパーでの商品の銘柄の多さは日本の数倍になる。雑多な人種の集合体なので、それぞれの生活様式にマッチした品揃えを要求される。多くの商品群の中から消費者が選択する指針にするのがCMなのだ。アメリカのCMが、情緒や余計な文句を切り捨てて、商品情報や商品名の伝達に徹しているのはこのためである。日本は単一民族に近いから生活様式も同じで、商品の特性に大きな差異を必要としない。アメリカではCMの力だけで、消費者の手を自分の商品に届かせなければいけないのだ。だから他のブランドと自己のブランドを比較対照して、自己のメリットを強調する比較CMの手法が多く使われる。
EU(欧州連合)のCMには、表現は見られたが広告は少なかった。販売のためのCM技術は、やはりアメリカが一歩も二歩も進んでいると思った。

ヤマハピアノのCMは、内藤がCDで鈴森康則がプランナー(CMプランナーはCDの指揮管理のもと、CMの表現アイデアを考え企画を具現化する人)であった。クライアントがOKしたコンテの内容通りの映像を得るには予算があまりにも無さすぎた。予算的にはかなり無理でも、効果的なCMを制作すればクライアントのビジネスによい影響が出る。その跳ね返りに電通にリピートの仕事がくる。しかし制作を受けもつプロダクションは一作ごとに利益を出さなくては経営が成り立たない。ヤマハの制作を受けもった東洋シネマの阿部正吉は予算の隔たりにとまどったあげく、「ロケセットは、内藤さんの自宅をタダで使わせてください」と申し出た。「うーむ、仕方がない。いいよ」予算不足の弱みがあるから内藤もしぶしぶ承諾した。
杉並の松の木にある内藤の自宅は、にわか撮影所になった。狭い道に電源車が入り、15KWのライトが5台置かれ、カメラやレフ板などで室内はごったがえした。「宣伝写真を撮るから」といわれて気軽にハイといった奥さんも「こんなに大げさになるなら、OKしなかった」と撮影最中に内藤にぐちをこぼした。阿部は二人のもめごとを密かにに聞いてしまった。ヤマハのロゴがアップで終わるワンカット60秒のCMは、この日になんとか撮影をすますことができた。内藤は、いつかは具現化したいと心の奥底にあたためていたY&R社のお家芸であるワンカット手法でヤマハピアノのCMを制作したのである。

1974年、ガリバーのような電通と評して、タイム誌は電通が全世界の広告界でトップの座に立ったことを報じた。日本の高度経済成長と円切り上げによって、電通は急速に大きくなった。扱い高は9億5千万ドルで、アメリカの広告会社J・Wトンプソンの8億ドルを抜きトップになったのである。
このとき電通の海外作業は全扱い高の3%であった。

「社報電通人」1974年2月9日号に掲載されたタイム誌の記事
「社報電通人」1974年2月9日号に掲載されたタイム誌の記事

「交通安全キャンペーンの話をトヨタの彦坂(征男)さんからいただいて、いつもやることだが、これまでの交通安全の広告を調べました。日本にはあまり実例がなかったが、欧米には見応えのあるCMがかなりありました」。車いすに乗った有名スポーツ選手が起こした事故を悔いるCM。酒酔い運転の危険さを微塵に砕けるグラスで表現したもの。事故の補償に苦しみ続ける婦人の告白など…。モービル石油の1967年制作の交通安全キャンペーン「We want you to live生き続けてほしい」のCMもくり返し見た。「モービルは恋を応援します。ドライブも応援します。でも二つを一度にやらないでください。みなさんに長生きしていただきたいのです」と訴えたものだ。日本で制作されたモービルの交通安全のCMはさらにショッキングなものだった。ビルの上から車を落として、時速100kmでぶつかるとこれほどの衝撃をもたらすという実証広告である。しかしこれらは車メーカーが発信する性格のCMではない。運転免許証の書き換えのときに見るあの悲惨な結末を告げる映画と同じコンセプトだと思った。さらにボルボ、メルセデス、そしてGMと、できるかぎりの資料に目を通した。そして自動車メーカーの交通安全訴求は、世界にも前例がないということがわかった。

「アプローチは、基本的な商品の考え方と、具体的な表現制作のテクニックとのあいだにあるものだと思う」と、内藤はいう。アメリカのすぐれたCMをよく観察すると、いろいろなアプローチの技術が刺激されて生まれてきたことがわかった。「アプローチの技術を探る段階は、広告表現を制作する段階のなかでも、もっとも人間的なものだ。それが商品情報であれ、美しいイメージであれ、すべて人間の本性にふれる技術でなければ意味がない」。
「広告クリエーティブにとって、what to say(何をいうか)は、how to say(どのように表現するか)よりも大切だ」と言ったのは、オグルビー(David Ogilvy=現代広告の父といわれるコピーライター)である。

“現代広告の父” デイビッド・オグルビー
現代広告の父 デビッド・オグルビー

オグルビーのいうWhat to say(何をいうか)は、内藤がいうアプローチとまったく同一線上にあるものだといえる。企業や商品を取り巻く社会背景などをリサーチして、仮説を立てたり、存在価値や新しい意義を生活者に提案するのである。広告戦略の方向性を示すwhat to sayを掘り起こすまで、内藤はかなりの時間をかけて下調べに徹する。始めを間違えると終わりまで、間違いの地続きとなり、的外れの広告表現に到達してしまうから、丹念にことを運ぶ。

(文中敬称略)

◎次回は5月23日に掲載します。

プロフィール

  • Uchida pr
    内田 東

    1938年東京都生まれ。早大文学部国文科卒。62年電通入社。本社宣伝技術局に配属され、キリンビール、三菱電機、アデランス、味の素などの広告キャンペーンに参加。朝日広告賞、毎日広告賞、カンヌ国際広告祭、全日本CMコンクール、日本雑誌広告賞などを受賞。電通中部支社マーケティング・クリエーティブ局長、目白大学社会学部メディア表現学科教授などを歴任。東京コピーライターズクラブ、日本広告学会会員。

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