電通を創った男たち #89

永遠のCM少年 内藤俊夫(6)

  • Uchida pr
    内田 東

DCA社長に就任

 

1985年1月、国際CR局長に就いた。同じ広告クリエーティブの仕事をする部署だが、日本の企業が海外へ発信する広告を制作するところである。
この年の12月、東大演劇部0B会 第2回記念公演が三百人劇場でひらかれた。出し物は老人たちが余生を送るリヴィエール俳優養老院での悲喜劇をドラマチックに描いた“La fin du jour旅路の果て”である。老人問題がひんぱんにとりあげられている時であり、何より内藤たちが老人役を演じられる年代になったことが、この演目を選んだ理由である。「老いは、死よりもさらにおぞましい」(ボーボワール)を地でいった陰惨な集団劇で、内藤はドーボンヌ役を演じている。久しぶりの舞台で、役者としてつかの間の歓びを味わった。

1987年9月、ニューヨークのセントラルパークに隣接するエセックスハウスで、“グッドラック道岡さん、ウエルカム内藤さん”の社長交代パーティーがひらかれた。
ホストは電通木暮社長、送られる人は道岡嵩DCA前社長、迎えられる人は内藤俊夫新社長。宇川駐NY大使、フォーブス株主のマルコム・フォーブス氏、キヤノンの御手洗社長、日本航空の小澤米州支配人など著名人のゲストが297名も顔を揃えた。

DCA社長交代レセプションで。左は内藤新社長、右は道岡前社長
DCA社長交代レセプションで。左は内藤新社長右は道岡前社長

タイム、フォーチュン、ニューズウイーク、ABC、NBC、CBSなど各メディアの幹部も出席し、社側の出席者を含めて350名の大パーティーになった。
DCAは1971年創立のDENTSU CORPORATION OF AMERICAが前身であり、歴史は古い。電通がDYR(Dentsu Young&Rubicam)ニューヨークを買収した電通100%出資の 広告会社である。ロサンゼルスに支店をもち、社員は約100名余り。扱い高6,500万ドル、利益高でアメリカ広告界の中で120位のランクにいる。木暮社長は「電通海外事業の最重要拠点のひとつはニューヨーク」と考えていた。ニューヨークの広告業界での内藤の知名度は高い。事実内藤は、ニューヨーク広告協会8人の委員のうちの一人に選出されている。
キヤノンが全売り上げの80%を占めていたように、日本企業のアメリカ進出の先兵としての仕事がDCAの役割のほとんどであった。さらに日本航空、資生堂、ミキモト、ワコール、サンヨー商会など日本企業のクライアントが軒並みである。ニューヨークの広告会社なのだから、日本の企業の出店ではない真のアメリカの広告会社にならなければいけない。内藤は、近い将来、ブルーチップ・カンパニー(blue chip company=収益力や成長性にすぐれた、アメリカを代表する優良企業のこと)を奪取して、DCAのクライアント・リストに加えることが最大の課題だと思っていた。

1988年プラザホテルでニューヨーク広告協会主催のパーティーがひらかれた。そこへDCAのナンバーワンクライアントであるキヤノンの御手洗社長が顔をみせた。営業担当の松岡路也が「御手洗社長が…」と、すっ飛んできた。内藤は一瞬とまどいの表情を見せたが、「いま広告協会の委員としての仕事で手が離せないから」と眼鏡の奥の眼球をキラッと光らせた。DCAをアメリカの広告会社だと認めてもらうためには、ニューヨーク広告協会の委員の仕事を全うすることが先決だと判断したのだ。日本の会社の出先機関ではなくて、このニューヨークでしっかりと根を下ろしたアメリカの広告会社になるという不退転の決意が、身体にみなぎっていた。遠くを見据えたゆるぎない信念である。
協会の委員の仕事をすませた内藤は、御手洗社長の前にきて、「お出迎えもできず失礼しました」と頭をさげた。

マンハッタンのグランドセントラル駅まで電車で40分ほどのスカースデールに住まいを設けた。日本やヨーロッパからの駐在員が多く住み、日系の食材店や美容院、レストランが点在する閑静な住宅街である。

スカデールの街並み
スカースデールの街並み

信子夫人、長女あづさ、次女ゆかり、それに杉並の自宅から連れてきたオスの雑種犬ボイの、4人と1匹のファミリーである。ボイは庭いっぱいに広がる緑の芝生の匂いが大好きだった。芝生に紛れこんだスカンクにちょっかいを出し、プッと一発放たれて、こびりついた悪臭を消すのにたいへんな思いをしたこともある。内藤は、娘たちへ、「日本での勤めを辞めてアメリカに連れてきたのだから、1年間は面倒をみる」と気遣った。二人は口を揃えて「貯金があるから迷惑はかけない」といった。

(文中敬称略)

◎次回は6月6日に掲載します。

プロフィール

  • Uchida pr
    内田 東

    1938年東京都生まれ。早大文学部国文科卒。62年電通入社。本社宣伝技術局に配属され、キリンビール、三菱電機、アデランス、味の素などの広告キャンペーンに参加。朝日広告賞、毎日広告賞、カンヌ国際広告祭、全日本CMコンクール、日本雑誌広告賞などを受賞。電通中部支社マーケティング・クリエーティブ局長、目白大学社会学部メディア表現学科教授などを歴任。東京コピーライターズクラブ、日本広告学会会員。

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