電通を創った男たち #96

未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(5)

  • Enbutsu profile
    圓佛 誠孝

発端

 

「新しい事業は夢で始まり、情熱で育つ」といわれる。ISIDとその前身電通TSSは大竹の情報通信事業への夢無くして始まることなく、また大竹の情熱無くして離陸発展することもなかっただろう。情報通信という言葉すら存在せず法制上は不可能だった時代に、TSS事業化に大きな夢を描いたきっかけはなんだったのだろう。
大竹自身の回顧談によれば昭和43(1968)年、ある視察団への参加が契機だった。前年に第四連絡局長のまま取締役に就任したばかりの大竹は、早春のある日、日比野社長に呼ばれコンピューター関連の訪米視察団への参加を命じられる。コンピューターには全くの門外漢だった大竹は「専門部署の人がいいのではないか」と一旦は断るが社長に「これからはコンピューターの時代だ。むしろ素人の君が行ったほうがいい」と言われる。大竹は反論できず視察団に参加する。日本生産性本部と日本経営情報開発協会が共催する「訪米情報産業特別調査団」がそれだった。団長に北川一栄住友電工会長、団員は大竹のほか日本を代表する企業、団体の役員に通産省企業局長、郵政省参事官が加わり総勢28名。いずれも後に日本の情報通信分野を担って活躍するそうそうたるメンバーだった。その中に松下通信工業開発部長の唐津一がいた。当時既に情報化推進の第一人者だったが成田社長時代の平成6(1994)年、電通の顧問になっている。大竹は9月下旬から約3週間の視察期間中、「唐津さんを師と仰ぎ、くだらぬ質問を繰り返しては教えを受けていた」と述懐している。

調査団がワシントン郊外にあるGE訪問の時、大竹は初めてTSSのデモを見ている。TSSつまりタイム・シェアリング・システムまたはサービスはコンピューターの比較的遅い入出力と速い情報処理の時間差をうまく利用した使い方であり、高価なコンピューターを通信回線を経由して複数の利用者が同時に共同利用する。コンピューターはその処理時間を細かく分割し、その一つを一利用者に割り当てて処理をし、次々に多くの利用者の情報処理をしてゆく。利用者は通信回線経由コンピューターに接続しあたかも自分がそれを専有しているかのように使いながら、実際には多くの利用者と共同利用している、という方式だ。時分割処理とも呼ばれた。将棋の名人が素人数人を相手に同時に将棋を指す有様に似ている。初期のTSSはセンター同士がネットワークされておらず、ローカルTSSと呼ばれた。GEのMARK-Iがそれである。

GE情報サービス事業部
GE情報サービス事業部
GE TSS室
GE TSS室

GEはコンピューター製造販売の傍らTSSを事業化した先駆的企業だった。アイビーリーグ校のダートマス大学が全米科学財団(NSF)からの資金援助とGEからのハードウエア提供を受けて開発したシステムを昭和40(1965)年に商用化した。
全米17カ所のセンターに30台の中型コンピューターを設置して約2,000社の顧客があり端末機の数は6ないし8,000台、利用者数5万人、という規模の説明に大竹はGEの情報サービスへの意欲と実績を実感していた。電話さえあればコンピューターをどこからでも使えるという画期的な技術は、唐津の言葉を借りれば「大変な文化的ショック」だった。GE見学後、個別に話したいとGE側の責任者に名指しをされた。「GEはTSSを日本でも普及させたいと思い複数社を打診したが芳しい反応がなかった。ある人から電通という会社が適切な提携先を紹介してくれるのではないか、と言われたがどうだろうか? 後日、GEジャパンの社員をうかがわせるのでよろしく」ということだった。唐津が大竹に何の話だったのかと聞くので、打ち明けると唐津は「TSSはいい。技術的にも将来性があるが、いま日本では電電公社とIBMくらいしかやれそうにない。広告会社のツールとしても向いている。ぜひおやりなさい」と熱心に勧めた。

その後1年以上も音沙汰なく、昭和45(1970)年1月になって、ようやくGEジャパンと本社の役員が電通本社へやってきて大竹と面談した。大竹が例の提携先斡旋の話かと思いきや、先方は「その後いろいろと調査したが、電通はどの企業グループにも属さず中立的立場であり、トップ企業の多くと取引がある。また業態がTSSと同じサービス業である。GE製大型コンピューターのユーザーであり社内TSSも研究していると聞いた。ぜひパートナーを組みたい」という。TSS事業について詳しく知るべくもなかったが、大竹は日比野社長の言葉や、自分のかねてからの持論である「電通は広告業からコミュニケーション産業に転身すべきだ」との思いから何かひらめくものがあった。調査団での見聞や唐津の言葉も思い出された。またこの年2月、日比野社長が年度重点施策の第一に掲げていた全社経営情報システムの開発を目指すシステム開発委員会が発足し、大竹は副委員長兼システム開発専門委員会委員長に任命されていて、コンピューターの高度利用に強い関心を持っていた。一緒に話を聞いた嶋田喜五郎常務も電算室担当という立場と持ち前の先見力から何か感じるものがあり関心を示した。二人の思いが共振して合意し、当時の日本には存在しなかったTSS事業に進出する話をGEと継続することになった。

約1年間、数次にわたる面談を通じ、日本でのTSS開業への道筋の合意が徐々に形成されていった。
一方で、GEは昭和45(1970)年5月、「コンピューターの製造販売事業をハネウェル社に売却して撤退する。但しTSSによるコンピューターパワーの提供サービスはより強化して継続する」という衝撃的な発表をした。これはGEのハードからサービスへの本格的戦略転換の宣言であり、大竹にとってはその年実施した欧州TSS事情の調査結果とともにTSS事業への確信を深める出来事だった。

(文中敬称略)

◎次回は7月12日に掲載します。

プロフィール

  • Enbutsu profile
    圓佛 誠孝

    1935年福岡県生。米国ダートマス大学工科大学院機械科卒。新三菱重工業、三井三池製作所を経て71年電通入社、TSS局勤務。75年ISID設立に伴い出向、営業技術部長、CAE事業部長など歴任、82年取締役、90年専務取締役、91年ISIDへ転籍、98年顧問、2002年退社。85年より学校法人大牟田学園理事長(現任)

バックナンバー

関連記事

続きを見る
ページ先頭へ