電通を創った男たち #97

未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(6)

  • Enbutsu profile
    圓佛 誠孝

通信規制緩和をにらんで米GEと交渉

 

この時期、GEは既にローカルTSSのMARK-Iの後継サービスとしてMARK-II国際コンピューターネットワークサービスを販売していた。米国のコンピューターセンターを国内・国際通信ネットワークを介して米欧15カ国約200都市のサービス拠点とつなぎ顧客は端末機を電話網により最寄りのサービス拠点に接続してセンターを遠隔利用するという仕組みだ。高度な情報処理基盤として顧客が本格的な業務システムを構築し、それを従量制料金で運用できるサービスでGEはこれを電力やガスの供給になぞらえてコンピューター・ユーティリティー・サービスと呼び注力していた。このMARK-IIを日米欧の顧客に提供することは経営上も大きな合理性があった。米国内のセンターを大きな時差のある日本と欧州の顧客も使えば、国際業務における利便性に加え、センターの稼働率の大幅向上ができ経営的にも有利なのだ。GEは早くからその実現を企図していた。

TSSの事業化に必須の通信回線は、このころ、明治時代に制定された公衆電気通信法の下にあった。通信は国家事業であり国の代行者であるNTTとKDDだけに他人の通信の媒介をさせる、という精神だった。ただ東京オリンピック時、競技データのオンライン・リアルタイム処理を行ったのをきっかけに、国内外の情勢から郵政省が専用回線の規制緩和には前向きの姿勢を示すようになっていた。産業界や通産省も規制緩和を求めていた。電通もあらゆるチャネルを使い動き始めていた。大竹自身、GE情報サービス事業部長のセージを伴って郵政省トップへ直接アピールしたこともあった。規制緩和への動きをにらみながら、両社は1年近く話し合いを続け、段階を踏んでTSSを導入することで合意した。この間、東芝からGEとの提携に参加したいとの申し出がありGEもそれを希望するという事態があった。しかし大竹は電通単独でのスタートを断固主張し、結局GEも折れてそれを了承した。GEが電通をどのように見ていたかが窺える挿話である。

昭和45(1970)年12月、電通とGEが協力して日本におけるTSS事業を確立する決意を示す「同意書」の調印が電通本社で行われた。電通側は大竹が、GE側はセージが署名を行った。当時GEは既にMARK-II国際ネットワークサービスを行っていたが日本では電話網が法的に使えなかったため、まずは専用回線で提供可能なMARK-Iを技術提携により開始することになった。そして通信回線自由化と外資規制の緩和・撤廃を待って合弁会社によるMARK-IIとその後継サービスを提供するということも紳士協定の形で大筋合意が見られていた。この同意書を受けて、具体的な契約の交渉に入っていった。

電通としては初めての外資、しかも名だたるグローバル企業のGEとの交渉だったが、顧問弁護士を依頼したトーマス・ブレークモア弁護士事務所に負うところが大きかった。当時、電通取締役だった松本重治が紹介した。ブレークモアはマッカーサー総司令部法務部勤務の経験もあり東京裁判にもかかわった日米で信頼される敏腕弁護士で弁護士としての支援を的確に行った。ブレークモアの参画で大竹も安心して交渉に当たることが出来、またGEも電通を見直す感触があり、両者の交渉がよりスムーズでレベルの高いものになった。面白いことに、後に電通・GE間で締結することになる合弁会社設立契約の交渉ではGEがブレークモアを顧問弁護士としている。

昭和45(1970)年12月と46(1971)年4月の2回にわたり電通常勤役員会でGEとの提携契約の内容、事業計画、財務試算などの説明を行い、承認された。この時のことを大竹の盟友で当時役員だった吉岡文平は「説明を聞いても当時の役員で内容を理解できた方は少なく、(中略)あたかも群盲象を撫でる状況で、最終的には、竹さんがやりたいと言っているのだからやるしかないだろうということになりました」と述べている。役員会承認を受けて昭和46年6月には契約書の調印が行われた。郵政省、通産省、大蔵省への技術援助契約締結認可申請書が出され審査中の7月6日ハプニングが起きた。日経夕刊の1面トップにスクープされたのである。しかも申請にはない「別会社としてGEと合弁」との記事である。政府認可への影響を憂慮した大竹は直ちに日本経済新聞社に事実との相違点を示すとともに通産省、郵政省に事情説明をした。このニュースにマスコミは沸き立ち電通に取材申し込みが殺到した。事態の鎮静化の必要を感じた大竹は自宅に帰らずホテルの1室にこもって取材をかわした。幸いこの騒ぎに関係なく、政府の認可が7月16日におりた。同年9月には通信回線の第一次開放と言われる規制緩和が実施され、郵政省は電通が提出したMARK-Iサービス用特定通信回線(専用回線)の申込書に認可を与えた。

MARK-Iシステム
MARK-Iシステム

民間TSSとしては第1号であった。電通のMARK-I導入が回線開放の後押しをしたのは明らかだった。しかしながら、欧米並みの電話網でのサービスはさらに2年後の第二次開放、すなわち広域時分制(それまでの定額料金制から3分10円の従量制料金となる)の全国導入を待たねばならなかった。

(文中敬称略)

◎次回は7月18日に掲載します。

プロフィール

  • Enbutsu profile
    圓佛 誠孝

    1935年福岡県生。米国ダートマス大学工科大学院機械科卒。新三菱重工業、三井三池製作所を経て71年電通入社、TSS局勤務。75年ISID設立に伴い出向、営業技術部長、CAE事業部長など歴任、82年取締役、90年専務取締役、91年ISIDへ転籍、98年顧問、2002年退社。85年より学校法人大牟田学園理事長(現任)

バックナンバー

関連記事

続きを見る
ページ先頭へ