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仕事という名の冒険No.2

コロンビアの書籍王に会いにいく

2015/07/30

絵/堀越理沙(電通 第4CRプランニング局)

 

前回は、BIGという言葉を数多く使いながら、圧倒的な時間軸・空間軸でものを考えるロンドンのモダンアート美術館長の話でした。拙著「仕事という名の冒険 世界の異能異才に会いに行く」(発行:中央公論新社)から、今回は自らのミッションをその国に生きる人々の日常を変えるところに設定したコロンビアの書籍王の話です。


カンヌで審査をやったとき、僕が担当した部門はコロンビア人が審査委員長を務めた。彼とは宿泊しているホテルが一緒だったので、朝食のときには毎日顔を合わせた。
ある日一緒に食べていたときに、僕はこう切り出した。「自分は建築が好きで、コロンビアのメデリンという麻薬汚染地区に去年できた図書館が素晴らしいと思う、最近では一番好きな建築物かもしれない」。
その図書館は、「識字率が低く教育環境が劣悪なために、麻薬の栽培や流通に手を染めるしかない人たちが楽しく集える場をつくろう」という目的で建てられたもので、ブラックのシンプルかつ景観にとてもよく映える図書館だ。麻薬汚染という課題に対して、図書館という解決策はアイデアにあふれている。

その話をしたとき、彼は、なぜ極東の島国の人間がうちの国の図書館について知っているのかと驚き、そして続けた。あれは自分がやったものだと。
政府と交渉して土地の提供を受け、事業に対する許可を得られたが、政府はそれ以上のことをやろうとしない。だから自分が民間人から寄付を集め、自らも多額の寄付を行ってつくったのだと言う。同時に、本を集める方法も彼が考えたらしい。その方法が優れている。

人が亡くなると、お金については家族や親戚で話し合われ分与されるが、遺された本はどうしてよいかわからず、ただ処分される。それは国としての文化の消失につながる。そこで彼は、人が亡くなった後に遺された本は図書館に所蔵されるというスキームをつくった。
そこは、図書館というよりも文化を保全し蓄積する場所となり、人が集い、楽しみながら字を読むことを覚え、知らず知らずのうちに知性を獲得する場になっているという。

何より、麻薬という媒介を通さずに、人と会う機会や場所が生まれたことは賞賛されるべきであり、よく機能した課題解決策だと思う。政府との交渉ごとを粘り強く続け、知の流通の仕組みから変えることには想像を絶するタフさを要するはずだし、それをやりきっていることは大きく賞賛されるべきことだ。

その年カンヌで、彼が委員長として打ち出した審査の基準は「勇敢さ」だった。
この社会において、クリエーティビティーが目指すべき方向性を「勇敢さ」とすること自体、じつに勇気のいる行為だ。オールドファッションに聞こえるし、ともすればクリエーティビティーという一般的にはクールでかっこいいことがもてはやされそうな世界において真逆をいくことにもなりかねない。
しかし、それは彼自身のライフワークからにじみ出た言葉だった。

今の流行りでなく、「自分が委員長であるということはこういうことだ」という、彼の人生をかけた言葉であるがゆえに、とてもすがすがしかった。
僕ら審査員は彼の言葉に感銘を受け、あまりごたごたした議論をせずにその基準でひたすら突っ走った。審査委員長が明確な方針を出さない場合、審査員がそれぞれ勝手に動いて、ばらばらな基準のままで進んでいくことが不幸にも起きる場合がある。それぞれは、その国の猛者中の猛者なのだ。そう簡単に手なづけられない。しかし、そのときの審査は驚くほどスムーズだった。彼の人間力とその発露する方向性がそうさせたのだ。

一生を賭してやっていることの重みは伝わるものだ。
仕事をやっていくなかで影響力を高めていこうとするときには、力のあるパートナーを巻き込む必要がある。そしてそれができるかどうかが大きな手腕となる。

もちろんいろいろなやり方があるだろう。しかしながら、結局は手法ではなく、その人が発する言葉の重みに帰結してしまうものだ。重みが出るには、背負わなくてはならない。さまざまな人の人生、思いを背負ってきた人間だけがそれをもつことができる。
背負う。この昔からある簡単な言葉が今もつ意味の前で、僕らは試されているのだと思う。


次回は、アジアをまたにかけて活躍するアクターの話です。お楽しみに。