電通を創った男たち #105

電通営業マンの代表
根本軍四郎の生涯(4)

  • Matsuura chosya
    松浦 一夫

電通時代〈2〉 営業局長就任

昭和58(1983)年4月には連絡局新編成が実施され軍四郎は銀座第二連絡局長に昇格した。銀座第二連絡局は旧第三連絡局と旧第七連絡局の一部が合併され新しく生まれた寄り合いの大所帯であった。担当広告主は三菱グループ各社のほか、服部セイコー、日本水産、雪印乳業、三菱鉛筆などであった。
全局員を前にした軍四郎の局長就任第一声は「仕事は基本に忠実に、仕事には今一歩の踏み込みを、仕事にあたってはチームづくりと和が大切である、そして明るく風通しの良い局をつくろう」であった。決して高々とファンファーレを鳴り響かせるでもなく、むしろ静かなゆっくりとした語り口であったが、それだけに聞く者の心には沁み透るものがあった。

局長に就任した軍四郎は早速局の体制づくりに取り組んだ。まずは寄り合い所帯である新局の融和を図る必要がある。二人の局次長にはそれぞれ数部ずつの連絡部を統括させ、局長の意を体し連絡部長・局員との意思疎通を計る。そのためにも局長と局次長は常に接触を保ち局の方針を共有する。軍四郎自身の経験から決して局次長を有名無実の存在にはしない考え方である。部長は担当する広告主のニーズを把握し的確な広告戦略を立案、局次長を通し局長に具申する。部長から話を聞く時は必ず局次長を同席させた。幹部会議(局長、局次長、部長が出席)も早朝頻繁に行われた。局次長が司会役となり各部長から現況報告がなされる。「隣は何をする人ぞ」的な雰囲気は全くなかった。しかし常に難しい話ばかりをしていた訳ではない。和気藹々、お笑いの内に会議が終了することも珍しくはなかった。

局長時代の軍四郎

軍四郎は部下からの報告を元に自らも担当広告主の分析を行い、各得意先トップ、キーマンのキャラクターから趣味に至るまで丹念に情報収集し記録していた。軍四郎が亡くなった後、長男の俊太郎が遺品を整理していて父のDEN-NOTEを見つけた。そこには几帳面な文字でギッシリと得意先の詳細な情報やトップのキャラクター、趣味がメモされていて驚いたそうである。

軍四郎のDEN-NOTE。「ひろった方に…」の書き込みに彼らしいユーモアがあふれる

基本的な営業方針が決定し実践に移されれば軍四郎は細かなことまでは口を出さず現場に任せるタイプであった。いざという時は自分が責任をとればよいとの考えだったのであろう。種々報告を受ける時も「良い報告と悪い報告があれば、悪い報告から先にしてくれ」が常であった。得意先との間で問題やトラブルが起きた時も「言い訳はしなくていいから起こった経過だけ簡潔に説明しろ、とにかくお得意さまに謝りに行くのが先決だ。謝りに行くのは早ければ早いほどいいんだ。俺が謝りに行くタイミングをつくってくれ」。そして得意先では誠心誠意詫び、決して責任逃れはしなかった。ミスを犯した者に対しても万座の中で強く叱責したり、大声でどなりつけることはなく、局次長を交え、部長と3人で話し合った。「起こってしまったことは仕方がない、失点をどう挽回するか、いかにしてお得意さまの信頼を回復してゆくかを第一に考えよう。但し同じミスを二度犯すのは駄目だ、何事も勉強だよ」と諭した。

局員の勤務考課については厳しいものがあった。見ていないようで局員のことはよく知っており、考課会議で部長が自分の部員に対して行ういい加減な甘い考課は決して許さなかった。「真面目に仕事をし、結果を出した者はそれなりに評価されねばならないし、そうでなかった者は、そうなるように正しく指導してやるのが上に立つものの務めだ」と戒めた。

担当役員の承認を必要とする申請書はすべて局次長二人に任せ、質問にも答えさせた。また、期初に行われる活動計画会議(局長。局次長、部長が出席し担当役員に局の活動計画を説明する)でも進行役は局次長、各部の活動計画はすべて部長に説明させた。軍四郎自身の発言は冒頭と締めに行う要を得た二言のみである。冒頭は「はい、はじめましょう」、締めは「はい以上です。それじゃあこれで終わりましょう」。この止めの一発は役員の部長に対する執拗な質問攻めを防ぐ見事な効果を発揮した。もちろんこれは、局次長、部長が軍四郎の意向を理解し充分な意志の疎通があったればこそ出来る芸当であり、部下としては任される有難さと、それなりの緊張感もあった。軍四郎はそれを承知の上で自局の局次長、部長の働きぶりを役員にPRしていたのであろう。実に人遣いの上手な名コンダクターであった。

軍四郎は営業活動にあたって3つの「ワーク」を局員に指示した。


  1. フットワーク お得意さまには足繁く通い、コミュニケーションは原則としてフェース・トゥ・フェース、一早くお得意さまのニーズをつかむこと。
  2. ヘッドワーク お得意さまの情報・ニーズを把握したなら、それに対応し、一歩踏み込んだ戦略を早期に提案すること。
  3. チームワーク 戦略作成にあたっては社内各局に協力を求め、課題に対応したプロジェクトチームをただちに立ち上げ、作業推進は和をもって行うこと。

以上であった。

広告主に対する競合プレゼンテーションも多岐にわたり、数々行われたが、いかに根本局とは言えすべてに勝利出来るほど甘くはない。競合相手に敗れることもある。プレゼンテーションに際してはもちろん事前に軍四郎も局次長も意見を求められる。あまりに方向性が違っていると思われる場合は疑問を呈することもあったが、プレゼンテーションチームの中心はあくまで営業部長であり「君が一番経緯については把握しているんだから、自分がこれだと確信を持ったらそれでゆけばいい」と実施にあたって迷ったり、疑心暗鬼におちいることを嫌った。「これぞと決めた以上は自信を持ってプレゼンに臨め」ということである。結果不幸にして敗れた場合もくどくどした言い訳や報告を好まなかった。営業部長の責任をネホリハホリ追求するよりも、敗因を明確にし常に先の対策を求めた。次回に、顕著な一例をあげたい。

(文中敬称略)

◎次回は9月26日に掲載します。

プロフィール

  • Matsuura chosya
    松浦 一夫

    1934年生。上智大学経済学部卒。59年9月電通入社、第3連絡局連絡部長、銀座第2連絡局次長、入船第3営業局長、アド電通東京社長などを務め、2006年退職。

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