電通を創った男たち #106

電通営業マンの代表
根本軍四郎の生涯(5)

  • Matsuura chosya
    松浦 一夫

電通時代〈3〉 営業局長時代

1980年代、多くの企業にCI(コーポレートアイデンティティー)ブームが起こると、東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)でも「CI計画」が実施されることになり、有力なCI専門会社との競合プレゼンテーションとなった。CIのエキスパートと言われた同社のプレゼンテーションは敵ながら見事なもので残念ながら電通は完敗した。

担当営業部長は大叱責を覚悟して軍四郎に報告した。しかし軍四郎は「敗けたものは仕方がない。問題はCIのベーシックデザイン以降それをどう展開させていくかだ。電通が充分本領を発揮出来るジャンルがあるはずだよ、そこで勝負しよう」と指示し、直ちに協力局からCIの専門知識に明るいスタッフを集めプロジェクトチームを立ち上げさせた。一方、自らも得意先のキーマンである役員と接触し電通の立場を説明、「アプリケーション作業3カ年計画書」を作成、プレゼンテーション実施にこぎつけた。結果、テレビCM製作、マスメディア広告をはじめ種々のアプリケーション作業の扱い獲得に成功、数年にわたり大きな売り上げ数字をあげることが出来た。もし、最初のプレゼンに敗け営業部長が報告にきた時、「馬鹿野郎、なにをやってるんだ、お前は!」と怒鳴りつけるだけで、後の作業の指示をしなければ、このような好結果は生まれなかったであろうし、営業部長も立ち直れなかったかもしれない。

また、局長の出番についてはこんな話がある。やはり局の重要広告主であった雪印乳業が女子プロゴルフトーナメントを始めようと予算の計上を行っていた時、なかなか担当副社長のOKがとれず作業の進行が暗礁にのりあげたことがあった。宣伝部長からも「根本局長の出番です、副社長に会ってください」とのSOSが入った。軍四郎は求めに応じ、得意先に副社長(ゴルフのハンディキャップはシングル、ゴルフには一家言ある人物)を訪れ「プロモートや、予算の話は現場が充分やっているんだからまた俺が同じ説明をしたんじゃうるさがられるだけだ」と開口一番「副社長、御社と電通で雪印レディスゴルフを立派な素晴らしいトーナメントに育て上げてゆきましょう」結果はその場で数億円の予算計上がOKされた。先様のキャラクターを充分理解した上での根本流のセールス・トークであった。

キリンビールはブランドごとに競合が行われ担当する広告代理店が決められていたが、1990年当時メイン・ブランドである「ラガー」に関しては残念ながら他店の扱いであった。しかし、予定していた大型キャンペーンがスタートして間もなく、出演タレントの不祥事により、新キャンペーン提案のチャンスが電通に回ってきた。新企画を提案するには期日もなく決して楽な作業ではなかったが軍四郎は「キリンさんの要望に応えよう。お得意さまが困っている時にこそ、役に立つのがわれわれの仕事だよ。今、全力を挙げてこの仕事に取り組まないとラガーの扱いは二度と、獲れないかも知れないぞ」と直ちに社内プロジェクト・チームを立ち上げ、まずクリエーティブ局に対し社内競合することを申し入れた。かなりの抵抗にあったが、軍四郎は関係筋を根気よく説得、実施にこぎつけた。しかし、短時間ということもあり当初中々これといった案が出てこない。時間だけが過ぎてゆき、得意先からは連日矢の催促がある。

ちょうどその頃、日本オリンピック委員会 (JOC)が、バルセロナ・オリンピックに向けた「がんばれ!ニッポン!キャンペーン」でビール飲料メーカーのスポンサーを解禁することになった。得意先に打診すると「面白い。前向きに検討するが、これまでのオリンピック協賛キャンペーンとは一味、二味違った企画を提案してもらいたい」との意向であった。軍四郎は「電通社内の調整はすべて俺がやるから、ビックリするような斬新なクリエーティブアイデアを考えろよ」と指示を出し自らは精力的に社内関係各方面の説得に務めた。クリエーティブ局も全力を挙げて新企画づくりに集中、協力を惜しまなかった。

そして2月中旬にはキリンビールの社長が出席されるという異例のプレゼンテーションが行われ、高い評価を得てオリンピックの「がんばれ!ニッポン!」協賛キャンペーンが採用された。同キャンペーンはその後2年以上続く長期キャンペーンとなり、キリンビールの取り引き拡大の礎となった。
「安受け合いはしない、しかし一旦引受けたことは必ずやり遂げる」このような軍四郎の営業姿勢が主要広告主トップから絶大な信頼をかちえ、メイン・エージェンシーとしての地位を確立していった。軍四郎が取引先トップの信頼を得るために、常日頃からひとしれず努力を続けていた結果であろう。

一方、社内では役員に対した時でも、自分が正しいと思ったことは決して譲らず、部下をかばう時は徹底してかばった。巧まざるユーモアとジョークで最後には役員も思わず笑ってしまい「根本の言うことだ、まあ仕様がないか」で幕が下りることもしばしばだった。

 

入船第一営業局のゴルフ大会で局員に囲まれる軍四郎。

 

傑作だった一例がある。軍四郎が入船第一営業局長(職制改正による)時代のことである。当時は各営業担当常務が、それぞれ4局ずつの営業局を統括していたが、入船第1、2、3、4営業局担当役員はべらんめえ口調の雄弁家で知られる藤井睦夫常務だった。毎週月曜日午後12時~1時まで昼食を摂りながら担当営業局長会(関係クリエーティブ局長・局次長、マーケティング局次長なども出席)が常務室で開かれていた。筆者(松浦)も入船第3営業局長として出席していたが常に藤井のワンマンショーで会議が1時間を超えることもしばしばあった。ある時、藤井が「今日は俺はしゃべらねーから、お前たち普段思ってること、言いたいことがあったら言ってみろ」との趣旨で会議か始まったが、結果はいつもと同じで藤井の演説に終始した。そしてベテラン局長として存在感のあった軍四郎に「おい根本どうだ、何か言いたいことがあったら言ってみろ」と鉾先がむけられた。それまで瞑目してジッと話を聞いていた軍四郎がやおら「お言葉ですが」と口を開いた。
藤井も「うっ、これは何か根本のやつ、文句があるのか」と身を乗り出したが、やや間をおいて例のゆったりした調子で軍四郎がはなった一言は「誠に、おっしゃる通り―であります」これにはさすがの藤井も二の句がつげず、思わず吹き出してしまい会議終了となった。お蔭でわれわれも、それ以上常務の長口舌にさらされることなく無事、自局に帰還することが出来た。後刻、藤井も「根本のやつには、かなわねーな」と苦笑していた。

もう一つ、根本語録を紹介したい。私事になるが筆者が根本局の局次長から入船第3営業局長に昇格した時のことである。軍四郎は次のようなアドバイスをくれた。

「局長ってのは、局員が担ぐ神輿に乗っかってるようなもんだヨ。松っちゃん今迄は担ぐ方だったんだけど、今度は担がれる方だからネ。具合よく担がれるためには担ぎ甲斐のあるしっかりした神輿を作ってやってさ、神輿の進む方向だけはしっかり指示してやる必要があるし、神輿がなんかにぶっつかった時は、自分が責任をとってやらないといけないよネ。なにしろ担ぎ手をその気にさせて喜んで担いでもらうことが大切なんだよ。担がれる方もそれなりに気を使わないとネ。結構担がれるのも難しいもんだョ。いい気になって、ただのほほんと担がれてたんじゃいつ振り落とされるかわかんないからさ、アハハハハハ」このアドバイスは今でも筆者の心に残っている。

(文中敬称略)

◎次回は9月27日に掲載します。

プロフィール

  • Matsuura chosya
    松浦 一夫

    1934年生。上智大学経済学部卒。59年9月電通入社、第3連絡局連絡部長、銀座第2連絡局次長、入船第3営業局長、アド電通東京社長などを務め、2006年退職。

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