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新しい防災、はじめます(2)

2015/09/01

有識者に聞く“これからの防災対策”

 

#1 災害レジリエンスの高い社会とは

私たちが目指す災害レジリエンス(強靭さ、回復力)の高い社会を実現するには二つのポイントがあります。一つは、建物やインフラなどで構成される都市の住環境の信頼性を高めること、もう一つは、それを利用する人々の信頼性を高めることです。

例えば、突然の火山噴火は大変危険ですが、私たちは日頃は温泉を楽しんだり、地熱を利用したり、美しい景色を楽しんだり、火山からさまざまな恩恵を受けています。私たちに被害や障害を与える脅威は同時に私たちに恵みも与えているのです。ゆえに、ある局面におけるマイナスだけを取り上げ、多様なプラスの部分を捨てることは合理的ではありません。社会の災害レジリエンスを高くすることによって、障害を減らしベネフィットを増やすこと──防災対策をそのように捉えることが重要です。

防災対策にかけられる時間も資源も有限なので、適切な優先順位付けが必要で、通常はリスクの大小をその指標とします。リスクはハザードとバルネラビリティーの掛け算で表されます。ハザードは外力の強さと広がりに発生確率を掛けたもの、バルネラビリティーは日本語では脆弱性と訳しますが、分かりやすく言うと、ハザードの影響を受ける範囲に存在する弱いものの数です。結果的に、リスクは被害の規模と発生確率の積になります。そのため発生頻度の低い巨大災害の優先順位は低く評価されがちですが、ここには落とし穴があります。リスクの大小によって優先順位を付けてもいいのは、災害の規模が事後対応できるサイズまで。その規模を超える災害は、事後対応のみでは復旧・復興できないのです

ですから、その災害が起こるまでの時間を有効に活用し、被害の規模を自分たちの体力で復旧・復興できるサイズまで縮小することが重要です。現在発生が危惧されている南海トラフ沿いの巨大地震や首都直下地震による被害は、まさにこの規模の災害であり、政府中央防災会議によればわが国のGDPの4割から6割を超える規模です。私はこのような規模の災害にも対応可能な事前対策と事後対策を組み合わせた「総合的な災害管理」を提唱しています。


#2 災害イマジネーション 想像力が対応力に

市民レベルでも行政レベルでも適切な防災対策の立案・実施ができない背景には、二つの負のスパイラルがあります。一つは、「何が起こるか分からない→だから何をやっていいか分からない→だから何もやらない」、もう一つは「何が起こるか分からない→だから適切な防災対策が分からない→だから十分な効果が挙がらない」というもの。いずれにしても、最初に「何が起こるか分からない」があり、この解決が最重要といえます。

これまで皆さんが経験してきた「Aをやれ、Bをやれ、Cはやるな」などの避難訓練や防災訓練は思考停止につながります。いまだに「グラッときたら火を消せ」と言っている原因がここにあります。現在は地震時自動停止システムがあるので激しい揺れの最中に火を消す必要もないし、この行動はやけどなどの危険性を高くします。近くのテーブルの下に逃げ込むことも、調理中の鍋などが落下してくることを考えるととても危険ですが思考停止の人は疑問を感じることもなくその行動をとる。

重要なのは、季節や天候、曜日や時刻、自分の位置や役割など、発災時の諸条件を踏まえた上で、時間の経過とともに自分の周りで何が起こるかを具体的に想像する力を高めることです。私はこの能力を災害イマジネーションと呼んでいます。人間は自分が想像できないことに対して、適切に備えたり対応したりすることは絶対にできません。災害イマジネーションに基づいて、事前には自分が抱える防災上の課題の抽出とその解決策の実施、発災後は時間先取りで自分が直面する状況を予想し、その状況が改善される行動をすることによって、自分が受ける災害を最小化できるのです。


#3 平時利用の延長に有事の利用法がある

防災対策だからといって、災害をあまりに強調することは得策でありません。継続性や効率性を考えると、防災に関わる活動やシステム、さまざまな製品などは平時利用の延長上に有事の利用法があるように考えるべきです。「10年に1回あるかないか」のためだけの備えでは動機も高まらないし、使い慣れたものでなくては有事に使えません。そういう意味でも、「防災を特別視しない、いつもの暮らしに安心をプラス!」という「+ソナエ」の考え方には共感できる部分が多い。新しい考え方には新しい言葉が必要で、+ソナエという言葉もその一つです。

災害用の備蓄も同様です。行政に公費による大量の備蓄を依頼する前に、一般家庭を対象に、日常生活のために冷蔵庫や収納庫にある食料などを詳しく調べると、現状でも7割の家庭では栄養バランスも考慮した上で家族の全員が8日以上生活できる食料を持っています。ライフライン停止の影響に関しても、例えば照明は低消費電力のLEDとバッテリーで長期の確保が可能です。都市ガスも、家庭で鍋をやるときのカセットコンロを利用すれば、250グラムのボンベなら強火で70分は火が使えます。水道が止まって蛇口から水が出なくても、ペットボトルの水があれば当座の用は足りる。私たちの調査結果からは日常生活用の備えを少し増やすだけで、無理なく災害直後の1週間程度の自立した生活が可能なことを示しています。

防災対策の重要性は量と時間の観点から「(個人による)自助、(コミュニティーによる)共助、(行政による)公助」の順です。現在直面する巨大地震災害の対応は国をはじめとする行政がどんなに頑張っても、量的に十分な対応は無理です。ゲリラ豪雨による増水の際、行政が事後対応として、被害が出にくい施設をつくることは可能でしょう。しかし洪水の最中に、市民一人一人の傍らに行政の人が立ち、避難を誘導するのは無理なのです。災害時に自分を守ることができるのは自分、もし助けてくれる人がいるとすれば、それは隣人であり、コミュニティーです。だから「自助、共助、公助」の順番になるのです。
しかも、今後ますます進む少子高齢化や財政的な問題を考えれば、今多くの皆さんが依存している「公助」は確実に縮小していきます。「自助」の主体である市民と法人が、それぞれ防災についてきちんと考え、自律的に適切な行動を取れるようにすることが重要です。そのためには、「共助」は「自助」を、「公助」は「自助」と「共助」をエンカレッジしなくてはいけません。


#4 防災ビジネスの可能性 コストからバリューへの転換

従来の市民や企業の良心に訴え掛けるだけの防災には限界があります。防災に関わり、活動することがベネフィットを生むようにしなければ継続的な活動も無理です。民間セクターに積極的に参画していただくには、防災対策をCSR(企業の社会的責任)ではなくビジネスにすることです。「防災ビジネスに関わる企業は社会的ステータスも社員の給料も高いし、かっこいいよね」といった評価が重要であり、そうなれば若い才能もどんどん入ってきます。

今後は、防災対策の位置付けを「コストからバリューへ」転換しなければなりません。防災対策が一過性で終わってしまうのは、行政も企業も防災対策をコストと見なしているからです。しかも、防災対策の価値は災害が起こらないと分からないという話になります。そうではなくて、災害があろうがなかろうが、防災対策は活動主体にベネフィットを及ぼすものという観点から、防災をバリューに、あるいはブランドに変えなければいけない。

私は、日本と諸外国の両方を見ることを重要視しています。両方を見ることで、日本の特殊性や一般性が初めて分かるからです。日本の防災力は世界的に見てもトップクラスであり、この考え方や技術を、よその国に持っていけば、それで助かる地域がいっぱいあります。しかし押し付けではいけません。相手の地域の特徴を考えた上で、受け入れてもらえるかを十分吟味する必要があります。途上国が相手である場合には、現地で対応できる技術か、材料は入手可能か、文化・宗教・歴史・伝統を考えたときに現地の人たちに許容してもらえるか、価格は適切かなどの配慮がなくては実際の問題解決にはなりません。

一方で、現在のアジア地域には十分に高い経済力を持つ人たちも増えたので、これらの人々を対象とした防災ビジネスの潜在的なマーケットは大きいと思います。日本の企業が防災の技術や仕組みを国際ビジネスの重要なコンテンツとして考え進展していくことが、企業にとっても日本の防災においても非常に重要だということです。