電通を創った男たち #03

電通電波ビジネス黎明期の牽引者

木原通雄(2)

  • Okada
    岡田 芳郎

爪に薄桃色のマニキュア、香をこめた和服を持って米国視察へ

 

昭和28(1953)年2月24日、テレビ放送をいかにして速やかに育て上げるか、いかにして企業としての商業採算ベースに乗せるか、に関する鼎談会が電通会議室で行われた。出席者は、郵政大臣・高瀬荘太郎、日本化薬社長・原安三郎、電通社長・吉田秀雄の3人で、司会を電通ラジオテレビ局次長の木原通雄が務めた。高瀬は政府側の所管大臣であり、原は財界の有力者であると同時に強力なスポンサーである。吉田は商業放送の推進役だ。まず木原はこう切り出した。

「テレビ放送に対する国民大衆の関心は非常なものだが、テレビ放送事業の基盤は現実的にはどうか。ラジオの場合のようにNHKが30年来開拓した地盤の上に出発したのと異なり、民間、NHK両者同時に発足したものを併行発展させるにはどうしたらよいか」

鼎談はテレビの公共性、競争の必要性からはじまり、テレビ放送会社の設立可能性と受像機普及の関係、テレビ広告費の推定、放送内容の大事さ、民放とNHKの性格の違いと使命、などが率直に話し合われた。この鼎談会で、原安三郎は、司会を務めた木原に強い印象を受けた。「若いのに、すばらしく頭の良い人だ」と思った。話の相手の気分を素早く読み取る能力に驚いた。

鼎談会の翌日、木原はテレビ研究のためアメリカに飛んだ。大勢の見送りを受け、午前9時羽田発のノースウエスト機で3カ月にわたる訪米の旅に出たのである。2月28日の「電通社報」には、「木原局次長渡米 TV事情視察のため」という見出しで、記事が載っている。

「テレビの商業放送実現に備えてこれまで準備を重ねてきたわが社は今回ラジオテレビ局次長木原通雄氏を米国に特派することになり、同氏は二月二十五日羽田発渡米した。

木原次長の米国商業テレビ界の実情を視察、特に代理業務の重点であるタイム・セールス、テレビ番組の企画制作等を中心に調査研究するものである。このためニューヨークでは著名な広告代理店トムソン商会をはじめ、マッカンエリクソン,フート・コーン・アンド・ベルディングなどで実際活動を見、さらにNBC、CBS、ABC、デュ・モンド各テレビ放送会社の事業とそのネット・ワークRCAをも見学する。またシカゴやロスアンゼルスにも立ち寄り、ローカル・ブランチとしての代理店、テレビ放送会社を調査、ハリウッドでは米国映画企業最大の問題であるテレビと映画の関係、テレビ用映画の制作を研究、シカゴ経由で帰国する。木原氏が商業ラジオ界の第一線人で実際業務に精通し、かつ昨秋から電通テレビ企画委員長として商業テレビの研究を主宰しているので滞米中の調査研究も日本の実情にそった成果が得られるものと期待される」

木原はテレビの諸問題と広告代理店の最新事情を調べる重い任務が課せられていた。だがそんな重圧を感じさせぬ平常心でアメリカ体験を楽しんでいた。さっそく3月13日号の「電通週報」に、「木原氏第1信」が載っている。

「昨日(二月二十八日)午後当地(ニューヨーク)着、東京で旧知のニューズ・ウイーク外報部長ハリー・カーン氏の宅に招かれ、たしか、昔東大教授で今はアメリカの海外投資の調査を主宰しているカウフマン博士と共にお客になりました。月曜からNBC、CBS、トムソンその他と連絡がつくので、書生にかえったつもりで勉強します。途中シアトルに一泊しましたが、人口五十万の同市にテレビはいまだ一社。隣接のタコマには三月から新しいのが出来るので、シアトルの連中は双方を受けるため、どしどしアンテナを註文しています。シアトルのレシーバー数は約十万といいますから普及率は相当高いわけです。朝の新聞を見ると、アイクのゴルフレコードは九十一。ブラドレーと就任後はじめて試合して九十三で負けています。これで四年やっている由。飛行場からの途中、その他、打ち見たところ、人々の服装など、東京のいいところと同然。小生の英語でも今のところ別に不自由はありません。…但し先方にはゆっくりしゃべって貰いますからね」

当時の大統領アイゼンハワーのスコアを記しているのは、木原が吉田社長からすすめられて始めたゴルフに目がいくのであろう。人々の服装に注意をはらうのはいかにも木原らしい。木原は「すこぶる付きの伊達者」と評され、爪には薄桃色のマニキュアをし、旅行には香をこめた和服一揃えを持参していたという。

 

(写真上)タラップから手を振る木原、(下)日本の民放ラジオは昭和26年に開局が始まった

(文中敬称略)

※次回は11月7日に掲載します。

プロフィール

  • Okada
    岡田 芳郎

    1934年東京都生まれ。早大政経学部卒。56年電通入社。コーポレート・アイデンティティ室長、電通総研常任監査役などを務め、98年退職。著書に『社会と語る企業』(電通)、『観劇のバイブル』(太陽企画出版)、『日本の企画者たち~広告・メディア・コンテンツビジネスの礎を築いた人々~』(宣伝会議)など。

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