電通を創った男たち #04

電通電波ビジネス黎明期の牽引者

木原通雄(3)

  • Okada
    岡田 芳郎

“中国の貴公子”と見紛う男、米放送界を飛び回る

 

4月10日の「電通社報」には「アメリカ・テレビの旅 第2信」とタイトルをつけて木原の私信がまとめて掲載されている。

「吉田様 まだ、まとまったものは書けませんが、週報には別の意味もあると存じますので毎週のように送ります。こちらにも小さい奴はいるので安心しましたが、どうしても中国人と見るので大いに閉口します。 一日夜  通」

この通信を吉田社長は読んで微苦笑しながらこんな感想をもらしたという。「木原という男は日本にいても日本人離れしているから、はなれているといえばまあ中国の貴公子の秘書位のはなれ方だ。アメリカに行って中国の人と見られると嘆いているが今更悲嘆に暮れることもないだろう」

「古賀叶 菅二郎賢台  出発の際は早朝お見送り下さって有難く恐縮に存じました。到着以来とり紛れて居りましたが漸く落ち着き勉強にとりかかって居ります。NBCやCBSの規模があまりに大きいというので、テキサスにでも行ったほうが参考になると言って帰った日本人がある由ですが、小生はそうは考えません。やはり、オリジナルなものについて見るのが一番の早道のような気がしますし、必ずしも物量の大きさだけで魂を潰すこともないような気がします。例えばプログラムの作り方など日本のラジオは少しも遜色のないものもあります。問題はタレントではないでしょうか。スポンサーは、ここでも中々うるさく、テレビのスタジオの漫画にはシガーをくわえた太ったスポンサーを後ろの席で代理店の人間が押さえてなだめている図があるのには思わず笑いました。それよりもスターリン死せんとすというので大変な騒ぎ、ここでもラジオが新聞をリードし、テレビも立派にこれをこなしているのに敬意を表しました。言葉は、おかげで思い切って水に飛び込んでみた時と同様、入ってみれば何のこともない感じです。御静安を祈ります。 三月五日   通雄」

ラジオ・テレビ局長の古賀と局次長の菅にあてた手紙には仲間内の会話に似た気楽さ、率直さがある。そして「オリジナルなものを見る」ことと「スケールの大きさだけでは驚かない」という木原らしい冷静さが表れている。企画は遜色のないものが日本にもあるが、タレントには差があるという観察は鋭い。スポンサーと代理店の関係が日本と同様だというのはおかしい。ラジオ、テレビと新聞とのデリケートなあり方に注意をはらっているのはさすがだ。

「吉田様梧下  別封通信にも認めました通り、アメリカは本気で戦争をしかけるのではないかという感じがしているところにスターリン倒るというビッグ・ニューズでした。これで危機は少なくとも少し延ばされると存じます。もう一つの不安は、アメリカの生産過剰です。これはテレビ、ラジオ、冷蔵庫等の消費的な品の他に鉄鋼、石炭(これは天然ガスの増産によって拍車をかけられています)、セメント等の基礎材材料も然りで、これをどうして捌くかという疑問が起こります。共産主義者はそれを戦争への導火線と見ているのでしょう。TVの勉強、面白く始めて居ります。主としてCBSについて見ていますが、私は少し考えるところがあり、ここ暫くは日本人との仲間はやめて、先入観なしで打っつかる方針で居ります。

TVはラジオと映画と舞台からの綜合、昇化されたものと言えますが、アメリカでさえTVのプロデューサー、ディレクターは少ない時間、少ない材料、しかも少ない金でプロを作るCrafts manでなくてはならぬと申しています。さすがにNBCやCBSはそれほどでもありませんが、もっと小さな会社ではプロデューサーの一人の一週の仕事は実に五放送時間と言われます。(映画なら一週間十分が普通)それとTVとラジオは関連を持ちながら、別ものということ、この二点は、あなたの平生仰言っている通りで、私も確信を得ました。クイズはテレビの方が面白く作れます。(以下略) 三月五日  通」

木原は世界の政治、経済情勢に目を配る。また日本人仲間で行動せずひとりでアメリカに潜入しようとしている。テレビの仕事の時間的、金銭的制約やテレビとラジオの違いをはっきり見極めている。小さなテレビ局ではプロデューサーが毎週5つの放送時間(番組)を担当していると驚いているが、やがて始まる日本の民放テレビではもっとはるかに過酷な仕事が行われるとは知るよしもない。クイズはテレビの方が面白く作れるというのは慧眼だ。

「吉田様  冠省 御障りもない事と存じ上げます。こちらの代理店を見ているとエーゼンシィ又はエーゼンシーの人間ということは明敏・機動性・決断力・魅力そしてあなたのいわゆるマネージメントの能力、その権化を意味します。同時にプロデューサーとか、ステーションの人間とちがって、表面に名前を出すか出さぬかより実力でものを運ぶというところに恐ろしい自信を持っていることが分かります。占領の初期にいたダイク准将もエーゼンシーの副社長で非常な名声をもっています、ですから日本から来たラジオの機械商までが、こちらに来ると堂々とエーゼンシーを名乗って「お前はこのエーゼンシーを知っているか」と言われ、よく見ると本社にも時々来る連中なのでびっくりしたような始末です。なお今後、輸出の見通し如何では北米と南米諸国に対する広告のために適当な人間を一人、電通の代理(代表)としてお考えになる必要もあると存じます。

私はせめて御知遇の一分にても応えるつもりで出来るだけの勉強をして居ります。帰りましたら本社と大阪(テレビの近く発足する意味で)で関係者に少しまとまった講話をしたいと考えます。この方は多少他には言えないことや、テクニックについても徹底させたいので社員に限ることとし、対外的にはテレビを中心の必ずしもそれに限定しない話をしたら如何でしょうか。正力さんのテレビの機械は当地の情報では四月中には確実にこちらを発送できそうで、したがって九月には放送可能ではないかと考えます。ご参考までに…。またテレビのプロは管理(マネージ)(企画はもちろん含む)が主で,損な仕事はやりませんが、日本ではまだしっかりしたプロダクションがありませんから電通としてはある程度ある時期までは制作もしなくてはなりますまい。(CMはこちらでも代理店が作ります)。(以下略)  十六日夜  通」

木原は広告代理店とその社員の持つべき資質と能力について強く感じるところがあったのだろう。アメリカと日本の現状との差を痛感せずにはいられなかったのだ。そのことに触れた箇所を太字で記している。

自信をもち実力第一主義であることは日本の広告界とは違う風土だったのだろう。そしてすでに社業の国際化について進言し、社員へのテレビ実務教育と日本テレビの機材の手当ての状況も伝えている。まさにジャーナリストだ。また電通が番組制作、CM制作を行う必要を述べている。

 

(写真上)「電通週報」に掲載された「アメリカ・テレビの旅」、(下)昭和28年8月28日、初の民放テレビ局として日本テレビが開局した

(文中敬称略)

※次回は11月8日に掲載します。

プロフィール

  • Okada
    岡田 芳郎

    1934年東京都生まれ。早大政経学部卒。56年電通入社。コーポレート・アイデンティティ室長、電通総研常任監査役などを務め、98年退職。著書に『社会と語る企業』(電通)、『観劇のバイブル』(太陽企画出版)、『日本の企画者たち~広告・メディア・コンテンツビジネスの礎を築いた人々~』(宣伝会議)など。

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