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Dentsu Design TalkNo.59

川村元気と山崎隆明のインプットとアウトプット。(前編)

2015/11/06

映画プロデューサーとして、『電車男』『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『寄生獣』『バクマン。』など、大ヒット映画を次々と手掛けてきた川村元気氏。小説も『世界から猫が消えたなら』『億男』共に本屋大賞にノミネートされベストセラー、絵本『ティニー ふうせんいぬのものがたり』はNHK でアニメ化。さらに対話集『仕事。』も上梓するなど、常に新しいチャレンジをしながら結果を生み出し続けている。

一方、リクルート ホットペッパー、大日本除虫菊 キンチョールなどユニークなCMを作り続けてきた山崎隆明氏は、そんな川村氏のものの捉え方、作品に昇華するプロセスに興味を持ってきたという。ジャンルは違えど、日頃から表現と格闘している2人が互いの「インプットとアウトプット」に迫ったトークの前編。

(左より)川村元気氏、山崎隆明氏
 
 

 

「川村元気」はいかにして生まれたか?

山崎:川村さんは映画プロデューサーとして若くして大活躍されています。僕が『億男』を読んだ翌日、新橋演舞場に歌舞伎を見に行ったら、目の前に着物姿の川村元気さんが座っていて。それでびっくりしてナンパした、というのが今日のトークのきっかけです。川村さんはどんな幼少時代を過ごして、映画の世界に入ろうと思ったんですか?

川村:親の方針で、幼稚園にも保育園にも行っていなかったんです。家にはテレビもなかったので、日本語も怪しい状態で小学校に入って。そこで僕を決定づけたエピソードがあって、小学校で粘土を使うから粘土板を買ってきなさいと言われて、僕は文房具屋でピンクの粘土板を買ったんですよ。粘土って黒っぽいから、粘土板はきれいな色にしようと思って。そうしたら「女の色の粘土板」といじられた。テレビの戦隊ものなどを一切見ていなかったので、青は男の色でピンクは女の色だということを知らなかったんですよ。いま思えばその頃から、いわゆる一般的な常識を疑ってしまう癖ができましたね。

山崎:映画との出合いは?

川村:父親が日活で働いていたので映画は英才教育で、テレビはなかったけれど、映画は見せてもらえました。最初に見た映画は『E.T.』でした。当時3歳で、ちょっと怖かったんですけど、自転車が飛ぶシーンには感動しました。その感動が根強くあって。テレビがなかった分、映画1本1本のインパクトが大きかった気がします。

山崎:子ども時代にも、かなり映画は見ていたんですか?

川村:高校・大学時代、ピークの時はビデオ屋に通い詰めて年500本見ていましたね。大学ではドキュメンタリーを作る授業があったんですが、僕はどうしても面白おかしく過剰に作ってしまって、いつも先生に怒られていて。そこから自分はエンターテインメントに向いているんだなと思い始めて、卒業後は東宝に入りました。

 

映画プロデューサー的「企画の原則」

山崎:これだけヒット作を出して、まだ36歳って本当に驚きます。『電車男』は26歳のときですよね? なぜ、そんなに若くして作れたんですか。

川村:24歳の時に企画をする部署に呼ばれたんですが、実績のある先輩方と違って、自分には有名な原作を取ってこれる力もない、監督も知らない、芸能界とのコネもない。なら企画で抜け道を探すしかないというので、ネットの世界で映画のネタを探していたら電車男に出合いました。

山崎:先輩たちと戦うために、ネットや2ちゃんねるに注目したと?

川村:当時映画プロデューサーは40代以上がほとんどだったので、たぶん2ちゃんねるは見ていないだろうと。あと、いい先輩に恵まれました。僕が『電車男』をやりたいと言った時に、脚本の作り方やキャスティング、監督を見つけるのを手伝ってやるよと言ってくれた先輩が何人かいたんです。

山崎:ここで改めて、川村さんの考える映画プロデューサーの仕事とは何ですか?

川村:映画に限らずコンテンツは「普遍性×時代性」だと大昔から言われます。怖い、笑える、泣けるといった人間の感情が「普遍性」ですが、映画は特にお金を払って見るものなので、感情への対価がものすごく求められます。それに加えて、「なぜ今なのか」、つまりなぜ今この時点で公開するのかという「時代性」が求められます。

山崎:『電車男』では、「普遍性」が高嶺の花に恋をしたダメ男のラブストーリーで、「時代性」は2ちゃんねるやネット、ということですね。

川村:まさにそうです。もうひとつが、僕のオリジナルで「発見×発明」。面白いものを発見するのは企画のスタートですが、僕は、発見だけで作ってしまってはダメだと思っています。だから、発見したものを大事にしつつも、疑うプロセスがその後延々と続くんです。楽しいのは最初だけで、あとは苦しみというか、ひたすらそれが本物かの検証作業です。

山崎:ネガをポジにするため、足したり引いたりしていくということですか?

川村:ええ。200億円かけたハリウッドの大作映画に2億円の製作費で勝とうと思ったとき、発見だけでは到底太刀打ちできません。発見を補完する発明の柱を10本も20本も打ち込まないと。発明はキャスティングでもいいし、脚本を作っている局面で急に新しい要素が出てくることもある。それがそろって、ようやく前に進むことができるんです。

山崎:もしかして、すごく優柔不断に悩むタイプですか?

川村:すごく優柔不断で朝令暮改です。

山崎:自分の感覚に正直だということですね。その結果、『電車男』がヒットしたんですね。

川村:1本目で興行収入が37億円。26歳の時でした。だいたい調子に乗っておかしくなるパターンですよね。

山崎:でもそうならなかった?

川村:26歳なりに、この成功は怪しいと思っていたんでしょうね。実際、その後3年間ぐらい類似企画を求められて、迷いながらやっていた時期が続いたんですよ。求められてやるけれど、熱もないし、発見、発明もないからうまくいかない。これじゃダメだと開き直って、好き勝手にやってみたのが『デトロイト・メタル・シティ』です。それがうまくいったので、自分の好きなことを組み合わせていった方がいいんだなと分かりました。自分が面白いと思ったことには、何かしら、時代性や普遍性が引っかかっているはずなんです。面白い理由を人に後づけで説明しているうちに、その屁理屈が理屈になっていく瞬間があったりするんです。

 

企画のストック「違和感ボックス」

山崎:『デトロイト・メタル・シティ』から一転して、次の『告白』と『悪人』は重いですね。

川村:山崎さんの広告もそうだと思うんですが、王道に対する反動を信じてるんです。当時は笑って泣けてハッピーエンドの映画がヒットしていました。でも僕はヒッチコックの『サイコ』やデヴィッド・フィンチャーの『セブン』も好きなので、ぼちぼちこういうジャンルもいいんじゃないかと思って。過去を検証したら 、10年前に『バトル・ロワイアル』がヒットしていました。また、隣を見ると、当時韓国で『殺人の追憶』が、アメリカでは『ダークナイト』がヒットしていた。過去と隣の検証で自信が持てました。

山崎:僕も相米慎二監督の『お引越し』という映画を手伝ったことがあるんですけど、映画の撮影は時間が延びることもしょっちゅうだし、監督とのやりとりもしなければいけない。現場では大変でしょう?

川村:僕は現場にはほとんど行かないプロデューサーなんですよ。いま『悪人』の李相日監督と『怒り』という映画を作っているんですが、沖縄でクランクインするというので行ったんです。広瀬すずがボートから降りて「はじめまして」とおじさんに言うシーンで、監督は朝からテストを70テイクもやったあげく、「今日は回さない」と言う。僕からすると「えー!?」ですよ。1テイク目も70テイク目も変わらないよ、と思う。でも、そこが監督の超能力で、広瀬すずは当然落ち込んでしまって、晩ご飯も食べられなかったのか、次の日はまるでキラキラしていない表情で現れた。それですぐOKでした。

山崎:昔、僕もCM撮影で西田敏行さんを激怒させてしまったことがありますよ。でも目が血走って肩で息をしている、そのテイクが結果的にすごくよかった。そういうことって、ありますよね。

川村:あります。自我みたいなものを別のところにやってしまうというのが、究極の追い込み方だと思いますね。監督にはそれぞれ現場のやり方がありますし、そこは監督の領域なので、プロデューサーは現場に行っても役に立たない。だから行きません(笑)。

山崎:『悪人』からまた『モテキ』に行ったのはなぜです?

川村:モテキの連ドラは内容的なこともありゴールデンタイムではできなくて、深夜枠で視聴率が2~3%で放送していた。でも、昔の倉本聰さんや山田太一さんのテレビドラマってちょっとエロかったですよね? それなら、ああいう性のにおいがするドラマを、映画で思い切りやりたいなと思ったんです。10万人のコアな人が面白がっているものを、100万人が見る映画にしたいと。

山崎:テレビでやれないことを映画でやるのは基本ですよね。

川村:そうなんです。それに、僕はもともと「Jポップミュージカル」がやりたくて。僕の頭の中に、変な違和感のある企画が溜まっている「違和感ボックス」があるんです。それだけでは全く成立しないんだけど、何か組み合わせると急に面白くなるようなアイデアが入っているんですよ。そのひとつに、カラオケで皆が振りつけしながら踊って盛り上がるのはミュージカルみたいだ、というのがあって。それだけでも映画になるなと思っていたところに、モテキの深夜ドラマを見て2つがくっついて、これでいける、と。

 

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企画プロデュース:電通イベント&スペース・デザイン局 金原亜紀