電通を創った男たち #109

彼にとって不可能なことはなかった!! 
常に新しい企画を実現させた男 
豊田年郎(1)

  • Shimizu katsuo profile
    清水 勝男

プロローグ・豊田年郎の入社秘話


豊田年郎(とよた としろう)、1929(昭和4)年2月11日、福島県喜多方市生まれ。
電通入社当時の履歴書によると
昭和20年4月 海軍機関学校入校
  同年8月 終戦により閉校
  同年9月 旧制山形高等学校 理科甲類入学
昭和23年    同校卒業
昭和25年    早稲田大学3年入学
昭和27年    同校卒業見込み

と書かれている。

入社面接時、吉田社長は高校卒業から大学入学までの2年間のブランクを見破り、「君、この間は何をしていたの」とギョロっと、目をいっぱいに見開いて質問されたという。実際は東大の農学部に入学していたのだが、どうにも勉強の内容についていけず「これが俺の一生をかけてやる学問だろうか」と真剣に悩んで親にも報告せず退学してしまったのだ。そして東京での2年間のブランクに、藤田嗣治がやっていた「実業の世界社」でアルバイトをしていた。

豊田は電通受験前に出版社を希望していて講談社、実業之日本社を受けたが、今でも語り草になるほどの就職難の時代で不合格であった。知人の紹介で図書印刷の内定を取ったもののどうしても晴れやかな気持ちになれずしょんぼりしていると「じゃあもう一つ受けてみるか」といって紹介されたのが電通だった。昭和27年3月早稲田大学教育学部を卒業して電通入社。配属は名古屋支社新聞部であった。

これら電通入社前の逸話は豊田の著書、生涯に一冊だけという意味をこめて名付けられた『一冊の本』に綴られている。執筆当時「出版したらどうだ」という声を多数かけられたようだが、本人は華やかな表舞台に出すことを嫌った。彼は電通を担う者たち、必要としている者だけ自分の言葉が届けば良いと考えたのだ。著書は平成9年7月顧問時に完成し、個人的に400部ほど印刷して関係者や親しくしている人たちだけに配った。

『一冊の本』

私は当時、この本を作るサポートをしたこともあり、とても印象に残っている。『一冊の本』には、自身の生い立ちや、交友関係の人たちとの想い出、仕事に対する考え方、流儀、アドバイスなどがまとめられている。
今回、「電通を創った男たち」で豊田年郎を取り上げるにあたり、この本の内容を紹介したら面白いと考えた。豊田語録は今の広告人、若い人たちにも必ず共感できるはずである。

プロローグの最後に、私と豊田の関係について少し触れたい。付き合いは電通に入社した1968年、第2連絡局豊田部に研修へ出向いた時からになる。彼が電通で一番活躍した時代を共に過ごし、彼の言動に影響を受けた。そんなこともあり、豊田年郎編の「書き手は君しかいないだろう」と自分のところに話が舞いこんだ。どのように彼を紹介しようかと悩んだが、単に仕事の経歴を語るのではなく、ここまで表に出ていない、豊田年郎という男の一面に触れてもらえたらと思い『一冊の本』をこの場で公開することにした。豊田の輝かしいエピソードとともに、彼の人となりを語ってみたい。彼自身の著書や語録がこんな形で表に出るとは豊田は夢にも思っていないだろう。

豊田さんと筆者(湯河原カントリークラブにて)

 

(文中敬称略)

◎次回は10月25日に掲載します。

プロフィール

  • Shimizu katsuo profile
    清水 勝男

    1968年立教大学経済学部卒、同年電通入社。25年間営業部門で、日立製作所、アサヒビール、旭化成、リクルート、武田薬品、三和銀行などを担当。その後、世界都市博覧会室長、プロジェクト開発局長、イベントスペース局長、サッカー事業局長を歴任。2002年退社。

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