電通を創った男たち #121

オリンピックビジネスをつかんだ男 
服部庸一(6)

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    海老塚 修
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    長谷 昭

NOCのアクセス権を解決する


スポンサーシップが決まり、各社のマーケティングが始まると思いもかけなかった問題が勃発した。NOCアクセスである。契約締結したからには開催国アメリカ以外でもオリンピック関連キャンペーンが始動する。問題は、オーストラリアでブラザー工業が公式エンブレムを活用した広告を出稿しようとしたところオーストラリア・オリンピック委員会(メルボルン)からクレームが入ったのだ。実は日本でも同様だが、オリンピック関連マークの許認可は各国のオリンピック委員会(NOC)が握っている。それは自国のマークにとどまらず、外国で開催されるオリンピック大会マークも含むことに服部庸一たちは改めて気づかされたのである。LAOOCは電通に対して「協力はするが、これはスポンサー自身の問題だ」と言い、一方ブラザー工業は電通が責任を持ってクリアしなければ契約破棄も辞さないという剣幕であった。

ロスオリ室は社内の関連部門の協力を仰ぎ、人口、経済力等の指数を算出し、その比率をもとに各国NOCに承認権料を提示することにした。当時の連絡手段はテレックスだったが、埒が明かない場合には室員が出張して折衝にあたらなければならない。室員の一人だった小林昭夫は12日間でヨーロッパ9カ国へほとんどアポもなく向かったと当時を振り返る。努力の甲斐あって92カ国のNOC アクセスを取得でき、スポンサー・サプライヤー各社に迷惑をかけることはなかったのである。このときの経験はのちにTOPプログラム(後述)が考案されるとき実践経験として役立つことになる。
この難問に際して服部がユベロスに助言を求めると、まずキーマンは世界各国のNOCを束ねるオリンピック委員会連合(ANOC)のラーニャ会長だと教えてくれた。そして、さらに実務的にはこの男に相談するといいだろうとある人物を紹介された。その男こそアディダスの経営者ダスラーであった。

マリオ・バスケス・ラーニャはメキシコオリンピック委員会会長で中南米に多大な影響力を持ち、1979年にANOCを創設して自ら会長に就任した。新聞社などさまざまな事業を展開する大富豪である。
服部はロサンゼルスで森桂三に相談を持ちかけた。メキシコは土地勘がなく不安は否めない。すると森は旅行代理店「メキシコ観光」を営む鈴木松男(現ミカドトラベル会長)に連絡を取り、趣旨を説明してくれた。服部は単身メキシコシティに向かった。メキシコで誰にも頼らず仕事を切り開いてきた鈴木は、持ち前の行動力でラーニャのアポを強引に取った。

鈴木の記憶は今でも鮮やかだ。服部を車に乗せてメキシコシティの高級住宅街でもひときわ目立つ豪邸を訪問した。二人を邸内に迎え入れたスポーツ界の大物は、鈴木がスペイン語に通訳する服部の言葉に耳を傾け、電通が直面しているNOC アクセス問題に快く協力を約束してくれた。服部は正面から向き合えば誠意は通じるのだと改めて確信した。また、初対面にもかかわらず協力してくれた鈴木との友情も生まれ、鈴木は数年後に電通が初めてかかわるFIFAワールドカップ・メキシコの現地対応を全面的に請け負うことになるのである。

服部はフランス、アルザス地方のストラスブール空港に降り立った。郊外のランダーシャイムには目指すアディダス・フランスがある。目的の人物ホルスト・ダスラーはここからアディダスをみていた。ドイツの本社には母のケーテがいた。創業者で父のアドルフ・ダスラーは3年前に77歳で亡くなっていたが、遺言で妻に40歳そこそこだった息子の後見人を務めさせていたのである。ホルストは5人兄弟の末っ子で、上はすべて姉であった。フランスでホルストは商才を発揮し、新ブランド「アリーナ」を立ち上げ、領域拡大に燃えていた。すなわち、スポーツ団体とのリレーションを強固にしてグローバル・マーケティングを展開しようと考えていた。そのためには何と言ってもオリンピックを押さえたい。ダスラーは最大の障害はIOCが各国NOCに委譲している権利運用だと見抜いていた。

ホルスト・ダスラーと
ホルスト・ダスラーと

アディダスは以前からFIFAにはワールドカップで使用される公認球を提供しており、折しも1978年アルゼンチン大会で出したサッカーボール「Tango」が世界中で大ヒットしていた。ダスラーはさらに一歩踏み込んで1982年のスペイン大会のマーケティング権をFIFAから買い取り、協力会社と組んで公式スポンサーのセールスを行っていた。

日本では博報堂が販売代行をしており、日本ビクターや富士フイルムがスポンサーとして名を連ねていた。そして、博報堂はロンドンのスポーツエージェントであるウェスト・ナリーから権利を仕入れていると考えられていた。しかし、ウェスト・ナリーのバックにはダスラーがいてFIFAの信頼を得ていたのである。

ダスラーと服部は意気投合した。二人にしかわからないことだが、似た雰囲気、匂いを感じたのではないだろうか。信頼関係はたちまち強固なものになった。ダスラーはすでに取得しているFIFAと欧州サッカー連盟(UEFA)の権利をベースに、国際陸連(IAAF)、さらにNOCアクセスを解決してオリンピックのマーケティングを始めたい。そのパートナーとして電通は前向きに考えてくれるか、と畳みかけてきた。服部はにわかに地平が広がる思いをしたという。

(文中敬称略)

◎次回は12月26日に掲載します。

(文:海老塚 修 監修:長谷 昭)

プロフィール

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    海老塚 修

    1951年生まれ。慶應義塾大学卒。1974年電通入社。ISL室を経て米国法人ISMサッカーに赴任。スポーツマーケティング局企画業推部長、ISL事業部長などを務めた。現在、 慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科教授。日本BS放送番組審議委員。著書に『スポーツマーケティングの世紀』(電通)、『バリュースポーツ』(遊戯社)がある。

  • Hase profile
    長谷 昭

    1940年生まれ。慶応義塾大学卒。1962年電通入社。営業企画室次長、電通総研常務、電通国際情報サービス副社長、日本ビジネス・クリエイト社長などを務めた。

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