電通を創った男たち #09

電通電波ビジネス黎明期の牽引者

木原通雄(8)

  • Okada
    岡田 芳郎

広告代理店はスポンサーと一体となり生死を共にする

優良テレビ普及会

昭和28(1953)年5月10日の「電通社報」には社員向けに「木原次長のアメリカTV通信 完」と題して今回の旅のまとめを報告している。「新情勢展望 RCAを中心に 色彩TVへ移行か」と見出しがある。

「今回の視察旅行では最初からニューヨークを中心とし、放送会社はNBC、CBS、代理店はトムソン、フート・コン、ヤング・ルビコン、パン・アメリカン等について出来るだけ実際を調べ、なおデトロイト、シカゴ、ロスアンゼルスでも補助的な調査をした。日本側としては、ニューヨークのテレビ規模があまりに大きいというので、直ちに田舎の都市にモデルを求める傾向があるが、私はそれは結局形式の大小であって、やはり本質はその源流にあるという考えで通した。

アメリカのTVは、もちろんラジオにつながる企業であるが、宣伝媒体としての価値だけでなく産業としての規模がラジオよりも遥かに大きく、両々相俟って今日ではラジオをしのぐ地位を確保した。朝鮮戦争が一定期間休戦となり冷却の時間が相当続くとすればアメリカの生産力は何らかの形で新しい捌け口を見出さねばならず、その有力なものの一はTV、それも色彩化への転換だと考えられる。ラジオの二、三〇〇局、一億のセットに対してTVが一五〇局、二、三〇〇万セットであるから、ラジオの方は大体一人一セットと見て各々の局とセットとの比率はバランスがとれていると考えられ、かつ月賦支払いの一巡する時期、メーカーの手持ち材料等から勘案して軍需生産に多少の手控えの行われる頃(ここ一年か一年半)にRCAを中心とする色彩テレビへの移行を予想することは行き過ぎではなかろう。

CBS方式の事実上の放棄によりRCA方式が実現するとすれば現在のセットでも黒白は受けられるが,いったん色彩となるともちろん新しいセットが大量に売れるであろう。その価格は黒白に比して当初五〇%高、間もなく二五%高になるという業者の見込みだ。日本でもこの傾向に対して今から充分の対策を講ずる必要があると思う。…中略…

TVの進出のためラジオは一九四八年から九年にかけて相当の影響を受けたが、全体の売上は落ちていない。ただしCBSをはじめとして両三度の建値引き下げがあった。今ではラジオとTVとの本質的な相違というものがハッキリ認識されて来て、ラジオはそれなりに落ち着いたといえよう。ラジオとTVの共通プロという考えは極めて特殊のプロ以外には適用されない。

TVの時間建値はNBC、CBSクラスで一時間四、五〇〇ドル、連接のネットワークでは四十一局(一括してのみ売る)四〇万ドル見当。ところが制作費が急激に高まって一週、一時間十五万ドルもかかるのがあり(ハリウッドから流す豪華ショウはもっとケタはずれ)、それは主としてタレントのコストが鰻上りになっているためである。

従ってTVのネットワークの使えるのは大体全国で十五社から二十社に足りない大スポンサーに限られる。コストの急昇に対する不平は絶えないが、さりとてAクラスの時間は売れ残ることはないというのが実情である。…中略…ネットワークといってもラジオと異なり電話線が使えないから四つのネットワークは全国をカバーできず、ケーブルとマイクロウエーブを使ってもせいぜい一系統か二系統だから、お互いにその時間を分け合っている。もし四大ネットが完成すればラジオにもう一度影響を与えるかもしれない。

コマーシャル・メッセージはプロの真中に何度も使われ、これは制作者も嫌がって、日本のラジオを羨ましがっているが、商業主義の大局からいえばスポンサーがもっと強くならなくては商業ラジオの基礎は、むしろ不安だといえるだろう。…中略…

代理店についていえば、こちらではよく代理店がスポンサーと一体となり生死を共にするというが、その根本は代理店のものが相手の会社の仕事、構成の人的要素一切を根本的に研究することからかかっており、電通はすでに各方面に実践の歩を踏み出しているのではあるが、急速にこれを徹底する必要があろう。…以下略…」

木原は、ニューヨークを中心に視察した理由を「本質は源流にある」という。テレビを宣伝媒体としての価値だけでなく産業としての規模の大きさで把握しているのはさすがだ。色彩テレビに早晩移行するという観測は今から見れば当然だが、まだ民放テレビ局が発足していない昭和28年5月の時点でリアリティをもって納得した人は少なかっただろう。

白黒テレビすら購入できる人はほとんどいなかったのである。圧倒的なラジオの時代であったからラジオとテレビの相違は比較のしようもなかった。だがこれはメディア経営上、番組制作上、大きな課題だった。テレビのネットワーク化は日本のテレビ局が全国に整備されてゆくにつれて関係者が具体的な問題意識で考えることになる。

コマーシャルの番組中の挿入方法は現地でも大いに気を使った事柄だった。実際に始まってみると意外に視聴者はCMへの拒否感はなかったのだが、木原はこのことにも目を配る。そしてスポンサーと代理店の関係の深さを指摘している。

NHKテレビ塔テレビ時代を迎え、広告代理店のあり方、考え方、仕事の仕方はそれまでとはまったく違うものになっていかざるを得ない。広告代理店と広告主、広告代理店とテレビ局の関係はより深く強い関係になってゆく。そのことを木原はアメリカで身体で受け止めた。おそらくそのことを実感した最初の電通マンだったかもしれない。

広告と記事にはっきり分かれていた印刷媒体の仕事とは違い、テレビは番組にまで広告代理店が関わる。それは中味を一緒に作ることだった。ラジオという先行メディアで行ったことだが、今度のテレビは、それが舞台の芝居、フィルムの映画、それに電波という3つの要素を母体とした技術を持ち、視聴覚に訴える強力なメディアとして登場する。広告代理店はこれからどういう役割を求められるのか、なにが出来るのか、そのために必要な知識、能力はなにか。集めるべき人材はどのような人たちか。木原はニューヨークでそのことを考え続けたに違いない。

 

(写真上)昭和28年8月に銀座で開かれた「優良テレビ普及会」では国内外メーカーのテレビ10台が高校野球の実況を公開した、(下)昭和28年元旦号の「電通週報」に掲載されたNHKテレビ放送塔の写真。キャプションに「待望のテレビは今年我々の駆使にゆだねられ、広告文化の飛躍的発展を約束づけるであろう。」とある。

(文中敬称略)

※次回は11月15日に掲載します。

プロフィール

  • Okada
    岡田 芳郎

    1934年東京都生まれ。早大政経学部卒。56年電通入社。コーポレート・アイデンティティ室長、電通総研常任監査役などを務め、98年退職。著書に『社会と語る企業』(電通)、『観劇のバイブル』(太陽企画出版)、『日本の企画者たち~広告・メディア・コンテンツビジネスの礎を築いた人々~』(宣伝会議)など。

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