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拡散するクリエーティブNo.2

拡散希望?

2013/11/21

みなさんの好きな言葉ってなんですか?

僕の場合は…「一攫千金」ですかね。なにしろ僕は「宝くじとか当たんないかなあ」が口癖の人間です。子供の頃なんか、庭から石油とか温泉とか埋蔵金とか出ないかなと本気で思っていたタイプなのです。広告の仕事でも、一攫千金があったらいいですよね。小さな投資で大キャンペーンに負けない成果をあげられたら、痛快じゃないですか。それを可能にしてくれる(かもしれない)のがこのコラムのテーマである「拡散」です。

自分の仕事がSNSで拡散しているのをはじめて体験したときは、なんて素敵な現象なんだ!と思ったものです。到達点だったはずのターゲットが、メディアになってくれる。言葉は悪いですけど、タダで広告を手伝ってくれるんですから。自分の手掛ける仕事が拡散しますように!と毎回強く願わずにはいられません。

けれど残念なことに、拡散はコントロールすることができません。広告を見た人がメディアになるといっても、彼らはただの媒体枠ではなく「自分で考える人たち」だからです。彼らの中に「この広告について何か発言したい」という気持ちを生み出せなければリツイートもシェアもされないし、大きく拡散してはいきません。そもそも拡散というのは現象を俯瞰的に見たときのとらえ方であって、細かく見ていくと「ひとりひとりが広告の問いかけにどう答えたか」という反応の集合です。決してメッセージがコピーされて増殖していくような一方的なものではなく、彼らとの「対話」が繰り返されて広がっていく双方向のコミュニケーションなのです。

では「対話」をするためにどうするか。ひとつのポイントとして、なるべくクリエーティブが自己完結してないほうがいいような気がしています。余白のある表現というか、つっこみどころを残しておくというか。言いたいことだけギチギチにつめこんで終わっちゃうと、受け手としては反応しようがないのです。たとえばスポーツ中継のインタビュアーがしゃべりすぎてるときってありませんか?「きょうの試合、相手チームが○○でとても○○な展開でしたが○○選手としても○○な気持ちで戦っていたんじゃないですか?」。それじゃ答えるほうも「…そうですね」くらいしか言えませんよね。広告も同じで、自由に考えたり解釈する余地を残しておいたほうが、意見や感想を返してくれやすいんじゃないかと思います。

送り手側にいると、つい自分がうまく話すことだけ考えてしまいがちですが、それだけでなく相手が返事しやすいように話しかけるべきだということです。拡散という現象全体を意識するよりも、ひとりの人間をきちんと見つめることのほうが大切なんじゃないかと思うのです。僕らコピーライターのあいだでは「特定の人を思い浮かべてコピーを書いたほうがむしろ多くの人に伝わる」とよく言われるのですが、それと同じことかもしれません。

 

ちょっと話はそれますが、「拡散したコトバ」である流行語にもSNS時代を反映してか対話型のものが増えている気がします。たとえば「今でしょ!」って、「じゃあいつやるか?」とセットだからとても使いやすかった。「倍返しだ!」も先にやられなきゃ返しようがないわけで。やられてないのにやり返したらただの乱暴者です。「じぇじぇじぇ!」も何かサプライズが先にあってはじめて言えるフレーズ。実際の会話でじぇじぇじぇって言ってる人いちども見たことないですけど、Twitterだと確かによく使われてました。話し言葉に限らず、書き言葉も含めて「対話」しやすいコトバが流行(拡散)したわけですね。

僕自身が広告をつくるときも、最近はSNSでの対話を意識しながらコピーを書いてみることがあります。広告に反応してくれた人をTwitterで見つけて仮想ターゲットにして「よし、次はこの人を楽しませてみよう」とコピーを考えたりするのです。反応を見て、さらに次回のコピーを選んだりして。コミュニケーションしてるなあ、っていう実感があってなかなか面白いですよ。

対話するような気持ちで広告をつくる。

まあ、きょうスーパーのレジで店員さんと話した以外は誰ともしゃべってない僕のような人間が言っても説得力がない気もしますが…。