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エコロジーとエコノミーが両立する新素材「LIMEX」山﨑敦義

2016/04/21

石灰石を原料として、多岐にわたる用途の可能性がある新素材LIMEXを製造し、復興支援にも役立てているTBM社長山﨑敦義氏に、LIMEXの特長や、起業家、経営者としての思いを聞いた。


紙やプラスチックの代わりとなる、石灰石を原料とした新素材

私が事業として取り組む「LIMEX(ライメックス)」は、石灰石を主原料とした新素材です。現在の紙やプラスチックの用途をはじめ、さまざまな分野で利用できる可能性を秘めているので、英語で石灰石を意味する「LIME」に、無限の可能性を意味する「X」を組み合わせたネーミングにしました。例えば紙ならではの特長や用途がたくさんあるので、使い分けをして活用していただける可能性がある新素材だと考えています。

紙にはご存じのように木材と水が必要で、プラスチックはほぼ100%が石油です。LIMEXの主原料は石灰石とポリエチレンで、水をほとんど使わずにつくれます。石灰石の埋蔵量は日本でも豊富で珍しく国内自給ができますし、また熱帯雨林の伐採樹木を使用するなどといった環境への悪影響が少ないので、エコロジカルな素材といえます。

海外でも大きな可能性があります。日本に住んでいると、森林も水も豊富なので想像しづらいかもしれませんが、製紙工場は水を大量に使用するので、米国や中国、インドといった国土の広い国の内陸部や水不足の国ではなかなか難しい。しかも開発途上国では今から産業化が進み、人口が増加し、紙の需要が伸びていく。そうした国々でLIMEXは期待されています。

一方、先進国の企業が興味を示すのは、プラスチックの代替として。石油使用を減らすのは、大企業ほどニーズが高い。資源保護はもちろんのこと、リサイクル費用含め価格面も抑えることができるからです。
このようにエコロジーとエコノミーを両立できることが、LIMEXの大きな特長です。

TBM社長 山﨑敦義(やまさき のぶよし)

何代も従業員が夢を見られる会社をつくる

LIMEXのルーツは、2008年に台湾で出合った「ストーンペーパー」です。これは、まさに石灰石を原料にしてつくる紙。将来性を感じて、輸入代理店を始めましたが、品質が安定せずビジネスにするには程遠かった。だったら、自ら製造しようと、独自技術を開発して特許を取り事業化に乗り出しました。昨年、宮城県白石市に最初の工場が完成し、現在約30人が従事するパイロットプラントとして稼働しています。

私がLIMEXに本格的に取り組むには、伏線となる出来事がありました。30歳のとき、初めて訪れたヨーロッパで何百年も存在する建物や街並みを見て、深い感銘を受けたのです。20歳で起業、夢中でいくつかの事業を試み、経営者として10年を過ごした後というタイミングもあったのでしょう。「起業家として何を残せるのか」と真剣に考えました。

経営者で年齢を重ねると保守的になったり、大きな挑戦を避けたり、夢を見なくなったりする人が多い。私がおじいちゃんになったとき、社員の若い子が夢を見ることができ、その若い子がおじいちゃんになったときにまた夢を見られて、というのが繰り返し続けられるような会社を残したいと思った。何百年も残るモノはつくれないけれど、そういう会社だったら残せるのではないか。それもグローバルで、売り上げを1兆円まで狙え、そして社会の役に立つような事業で。そうした事業がすぐに見つかるわけもなく可能性を探す中で、LIMEXと出合ったのです。

最初は「面白い」ぐらいの感じでしたが、商社やメーカー、専門家の人たちの意見や感想を聞いているうちに、「これがそれなんだ」と次第に確信していった。思いがあったから、ここまで諦めず続けられたと思っています。

白石工場の製造現場

被災地からミラノ万博日本館へ

東日本大震災から5年がたちました。私も発生3日後には被災地でボランティア活動をしていました。そこでの体験から「被災地の力になれるような経営者になりたい」と強く思いました。白石市に工場をつくったのは、そうした理由からです。昨年にはミラノ万博日本館に、白石工場の若いメンバーがつくったLIMEXを素材とした手提げ袋や入館カードを提供しました。白石でつくられたLIMEXがイタリアに渡る。感慨深かったですね。今年、工場の誘致などが評価されて「Japan Venture Awards 2016」で「東日本大震災復興賞」を頂きました。この賞にふさわしい貢献を続ける会社にしていかなくてはとあらためて覚悟しました。

ミラノ万博日本館に提供された手提げ袋やポスターなど


昨年11月、経済産業省の「津波・原子力災害被災地域雇用創出企業立地補助金(製造業等立地支援事業)」に採択され、来年12月にはさらに規模の大きな量産工場が宮城県多賀城市に完成します。地元で100人規模の雇用を予定しています。ここは、より被災が深刻だったエリア。事業でも復興でも、新たなチャレンジが始まります。

将来的には、紙やプラスチックに加えて、建材、車載品、ロボット、医療などさまざまな分野に可能性を広げていきたい。また多賀城市の本工場をモデル工場とし、水資源の不足している地域を中心に世界へ技術提供することを目指しています。
さらには日本企業としての文化、例えばみんなで働きがいのある会社にしていくといった価値観や考え方も含めて海外に輸出していける企業へと成長することが目標です。循環型のイノベーションを世界中で展開したとき、そのことがきっかけとなり、同じようなビジネスが生まれていったら、社会の役に立つ企業の一翼を担えたと思えるのではないかと考えています。