デジタルの旬 #28

バイオとデジタルの交差は、「八百万」的神話世界につながっていく~アーティスト/MITメディアラボ助教 スプツニ子!氏

  • 20160419 001
    Sputniko!
    スプツニ子!
    マサチューセッツ工科大学(MIT) メディアラボ助教/アーティスト
デジタルやテクノロジーと生物学(バイオ)との関係が急速に接近しており、シンセティック・バイオロジーなどと呼ばれる新分野を生んでいる。しかし、生命を操作することには大きなリスクもあり、このことを考えるには、科学だけでなく、社会批評や宗教・芸術的な想像力の視点も必要になるだろう。そんな複合的視点から、ユニークな活動を続ける女性がいる。彼女の名前は、「スプツニ子!」。最先鋭のイノベーション拠点であるマサチューセッツ工科大(MIT)メディアラボで助教を務め、アーティストでありながら、プロデューサーのようでもあり、また科学者でもある。分野の境界をしなやかに横断する彼女に、バイオとデジタルが交差する未知の先端領域を語ってもらった。

(聞き手:電通デジタル・ビジネス局 計画推進部長 小野裕三)

創造も破壊も容易にするインターネットが、文明の形を変えていく

──ご自身の現在の活動は、ディレクターやプロデューサー的でもあり、かつ科学者的で、さらには批評家的でもあるように思います。従来の創作者のイメージとはかなり異なった印象ですが、その源泉はどこにあるのでしょう。

スプツニ子!:原体験はやはり、幼いころからコンピューターやインターネットに触れていたことでしょう。コンピューターは5歳のとき、インターネットは小学校4~5年生のときに始めました。私にとってコンピューターは、遊びや表現のためのツールだったんです。マッキントッシュのソフトを使って気ままにイラストやプログラムのようなものをつくり、それをネットに公開して反応をもらったりしていました。インターネットを使うと人との関わりが入って来るので、遊びの幅がぐっと広がるんですね。

こうした原体験があったからだと思うのですが、私は学生時代から、ネットで仲間を探して、プロのアーティストに近いチーム環境をつくることができました。知名度もなければお金もない、どこにでもいる普通の学生でしたが、かなり早い段階でソーシャルメディアのコラボレーション文化に接続できていたのです。Twitterや掲示板に毎日アイデアを書き込んで、ビジョンやテーマ、どこで発表するかなどの情報を発信し、人を集め続けました。YouTubeが登場したのが2005年で、私が大学院の卒業制作を発表したのが2010年。ソーシャルメディア台頭のタイミングと卒業制作の時期が、うまい具合に重なったんですよね。

──今の子どもたちは文字通りのデジタルネイティブ世代で、生まれたときからネットがあります。そのような世代と、ご自身のように、子どものときにネットに初めて出合った体験をはっきりと意識している世代というのは、何か違う点があると思いますか。

スプツニ子!:ネット以前とネット以後の変化を知っているということは、ネットが最初からある子たちと比べると、ありがたみが違うんだと思います。私は、ちょうど思春期とインターネットの“ルネサンス”が時期として重なったので、それで世界が広がった。でも、今の子どもにはその環境が最初からあるわけで、むしろネットで世界が狭くなるという現象をもろに受けているのかもしれないですね。ネットによって「世界が広がる、うれしい」という思いがないまま使っているので、密な狭い世界のコミュニケーションをさらに狭くするためにネットを使う、みたいなところがある。

──この連載インタビューで取材してきた方々の多くは、ネットに最初に出合ったときに感じた世界が広がるという原体験を共通して持っていました。その原体験がなくなった今の子ども世代のネット観は、上の世代とは変わっていくのもかもしれませんね。ところで、ネットの持つ力といえばやはりソーシャルメディアは無視できませんが、ソーシャルメディアは社会の何を変えたと思いますか。

スプツニ子!:マイノリティーに力が与えられたと感じます。例えば最近話題になった「保育園落ちた日本死ね」というブログがありましたね。10年前にもこういった不条理はあったと思うのですが、ソーシャルメディアが一般化したからこそ、今、それが発現したんです。政治家もメディアも男性ばかりという社会の中で、女性の発言が注目され、国会の答弁にまで盛り込まれました。ただし、その力はポジティブに働くこともありますが、一方で、「イスラム国(ISIS)」やヘイトスピーチなど、破壊活動のために人を集めることにもつながっています。インターネットは、創造と破壊、その両方を容易にするツール。こうしたプラットフォームが機能するとき、果たして文明はどこに向かっていくのかが気になります。

また、人と人がつながるだけでなく、知恵と知恵がつながるメリットも大きいものです。私が所属するMITメディアラボでは、よく「anti-disciplinary」(反専門性)という言葉を使うのですが、専門性から離れ、他の分野と融合したり、他の分野の視点を持ったりすることによって、本当に面白いアイデアやイノベーションが生まれることも多い。一つの分野だけを究めるのではなく、外部の視点を持って見渡し、新しい進化の方法を見出していく。まさに“つながる力”ですよね。人と人、知恵と知恵、分野と分野。こうした多様性がインターネットによってつながるようになり、世界が大きく広がったと感じています。私は、人、知恵、分野の横断を、ハーフであったりしたことで運良く自然にやってきたところがありましたが、いろいろな分野をつなげながら問題提起をしていきたいと考えています。

それと多様性ということでいえば少し話がそれるんですけど、一つ言いたいことがあって。今、2020年の東京オリンピックに向けて、いろいろなところでテクノロジーや日本の未来をテーマにした会議が行われていますよね。でもそんな会議の場にいるのは、日本人の男性ばかりで、女性や外国人がほとんどいないのです。せっかくさまざまな人が日本にやってきてイノベーションが起きようとしているのですから、ぜひ議論の場に多様な人材を入れていただき、積極的に“開かれた日本”を発信してほしいなと思っています。

Sputniko!

テクノロジーで不老不死が実現した社会では、ラブソングはどう変わるか?

──ご自身でも、テクノロジーとアートを幅広くつなぐユニークな活動をしてきているわけですが、一般にいわゆる「メディアアート」と呼ばれるような、デジタルやネットのテクノロジーを使ったアートをどのように受け止めていますか。

スプツニ子!: 私自身は「メディアアーティスト」と呼ばれることに抵抗を感じています。メディアアーティストと呼ばれる人たちは、デジタルやネットなどの「その媒体ならではの新しい表現や美学」を考えている人が多いと思うのですが、私は人の文化や考え方や営みがどう移り変わっているかというところに注目していて、そのプロセスで結果的にテクノロジーを扱っています。私は、テクノロジー自体にはそこまで興味がなくて、人間にすごく興味がある。テクノロジーと文化は一体のもので、文化の推進力としてテクノロジーがある、と思うんです。

例えば今、バイオ関連のテクノロジーの進展によって、人の寿命が飛躍的に延びる、極端にいえば不老不死になる、という議論も実際に学者の間で行われていますね。でも、テクノロジーによって人の不老不死が仮に実現したとして、その社会ではラブソングはどう変わるんでしょうか。結婚の「永遠の誓い」も、その「永遠」の定義が変わりますよね。「本当に永遠じゃん!」みたいな(笑)。そんなふうに、テクノロジーがアナログ的な“人間の欲求”にどう作用するかに興味を持っています。

──最近では、デジタルなどの最新テクノロジーとバイオが交差するような、シンセティック・バイオロジーといった新しい領域に一般的にも注目が集まっていますね。

スプツニ子!:シンセティック・バイオロジーの分野は、今はまだ一般社会の理解がふわふわしていますが、近い将来、爆発的に進化すると考えています。そのうち取り組む人が増え、“DIYバイオロジー”のようなものがはやる時代がやって来るのではないでしょうか。MITでは既に、iGEMという、大腸菌などをプログラミングするコンテストを実施しているんです。高校生や大学生でも参加できる、いわば「ロボコンの生物版」ですね。

私はアーティストとして、シンセティック・バイオロジーを扱った実験的な作品を制作しています。例えば、「運命の赤い糸をつむぐ蚕」。恋愛ホルモンとも呼ばれる「オキシトシン」という物質があるんですが、これはカップルの間の恋愛感情を高める作用があるとされます。そこで、農業生物資源研究所とコラボして、このオキシトシンをつくる遺伝子と赤く光るサンゴの遺伝子を蚕に組み込みました。これによって、神話の世界でしか存在しなかったような、恋に落ちる成分が入った「運命の赤い糸」をつむぐ蚕を生み出しました。

研究者の方たちと「これをもしプロダクト化したらどうなるんだろう?」と雑談的に話しているんですが、例えば、「運命の赤い糸をつむぐ蚕」の糸で「恋に落ちるブラ」や「恋に落ちるドレス」をつくれるかもね、とか、女性ホルモンと似た働きをするといわれるイソフラボンを織り込めば「胸が大きくなるブラ」をつくることもできてしまうかもしれないよね、と話しています(笑)。そんなふうに、バイオでいろいろな新素材のデザインができるようになっていく可能性もあって、とても面白いなと思いながらやっています。

Sputniko!
「運命の赤い糸をつむぐ蚕 - タマキの恋」(画像をクリックすると公式サイトで動画をご覧いただけます)

──このような動きが進んでいくと、どこかで倫理の壁に突き当たるようにも思います。

スプツニ子!:MITメディアラボでも、倫理の問題は常に議論されています。

ある研究者は、遺伝子操作でつくった生物の特徴が100%後世に遺伝する、「ジーンドライブ」と呼ばれる技術の研究をしています。例えば、マラリアを媒介しないジーンドライブの蚊を100匹つくって自然界に放つと、やがて自然界にいるすべての蚊が、マラリアを媒介しなくなる。人間が生態系をデザインできてしまうのです。マラリアがなくなることだけに着目すればハッピーなのですが、一方で、悪意を持って使えば恐ろしいことができてしまう危うさや、万が一そこにバグがあったら多くの命が危険にさらされる怖さがある。研究者自身も、こういう研究を進めていいのかいけないのか、常にジレンマを抱えて取り組んでいるとのことでした。彼は、自らが行う研究の危険性を十分に認識していて、「研究者が、社会とコミュニケーションをしながら倫理を確立するプラットフォームが必要だ」といった話をよくしています。

また、自動車の自動運転の研究をしている同僚がいるんですが、彼も、今、倫理の問題をテーマにしています。 自動運転には、高度な倫理的判断が必要です。例えば、「このまままっすぐ進むと歩行者を3人ひいてしまう。ハンドルを切ればその歩行者達は助かるが、その場合には車に乗っている人が衝突して死んでしまう」といったような場合。こういう難しい局面で人工知能が倫理的に正しい行動を選択するのは、容易なことではありません。そもそも正解はないのかもしれませんよね。その研究者は、倫理の問題を大勢の人にオンラインで出題して回答をしてもらうことでビッグデータを取って、一般的な倫理観を人工知能に搭載しようという研究をしているんです。でも、おそらく例えばA国の倫理観を搭載した車とB国の倫理観を搭載した車では、全く違った動きをするでしょう。仏教の倫理を搭載した車とキリスト教も違う判断かもしれない。そもそも、一般的な倫理観が常に正しいといえるのかどうかも分かりません。

こうした問題をどう解決するか、MITメディアラボでも話し合っているところなのです。下手なアートよりも、実はよっぽどアート的なことで、答えはまだ見つかっていませんが、とても興味深いテーマだと思っています。

人間も動物も人工知能もフラットに並ぶ、多神教的な世界がやってくる

──まさに、テクノロジーが神や神話の領域に踏み込みつつあるわけですね。ただ興味深いと思ったのは、ご自身で手掛けている作品には古い神話をモチーフにしたものが多くありますが、その際の神話というのは西洋の神話じゃなくて、日本の神話なのですよね。それは、一神教と多神教の違いということが大きいんじゃないかと思ったのですが。

スプツニ子!:そうなんです。特にバイオの世界は、一神教で語られると、「God vs Science」(神と科学が対峙する)のようになってしまいがちです。でも多神教視点で見ると、「God Absorbs Science」(神が科学をのみ込む)のような新しい世界が見えてきます。サイエンスさえも吸収してしまうのが「八百万(やおよろず)の神々」の多神教。東京の神田明神では、「IT情報安全祈願」というコンピューターのお守りもあるくらいです。交通安全お守りも、車が出てきてから出始めたわけですから。多神教は臨機応変なので、その時代に合わせて変わっていく。そのうちに「宇宙旅行安全祈願」のお守りも出ると思います(笑)。

これからの世界は、さまざまな宗教、さまざまな倫理観、恋愛観や家族観が存在し、複雑に絡み合うようになる。だから、「これもあり、あれもあり」じゃないと、いずれ世界は崩壊してしまう。「ついに来た、八百万の時代!」と私は思っていて、日本の神話というと伝統や保守と結び付ける人もいると思うのですが、本質的には違う。先進的でイノベ-ティブな八百万マインドがあるのが、これからはいいんじゃないでしょうか。

──人間と他の生き物との関係も変わってくると思いますか。

スプツニ子!:八百万とかアニミズムって、人間を特別視し過ぎず、フラットじゃないですか。これからは、何が人間で何が人間でないのか分からないような社会がやって来ます。思考も人間の在り方も、どんどんボーダレスになっていく。人工知能が拡張すると、どこまでが人間でどこからが人工知能なのか分からなくなるでしょうし、育成に動物を用いた臓器をヒトに移植した場合、それは一神教の視点で考えた場合、「許せない」と受け止められるかもしれませんが、多神教的な考え方からはそれもアリでしょう。八百万の「まぁアリじゃない?」という感じが大事で、そのスタンスがこれから効いてくると思います。

なにしろ、古事記に登場する豊玉姫だって、竜の姿になって子どもを産んでいるぐらいですから。竜と人間が交ざっているわけで、バイオテクノロジーの世界にも通じる。そう考えると今の私たちは、アニミズム的な神話の世界に回帰しているんじゃないかと思うのです。そういった可能性に魅力を感じ、2016年に私は「豊島八百万ラボ」というプロジェクトを立ち上げました。これは、科学によって神話をつくり、神様としてどんどん祭っていこうというプロジェクト。多神教ならそれもアリと思います。

Sputniko!
豊島八百万ラボ

──人間とその他の生き物がフラットな関係になっていくとして、人工知能やロボットもその同じフラットな並びに入ってくるのでしょうか。

スプツニ子!:今の人工知能やロボットは無機物ですが、その人工知能を有機物に搭載することもそのうち可能になると思います。だからいずれ、無機物か有機物かという素材の違いでしかなくなるでしょう。

──その人工知能と人間との関係については、どう考えますか。人工知能は人間に対する脅威だという主張もかなり耳にしますが。

スプツニ子!:人工知能が人間の仕事を奪うという見方の根底として、人工知能が人間的なものに進化していくとみんな思いがちなわけですが、私はそうではないと考えています。これからの人工知能は、ひとりではなくたくさんの人たちの集合体としてのビッグデータがあり、それを元にした存在で、それはヒトのような存在のあり方とは違う。なおかつ、独立したものではなく、人工知能が人間にアドオンするようなものになるのではないかと。だから、MITメディアラボでは「アーティフィシャル・インテリジェンス」(人工知能)ではなくて、「エクステンデッド・インテリジェンス」(拡張知能)と呼ぶべきだと話しています。つまり、「いずれ人工知能に仕事が奪われる」だとか「ディストピアがやってくる」みたいなことが一般的によく言われますがそうではなくて、人工知能に淘汰される前に、人間は人工知能とドッキングするのではないかと。

──人間の脳と人工知能がつながることで、人間の思考が外部化していくという予測も確かにあって、でもそれは結局、人間自体ができることの退化のようにも思えるのですが、どうなのでしょう。

スプツニ子!:以前、東京大学の山中俊治先生が、「写真が出てきたとき、たくさんの写実画家が仕事を失った。ただ、写真が出てきたからこそ、芸術が新しいステージに到達したとも言える。それと同じことが、知性にも起こり得るのではないか」とお話しされていました。計算や調査が瞬時にできるのだったら、それはもう人工知能に任せておいて、私たち人間は真の知性を開拓すればよいのではないでしょうか。

──人工知能が従来の人間の役割を奪うことは、むしろ人間の真の知性が育まれるきっかけになり得るというわけですね。その場合の真の知性とは、具体的にどういったものでしょう。

スプツニ子!:ものの見方や視点を変えて柔軟に考えること、でしょうか。問題解決の方法があって解決することならコンピューターにもできますが、新しい問題を見つけたり、解決の方法を考えたり、視点を変えるというようなことは、今のところコンピューターにはできません。碁で人間に勝った人工知能の「アルファ碁」も結局、碁を打つことしかできないじゃないですか。人工知能は、視点を与えてこれが正解ですと伝えれば、そこに向かう。でも、どんな問題があるか、どう解決すべきか、どの方向に進むべきか、といったことを考えるのは今のところ人工知能にはできません。例えば広告でも、人が求めるもの、欲しいものを提示するのは人工知能ができること。でも誰も求めていなかったのにとてもいいもののことは、人工知能には分からない。そこに人間の知性の可能性があると思っています。

──ご自身が手掛けている「デザイン・フィクション」や「スペキュラティブ・デザイン」と呼ばれるものは、デザインという手段を用いて社会の未来のために大きな問題提起をしていくものだと思います。そのことは、人工知能にはできない大きな方向性を人間が考える、という今の話に近い気がしますが、どうなのでしょう。

スプツニ子!:近いと思います。そういう、まったく新しい問題提起は人間の得意なことですよね。私自身も、割とハチャメチャな問題提起をいろいろな分野の交わるところでやっています。私って、あまのじゃくなんです。だから、「未来はこうあるべき」という正解のレールはあんまり提示したくない。そういうプロパガンダにはあまり興味がなくって、映像や物語の力も使って、とにかく問題を掘りおこしまくる。永遠のあまのじゃくでやっています(笑)。

プロフィール

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    Sputniko!
    スプツニ子!
    マサチューセッツ工科大学(MIT) メディアラボ助教/アーティスト

    1985年東京生まれ、ボストン在住。インペリアル・カレッジ・ロンドン(ロンドン大)数学科・情報工学科卒、英国王立芸術学院(RCA)デザイン・インタラクションズ専攻修士課程修了。在学中から、テクノロジーによって変化していく人間の在り方や社会を反映させた映像作品などを制作。主な参加展覧会に、「Talk to Me」(ニューヨーク近代美術館、2011年)、「東京アートミーティング うさぎスマッシュ」(東京都現代美術館、2013年)、「Design and Violence」(ニューヨーク近代美術館、2014年)など。2013年からマサチューセッツ工科大学(MIT) メディアラボ 助教に就任しDesign Fictions Groupをスタート。著書に『はみだす力』。

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