JOC竹田会長インタビュー

「2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて」第3回

  • Takeda tsunekazu profile
    竹田 恆和
    公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC) 会長

2020年大会のグランドデザインを語る
「2度目ならではのムーブメントを」 第3回

スポーツが持つ底力を世界に伝えたい

―竹田会長は「スポーツの社会的価値」ということをよくおっしゃっています。

竹田 スポーツの社会的価値とは、スポーツ分野のみならず、広く社会で"なくてはならないもの"として認識される、さまざまな価値のことです。性別や年齢に関係なく、あらゆる人々に伝わる感動や夢。被災地の人々に与える勇気。疲弊した日本を元気する活力。そういったこともレガシーであり、スポーツが持つ社会的価値にほかなりません。今回の招致活動のプレゼンでも、私たちにとっては、スポーツやオリンピックバリューを社会にどう生かすか、それをアピールすることが大きなテーマでした。つまり、スポーツが持つ底力を、世界に伝えたかったわけです。

―そういったオリンピック・ムーブメントのために、パートナー企業の果たす役割をどのようにお考えですか?

竹田 今は、多くの企業の協力がなければオリンピックを成功させることはできません。一方、協力してくださる企業には、それに対するベネフィットが必ずある。互いにギブ・アンド・テークの関係ですが、JOCとしても、協力いただいた企業にはきちんとベネフィットが得られるように万全の体制で臨んでいます。

かつては、47%しかなかった大会招致への支持率が、先ほど申し上げたように、今年の3月には70%になり、その後、共同通信の調査では82%に、さらに、8月末の文部科学省の調査では92%にまでなっています。社会的な事象に90%以上もの支持が集まるというのは、まれなことです。それだけ多くの人々の期待と希望に応えていかなければならないということです。そして、この高い支持率に対して企業からも大きな関心が寄せられているのだと思います。その熱い炎を維持していくためにも、私たちJOCや東京都をはじめ、オリンピック関係者の今後の取り組みが重要だという思いを強くしています。

続けている限り、夢には必ず近づく

―オリンピックへの熱い思いが伝わってきます。竹田会長自身も、かつては馬術競技で活躍したオリンピアンでした。

竹田 私は、1964年の東京オリンピックを見て、オリンピック出場という夢を描いてチャレンジしたアスリートの一人でした。高校生のときに、実際に馬術の障害飛越競技を観戦して、それまで見たことがない高いレベルの世界があることを知りました。あの「高い世界」に行けるまでに自分の腕を磨きたい。そう思いながら、オリンピックを目指したわけです。

幸い、出場という夢は達成できました。しかも、選手として2度も出場することができた。成績はそれほど自慢できるものではありませんでしたが、ただ、その成績以上に、私には、もっと大きな“レガシー”が残りました。物事を最後まであきらめずに、やり抜くという精神力です。

正直に言えば、若い頃は、挫折してもうやめようと思ったことは一度や二度ではありません。もしそこでやめていたら、私の人生は、まったく方向の違ったものになっていたはずです。さまざまな挫折や壁もあったけれども、しかし最後までやり抜いた。その結果、かつて夢見た「高い世界」で戦うことができたわけです。

続けている限り、夢には必ず近づく。それは、私の人生の哲学にもなり、今回のオリンピック招致でも実感したことです。

―「オリンピック愛」を持つアスリートが、いつしか、2度目の大会招致の立役者になりました。

竹田 いや、それは偶然というか、たまたまなんです。選手だった頃には、自分がJOCで仕事をするとは考えてもいませんでした。引退後は、母校の慶應義塾大学の馬術部でコーチや監督を務めていたのですが、12年の在任中に2度、全日本学生選手権で優勝することができた。その後、日本馬術連盟から仕事のお誘いがあり、国際馬術連盟、JOCへとつながっていったわけです。自分の意志で今の立場を目指していたわけではないのです。

指導者として貫いていたことですか? やはり、自分も選手でしたから、常に「アスリートファースト」で物事を考えるようにしていました。選手の身になって、選手のために何ができるのかと。

父の背中にオリンピックへの熱い思いを感じて

―ご尊父の恒徳さんも乗馬をたしなみ、JOCの会長を務め、そしてIOC委員として1964年の東京オリンピック招致に尽力されました。ご尊父から受け継がれたオリンピック精神というものはありますか?

竹田 実は、父はあまりそういったことを私の前では語りませんでした。かつて騎兵将校として馬術にも打ち込み、一時はオリンピック出場の夢を持ったこともあったようですが、私には、「オリンピックを目指せ」などと言ったことは一度もありませんでした。

ただ、もともといろんなスポーツをやっていたので、スポーツに対する深い理解と愛情があったのだと思います。JOC会長やIOC委員を務め、スポーツの世界で力を尽くしたいという思いも強かったはずです。1964年の東京オリンピック招致のために忙しく動き回っている父の背中に、オリンピックやスポーツに対する思いを、私なりに感じ取っていたのは確かですね。

―最後に、国民に向けたメッセージを。

竹田 2020年の東京オリンピック・パラリンピックは、間違いなく、一人一人の日本国民と、日本国中を元気にする起爆剤になります。ぜひ楽しみにしていただきたいと思います。そして、その国民的、いや世界的大イベントに何らかの形で関わっていただけたらと思います。皆さんのご支援ご協力をぜひお願いします。 (完)

 

竹田恆和会長とオリンピックとの関わり

1964年  高校生のとき、東京大会の馬術競技を観戦し、オリンピック出場を夢見る。
1972年  ミュンヘン大会の馬術障害飛越に日本代表として出場。
1976年  モントリオール大会で同競技に出場。
1984年  ロサンゼルス大会で馬術チームの監督代行を務める。
1988年  ソウル大会で馬術チームのコーチに。
1992年  バルセロナ大会で馬術チームの監督を務める。
2000年  シドニー大会の日本代表選手団本 部役員に。
2001年  JOC会長に就任。
2004年  アテネ大会の日本代表選手団団長に。
2012年  IOC委員に就任。
2013年  2020年東京オリンピック・パラリンピック招致の中核的存在として尽力。

プロフィール

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    竹田 恆和
    公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC) 会長

    1947年生まれ。慶應義塾大卒。馬術障害飛越日本代表としてミュンヘン、モントリオールオリンピックに出場。現役引退後は、日本代表馬術チームのコーチ(ソウル)、監督(バルセロナ)も務める。2001年JOC会長に。12年7月、日本で13人目のIOC委員に就任した。

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