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Experience Driven ShowcaseNo.72

ココロを動かす演出論(前編)

2016/07/12

海の旅を五感で体感できるホールイベント「AQUARIUM BY NAKED - TO THE SEA-」(以下、アクアリウム)が8月末まで開催されます。今回はこの新感覚のイベントを制作したネイキッドの村松亮太郎さんと、電通の米山敬太さんが語り合います。

取材・編集構成:金原亜紀 電通イベント&スペース・デザイン局
(左より)米山氏、村松氏 ※ネイキッド本社にて
 

演出におけるテクノロジーの意義

米山:電通で私が所属している部は「エクスペリエンス・テクノロジー部」というのですが、ネイキッドのアクアリウムでは多くのテクノロジー演出が入っています。村松さんにとって演出におけるテクノロジーの役割をお聞かせください。

村松:テクノロジー表現は一つの武器にはなるでしょうけれど、それはあくまで絵を描くときの筆と一緒。何かイベントをやるときもテクノロジー博覧会をやりたいわけではない。お客さまは楽しみに、感動するためにそこに行っているので、テクノロジーの知識を得るために行っているわけではないので、演出するための一つの手段として考えています。今のテクノロジー偏重のアートシーン全体に対しては違和感がありますね。

米山:例えば、オペラの世界でも最近はプロジェクションマッピングを使い、登場人物が考えていることを映像で表現したり、シーンごとに場面設定を映像化して見せるようなことをやっています(※参考コラム:「伝統芸術×最新テクノロジー」)。そういう、必然的なプラスアルファの意味がある場合にこそテクノロジーを使うべきだと、私も思います。

村松:そう。例えばそれも、オペラが積み上げてきたベースの素晴らしさがなくなっちゃって、テクノロジーでやったら何とかなるということなら、全く意味が違うじゃないですか。

米山:積み上げということでいえば、ネイキッドは新江ノ島水族館や品川アクアパークなどで、日本の水族館の新しい楽しみ方をつくられてきて、今回は全く新しいアクアリウムをつくりました。演出コンセプトや特徴を教えてください。

村松:新江ノ島水族館の「ナイトアクアリウム」を最初にやったときは、水族館に新しい体験をつくり出しましたが、今回のアクアリウムはその発展です。でも本当の水族館であれば、生き物がいる圧倒的な魅力をどう拡張させるかを考えればいいけど、今回はホールという何もない空間に、バーチャルな水族館を立ち上げなきゃいけなかったというのが一番の違いですね。そういった意味では、うちにとって集大成の水族館イベントであるともいえますね。水族館なのに、水槽そのものがないわけですから。

米山:それでアクアリウムでは、リアルな水族館で見られないものが見られるというアイデアになったのですね。例えば深海まで行くという旅。それはダイバーでも無理ですし、普通の水族館では体感できない世界であり、映像だからこそ可能な世界観ですよね。

 

五感を刺激する演出術

米山:今回のアクアリウムは五感の演出にこだわっているので、村松さんの五感へのこだわりについてお聞きします。世間的にはネイキッドは映像制作会社として見られていますが、私は今年1月の日本橋三井ホールでの「FLOWERS BY NAKED」(以下、フラワーズ)を見たとき、ネイキッドは演出会社なのではないかと思ったのです。

 

 

米山:フランク・ハウザーというイギリスの演出家の「演出についての覚え書き」という本があるのですが、130の覚え書きの中に、「香りはダイレクトに感情を刺激する。それに次ぐのが音楽だ」と言っている。嫌な音楽(BGM)だったらぎりぎり我慢できるけど、香りって音楽より感覚への刺激が強いですよね。嗅覚から9割の情報を得るという動物もいるくらい。

村松:人間が賢くなるにつれて、実は生物としてどんどん退化しているように感じていて、頭脳的処理、左脳的な処理が多くなっていけばいくほど、感性が鈍るというか、五感は自由さを失うと思います。感覚の能力知というか、心臓の脳に対する優位性を大事にしたい。心が感じた瞬間の「あっ、いいな」と思う感覚って、脳の理解より早いじゃないですか。その早いところで、考えさせる前に、スイッチを入れたいんですよ。例えばアートとかでも、そこに解説が書いてあるじゃないですか。それを読んで「あ、なるほどね」という時点で、本当にアートに感動したのかどうか疑問だという感覚があるんです。

そういうことを頭が理解する前に、感覚として「いいな」と理屈抜きに感じさせられるようなことを僕はしたい。そうしたときに、特に香りというのは非常に有効というか、むしろセットだと思います。香りと、流れている音楽と、目に入ってくるものとか、全部がセットなんです。感覚に触れたものって、やっぱり深く入るので、終わった後、帰った後も、印象として後々残る。肌で覚えるというか、まさに「ダイレクトに刺激する」ということです。言っていることは一緒ですね。

米山:この本には他にも、「適切につくられた舞台には余分なものが一つもない。足りないものが一つもない」とありますね。余分なものは一切つくらない、でも感受のための必要なことは全て入れているという、村松さんの仕事と一致していますね。

村松:例えば食事でも、最初に「これは何とかの岩塩でございまして」うんぬんといって食べさせられるのにうんざりしませんか。見方を固定されないでシンプルな自分の感覚で感じてから、「これ、おいしい。何だろう。これ、何の香り?」となるのが自然ですよね。

米山:キリスト教の教会も五感を使った空間だと思うのです。キリスト教は、宗教改革以降、ものすごい信者の取り合いというか、マーケティング戦争みたいになりました。音楽を使ったり絵画を使ったりの、まさにキャンペーン状態です。
教会には絵も音楽もあるし、お香も炊きますし、像にさわったりもありますね。まさに五感で体感する空間、布教活動をする空間なんですね。

村松:モスクやお寺もそうですよね。理屈を超えるものを伝えようとしていくと、やはり感覚的なものになっていくのかな。

米山:J.S.バッハも毎週、日曜ミサのために新しい曲をつくって、その新しい曲を聴くために、ライプチヒの教会に信者の方たちが行ったといわれています。ミサが信者を惹きつけるための客寄せイベントでもあったわけです。村松さんは、音楽の演出の力についてはどう思われますか。

村松:うちのイベントの音は、すごくいいですよ。それは僕が映画づくりをしてきた影響も大きくて、音はまさに僕にとって効果音なのです。例えば岩が動く時にゴゴゴゴッていうのは、ゲームにつける記号的な音のゴゴゴゴッじゃダメです。音のつくり方が全然違う。バーチャルの世界観をつくっているわけですが、逆に音のリアリティーについては、映画並みにつくり込みますね。

人間がセンサーとして得ている情報量ってすごくて、人工知能にしても、ロボットには絶対に人間になれない部分がある。それは圧倒的にインプットする感覚のセンサーの部分なんじゃないかな。だからキーになってくるのは実は身体性で、五感で楽しむということは、つまり身体性を最大限に引き出して使うことだと思います。

米山:ヘルベルト・フォン・カラヤンという世界最高の指揮者が、「音楽とは脈拍である」と言っていたのを聞いたことがあります。僕はクラシックが好きで毎日クラシックを聴いていますが、最近、自分の脈拍まで操作されるという感じが少し分かってきました。
カラヤンが言っているのですが、指揮者は力を抜くことが重要なのだそうです。力むと説得力が落ちるらしい。

村松:そう!指揮者は、周りのエネルギーをどれだけ動かせるかじゃないですか。
U2のボノも、本当の本気とは、少しリラックスした状態だと言っていましたね。

 

プロジェクションマッピングの先駆者が語る映像論

米山:視覚や映像表現については、どう考えられていますか。

村松:道具は何でも使うといいながらも、一番長くメインの武器として、自分の筆として使ってきたのは映像ですね。僕がプロジェクションマッピングを面白いと思ったのは、それまで映画をつくってきた人間として、フレームの外に世界を展開できるという新しい魅力が圧倒的な違いで、そこに一つの可能性を見出したのが大きいです。

例えば日本の映画産業は、表現としてもフレームに閉じ込められていますが、ビジネスモデルも確立され過ぎて新しいものに挑戦しづらい。プロジェクションマッピングは、映像も閉じ込められていないんですが、僕自身の可能性も閉じ込められてないと感じられて制作を楽しめる。映像というよりは、「像」そのものをつくるわけですからね。

米山:東京駅のプロジェクションマッピングを見て思ったのですが、予想を超えたところが感動を生むし、かといって予想を超え過ぎて不満足になってもだめだし、そこの振れ幅はどう考えていますか。


東京駅のプロジェクションマッピング ©東京ミチテラス2012実行委員会

 

村松:僕が得意とするのは、例えば夜景だったり、花だったり、水族館でも海の生き物とか、非常にオーセンティックな題材です。それを全く新しい視点で見せる。つまり大事なのは、広い意味でストーリーだと思うんです。その場に合ったストーリーというものがちゃんと用意されていることが重要で、そこから外れてしまうとよく分からないものになってしまう。広い意味においての物語性こそが安定感をつくる気がします。

 
(後編に続く)