イキですてきな仲間たち―電通を創った男たちⅡ― #09

耕さん!
才能へのなりふりかまわぬ愛【中】

  • Masuda yoshio pr5
    増田 良夫

ここに耕さんの名刺がある。耕さんが初めて東京トヨペットの品川本社を訪れたときのものだ。当時の宣伝部の宮田昇一さんから寄贈していただいた。名刺に添えて思い出が書かれている。

「記憶は定かではありませんが、たしかその日、岡田チームの面々から企業広告のプレゼンテーションを受けたはずです。そのときの岡田さんは、なんというか、好々爺然として後方に待機し、なにかボソボソと例の調子でおっしゃったのですが、どうも、グシャグシャ意味の分からない内容でした。……にもかかわらず、笠智衆のような存在感であったのは間違いなく、岡田チームの『妙な幸福』を垣間見たような気がしました」

名刺

岡田チーム、通称、岡田学校。真ん中にいるのは耕さん。『妙な幸福』は、むろん耕さんから生まれる。

川手正樹が、耕さんのクリエーティブディレクションをかくのごとく簡潔な筆致でデッサンしている。「スタッフを持ち上げ、やる気にさせて、周囲の雑音を遮断して自由にやらせる。評価はあたたかい視線と冷たい視線で伝達する」

つまり、耕さんは何もしない。みんなの仕事を眺めているだけ。傍からはそのようにしか映らない。だが耕さんは、そうしながらいちばん大切な仕事をしている。人を育てる、というもっとも大事な仕事を。このときの東京トヨペットの仕事は、東京コピーライターズクラブのクラブ賞をもらった。コピー増田、デザイン川手、耕さんもひと仕事している。小さく型どおりに納まっていた企業スローガンを「でっかくしろよ!」と叫ぶディレクションをした。クラブ賞受賞はその結果であるこというまでもない。

TCCクラブ賞を受賞した東京トヨペットの新聞広告
  TCCクラブ賞を受賞した東京トヨペットの新聞広告

耕さんの直接の部下ではなかったが、天才白土謙二もこの『妙な幸福』に接しているひとりだ。深夜、蛍光灯だけが青い、ひと気のない部屋でコピーを書いているところへ、ぶらりと耕さんがやって来た。

「なにしてるの?」

「明解国語辞典を目をつぶって、ぱッとひらいて、そのページに並んでいる言葉をつかって、コピーを書いてみているんです」

「面白そうだねエ、僕にもやらせて」

となりの席に座ってぱらぱらと辞書をめくる耕さんを見つめながら、「あゝ、これが岡田学校の空気なんだ、」と白土謙二は嫉妬を覚えたそうだ。

ほめて育てる、とはよく云われる話である。たしかに耕さんはほめ上手だった。世間一般と違うのは、それがうわっ面ではなかったことだ。熱く。激しく。まっすぐに。「いいなあ、それ!」と、裸のままの、ほとばしり出る感情だった。その根底にあるのは、才能へのなりふりかまわぬ愛だった。

菊地伸介が駆けだしの頃。大阪の某広告主へ耕さんとプレゼンテーションに行った。「で、デンツウさんのおすすめは?」。菊地伸介のやりたいのはA案。しかし耕さんはやたらC案に固執する。まいったなァ、と思っていると、「なんか、キクチはA案をやりたいといっていますから、聞いてやってくださいっ!」聞きようによってはひどく投げやりに云ったという。でも、あのときのうれしさは思い出すといまでも胸が熱くなる──キクチはとうに還暦を過ぎている。

この愛がそそがれるのは電通とかぎらない。博報堂の土井徳秋さんは、一面識もないのに、いきなりコピー年鑑の編集委員に指名された。1981年、耕さんが編集長になったときである。岡田耕編集長の年鑑テーマは『勇気。あるいは度胸』だった。「このテーマで沢木耕太郎さんに原稿を頼んでみたいなァ」土井さんのつぶやきを耕さんは聞き逃さない。「それは、是非、やんなきゃ!」強い調子で云った。背中を押していただいた。うれしかった、と土井徳秋さんはおっしゃる。才能に分け隔てをしない。耕さんはそういう人なのである。

沢木耕太郎さんは、土井さんの依頼に応え、『睾丸を食べすぎた男』というタイトルで、400字詰め原稿用紙10枚を超える長文のエッセイを書いてくれた。ヘミングウエイの作家としての勇気と度胸に関する一考察である。にもかかわらず。耕さんは──ふつう編集長は年鑑のテーマについて長々と趣旨を述べるものなのに──100字程度しか書いていない。

「やってしまえば、なんでもないが やるっていうことは、いつも大変なことだ。つまり才能とは、勇気、あるいは度胸である。あたり前のレトリック、あたり前の感性をこえて ある時は大胆に、ある時はハチャメチャに そんなコピーに出逢いたい」

耕さんは、早稲田大学教育学部英文科卒である。文学青年だったに違いない。先頭に立って「級誌」づくりに励んでいる。1954年3月発行というから、耕さん21歳の春。ガリ版刷りの質素な同人誌の巻頭を耕さんが飾っている。

「小説を読んでいる時、友人と話している時、学校で講義を聞いている時、中学生たちに教えている時、『あゝそうだ、これだ!』と強く感ずることがある。僕はその時の感動をもっと大切にしなければならぬ。そういう感動こそが僕の既成の概念の中に確実に浸透していくのだ。一度で恬然と悟る、などということはあり得ない。悟るなら何十ペンも何百ペンも『あゝそうだ、これだ!』と悟る必要がある。人間の成長とは、それ以外にはあり得ない。この頃、僕はそう確信するようになった」

発行日は異なるが、同じ級誌に耕さんの『覚書きの断片』がある。一行、小林秀雄の言葉が書き残されている。

「モーツアルトは目的地など定めない。歩き方が目的地を作り出した。彼はいつも意外な処へ連れて行かれたが、それがまさしく目的を貫いたということであった」

自由に歩かせる。そして自らの才能に気づかせる。自分で勝ち取る力をつければ、才能はつぎつぎと壁を乗り越えてゆく──耕さんの人づくりの秘密と極意は、このあたりにあったような気がするのだが、いかがなものだろうか。

学生時代、中学生を集めて塾を
学生時代、中学生を集めて塾を

大事なことをひとつ書く。ともすれば、クリエーターは饒舌で、仕事の幸運を自分の手柄のように賢げに本にしたりするが、耕さんはこの手の自慢ばなしを口にも、文字にもしなかった。「人の患い(やまい)は人の師となるを好むにあり」。耕さんほど、この古人の言葉から遠い人はいなかった。

もちろん耕さんだって、部下に教えを請われれば応えなければならない。そんなときでも、耕さんはけっして上に立つことがなかった。いかにも自信無げに、ぐずぐずと、自らに問うように横から語りかけた。耕さんが局長時代に執筆した短文──クリコミに掲載、のちに『コピー100想』に収録される──にそれが端的にあらわれている。

──「とある会議での、ぼくの会話」である。

「大切なのは、コンセプトだよ。コンセプトさえしっかり固めておけば、ずれたりしないよ。と言っても、あんまりコンセプト、コンセプトしたのも、いやだけどね」

といいつつ、ぼく(耕さん)は「コンセプトって何だろう?」と自問している。テイストしかり。スタンスしかり。トーンしかり。

「やばいなぁ、ヤバイ。便利なコトバたち。確かに仲間うちには、何となく、そのコトバ以上の気持ちみたいなものは伝わるんだけど、なんだか、そのコトバの便利さに頼り過ぎて、自分の頭の中までパターン化してしまっている気がする。こうしたコトバのワクから、発想が出なくなってしまっている。コンビニエンスストアは便利だしウレシイけれど、コトバのコンビニエンスは、コワイ、コワイ」

こんな調子で、耳元でささやかれてごらんなさい。誰だって、考え込んで3日は寝られなくなる。


人物註
(電通関係者は敬称略)

☆ 宮田昇一さん:東京トヨペット取締役。引退後はゴルフ三昧。日々雑感の楽しいウエブをお持ちである。

☆ 川手正樹:電通アートディレクター。第一クリエーティブ局長。日本公共広告機構専務理事。

☆ 白土謙二:電通CMプランナー、コピーライター、クリエーティブ・ディレクター、企業の経営・事業戦略からブランドコミュニケーションなど、広汎なビジネス領域を戦略と表現の両面から統合的にコンサルティングを担当するスーパーマン。

☆ 菊地伸介:電通コピーライター。第三クリエーティブ局次長シニア・クリエーティブプロデューサー。

☆ 土井徳秋さん:博報堂コピーライター。のち独立。


◎本連載は、電通OBの有志で構成する「グループD21」が、企画をしています。
◎次回は8月6日に掲載します。

プロフィール

  • Masuda yoshio pr5
    増田 良夫

    1942年東京生まれ。東京都立大学法経学部・経済学科卒。65年電通入社。コピーライター。第四クリエーティブ局局長。電通テック常務。もっか一人の妻・七匹の猫と同居生活。坊城浩の筆名で閑文字づくりの日々を送る。

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