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若者が分かれば未来が見える ~「若者離れ」発売記念連載~No.2

知らない大人は損してる!?
若者の「質の影響力」って?

2016/08/17

書籍「若者離れ」
四六判、256ページ、1500円+税、ISBN978-4-8443-6600-3
書籍の詳細はこちら

電通若者研究部(電通ワカモン)の新著「若者離れ」と連動した連載コラム。
第1回「今起こっている“大人の若者離れ”って?」には多くの反響を頂きました。

「まさにうちの会社、これだと思います…」
「○○業界にすっぽり当てはまる構図だ」
「なんで最近、面白いものが少ないのか、ちょっと分かった気がする」

若者の「量の影響力」=人口ボリュームの減少によって、組織や経営が彼らの持つ「質の影響力」に目を向けず、それをうまく還元できなくなっている、というのが「大人の若者離れ」の出発点です。では、「質の影響力」とは何なのか?ここではその中身について、ちょっと言及したいと思います。

若者には独創的なアイデアや想像力=「質」がある

若者の「質の影響力」とはずばり、「それ以前の世代では思いつかなかったような独創的なアイデアで、事業や商品を創造していく力」です。

「量の影響力」=人口ボリュームが大きければ、いや応なく彼らの意見やニーズと向き合わざるを得なくなります。またそれに応えるべく、新しい感性や価値観をプランニングやクリエーションにも生かそうという動機付けが組織の中でも働きます。
しかし、ニーズそのものの量も、組織内の若手の量も少なくなってくると、「良さがよく分からない新しいモノゴトや考え」を無理に取り入れるよりも、「これまでのやり方を可能な限り、長引かせる」方向に力学が働きがちです。

私は電通ワカモンの代表として、そしてもう一つの肩書である電通未来創造グループのディレクターとして、さまざまな企業の経営・組織改革に携わっています。そこで感じるのは、若者の「質の影響力」を還元できない組織は、シンプルにいえば「新しいことを起こしづらい状態」に陥っているということ。
また、その力を認めて吸い上げることが、構造的に難しくなっている状態、とも言い換えられます。

若者アレルギーは、変化アレルギーの始まり

欧米など海外における世代論では、「ミレニアルズ」や「ジェネレーションZ」という言葉で若者は語られます。日本における若者論(「ゆとり世代」「さとり世代」などが代表的なワードでしょうか)との大きな違いは、「奇異な存在である」というニュアンスは同じく含んでいますが、そこに新しい可能性や次のスタンダードの兆しがあるという、ポジティブなニュアンスを多分に含んでいるというところでしょう。
アメリカを例に取ってみると分かりやすいのですが、若者世代の「量の影響力」がまだ日本ほど縮小しておらず、事実無視できないインパクトを有していることも大きく関係しています。

社会における若者の割合(日米比較)1
社会における若者の割合(日米比較)2
社会における若者の割合(日米比較)

少子化社会では、若者を無視しても短期的には大きな損失はありません。
しかし、彼らを異物と見なし若者離れをした結果、若者の前提打破力を社会に還元できなくなり、新しい仕組みや取り組みを採択できなくなる。組織や経営判断が若者を避けて通ろうとする「若者アレルギー」が、真に必要な変革を避ける「変化アレルギー」にもつながっているように思います。

若者は「情報革命後の前提」を搭載している

冒頭でもお伝えした「質の影響力」=「それ以前の世代では思いつかなかったような独創的なアイデアで、事業や商品を創造していく力」はもちろん、今の若者に限った力ではなく、いつの時代の若者にも多かれ少なかれ備わっている力だと思います。
ただ、今の時代の若者固有の大きな「質の影響力」があります。それは「情報革命後の前提」を搭載しているということです。

フリーミアム、シェアリングエコノミー、クラウド、オープンソース、IoT… これまでの社会の成り立ちの前提を根本的にひっくり返すような、さまざまな「新たな前提」が生まれ、その中で生まれ育った今の若者たちは、「モノは持たなくてシェアでいい」「仕事はお金のためではなく社会のためにする」「画一的な幸せの形なんて存在しない」「国境、人種、年齢より大事なことがある」などなど…年上の方からすれば「何考えてるのか全然分からん!」と感じるような感性を「当たり前の感性」として持っていて、それがライフスタイルや価値観を決定づけているわけです。

そこから生まれる発想や行動を、頭ごなしに否定するスタンスと、違和感を乗り越えて理解しようとするスタンス、どちらが未来に通じるかは自明でしょう。
既存の前提への疑い、新しい前提による考え方や行動の総量が人数的に少なく見えるからこそ、大人側の傾聴が大きなカギであり、それができる組織とできない組織との間に大きな差が生まれる可能性は高いです。

大人側に求められる「対話する」マインド

「うちの部の新人に、そんなすごいものが秘められているとは思えない!」
こんな意見も出てきそうです。もちろん、ただ若いだけで無条件ですごいとはワカモンも考えていません。若かろうが年長者だろうが、すごい人はすごいし、そうじゃない人はそうじゃない。ただ、若いというだけで、年長者とは決定的に異なる「前提」が搭載されているという事実を考えると、彼らを「異物としてはじく」マインドではなく、「対話する」マインドが大人側にあることが、気づきを得られるか否かの分岐になっているとは思います。違いを認めた上で、その違いをどうやって乗り越えてつながるか。まるで英語と日本語を通訳するような大変さが最初はそこにはあるかもしれませんが、乗り越えた先には、乗り越えた人にしか訪れない情報価値やアイデアの芽があるとワカモンでは考えます。

若者の性質を左右する“I”の有無

若者本人の可能性が現れるか否かについては、書籍「若者離れ」の中ではその本人の「自分に対しての肯定感」の有無が大きく左右すると整理しています。
「I=自分らしさのあり方の肯定」をできるかどうかで、同じ「情報革命後の前提」による性質も、出方が180度変化することもあります。「何なんだ、うちのあのゆとりは…!」とイライラさせる部下が、ところ変われば「あの子はほんとに独創的で面白い!」と評価されていたりすること、周りでありませんか? 生かし方やスポットライトの当て方、「I」との向き合い方が、大人に求められる対話のスタンスに必要なことなのかもしれません。

では、大人はどうしたらいいのでしょうか?「甘やかせってこと?」「それとも厳しくするってこと?」「やっぱり面倒だから関わりたくないんだけど…?」 いろいろなスタンスがあっていいとも思いつつ、ワカモンとして考える理想のスタンスについて「若者離れチェックリスト」を用いながら、次回説明したいと思います。