電通を創った男たち #15

電通電波ビジネス黎明期の牽引者

木原通雄(14)

  • Okada
    岡田 芳郎

該博な知識と端然たる風貌を惜しむ

 

追悼記事

本は斜めに読む ラジオ・テレビ局長 古賀 叶

私が木原君と机を並べるようになったのは二十七年の十一月だったと思うが、それから今日までの二年余りというものは、彼が外遊した数か月を除いては、毎日彼のあの端然たる風貌に接しない日はなかった。その間、私がどの位公私ともに彼の優れた才幹と人柄のおかげを蒙ったか、それはここに記すまでもなく、彼が日本の商業ラジオ・テレビ界に残した偉大な足跡を思えば、おのずと明らかなことだ。

私は彼ほど多才多能、多趣味な人を見たことがない。また彼ほど多岐多様な勉強をし、かつ知識を持った人を知らない。劇といい、映画といい、舞踊、音楽―それも和洋に亘って―よくあの忙しい人がと思うほど、よく見よく聞きよく知っていた。いつであったか丁度私くらいの年配の者二、三人で彼と飲んだ事があったが、談たまたま昔の映画―というより活動写真―の話になった。その時彼の示した昔の活動に関する該博な知識には、一同驚いたというより呆れる外なかった。

彼がいかに多彩な勉強をしたかということは、彼の蔵書を見るのが一番早道であろう。彼が書物を買うのを見ていると、その内容が実に多種多様であるとともにその量は又実におびただしいものであった。私はそれを見て、彼は一体これを買うだけなのか或いはこれを読むつもりがあるのかと思って聞いてみたことがあるが、彼は“斜めに読むんですよ”と笑っていた。

彼がその前身に似合わず、極めて几帳面であったこと、また正義感が強くて、いやしくも不正不義に対しては寸毫も仮借しなかったこと、又非常に精力的で(彼は平均三時間位しか睡眠をとってないだろう)その仕事は驚くべきスピードを持っていたこと、又彼が身だしなみに特に気を配っていたこと(電通の男の社員でマニキュアをしていた人は彼以外にはあるまい)等々彼の思い出は際限なく浮かんでくる。

亡くなって見ると今更ながら彼という人間が二人とない大変な人材であったということをしみじみと感ずるのは私だけではあるまい。返すがえすも口惜しいことである。

――古賀は戦時中、満鉄錦州鉄道局長を務め、戦後、電通に入社した。木原の上司として身近に接していた古賀の率直な印象が記されている。勉強家であり該博な知識をもち、それを巧みに会話に引き出す。仕事の速さ、正確さ、それが正義感に裏打ちされていることなど、木原の有能ぶりが分かる。

温かい気の配りかた 事業局長 富永令一

昭和二十六年の暮、大晦日の前日だったと思う。その日は日曜日であったが、年末のこととて社に出勤していた。社長も出社されていたが、誘われて、島崎君と三人で資生堂でお茶を飲みながら雑談していたが、突然社長が“ちょっと、待て”といわれて立ち上がった。見ると木原さんが、階段を上がって行く、それを呼びとめて、肩を叩きながら何か話しておられたが、やがて、“では、よろしく”と別れた。この間わずかに一分足らず、社長が席に戻って来られたので、“今のは木原君でしょう”というと、“うん、そうだ、社のラジオの仕事を加勢してもらおうと思ってね”ということだった。

翌年の正月から木原君の姿が毎日ラジオ局に現れるようになったが、その時の話をすると、“うん、僕の就職はたった二十秒間できまった”といって笑っていたが― 

祭壇に玉串をささげる夫人と子息

私と木原君と知り合ったのは、終戦直後(二十年の九月だったと記憶しているが)木原君が週刊雑誌「新日本」を創刊された時からである。私は当時、社の印刷部(現在の製版部)に勤務していた。地下室にB半截の印刷機があったが、当時はガスも電力も極度に制限されていて、非常に不自由な時代であって、木原君から「新日本」の印刷を引き受けないかと相談があったとき、その道の専門家なら自社の能力を計算してお断りするところを、ここは素人の強さ“よろしい、やりましょう”と簡単に引き受けたものの、週刊誌がようやく月に三回しか出せない状態で非常に迷惑をかけたものだ。それにも拘わらず逆に“編集が不手際だから工場の能率が上がらなくて困る”と編集部へ抗議をしたような始末で今から考えるとまことに冷や汗三斗の思いである。が木原君は工場のやりやすいように気を配ってくれたことは、今でも忘れられないことの一つである。

――富永は木原の電通入社の瞬間のシーンを鮮やかに描き出す。仕事の仕方の木原らしい優しさもうかがえる。

 

(写真上)「電通社報」には11人の幹部から追悼文が寄せられた、(下)祭壇に玉串をささげる夫人と子息

(文中敬称略)

プロフィール

  • Okada
    岡田 芳郎

    1934年東京都生まれ。早大政経学部卒。56年電通入社。コーポレート・アイデンティティ室長、電通総研常任監査役などを務め、98年退職。著書に『社会と語る企業』(電通)、『観劇のバイブル』(太陽企画出版)、『日本の企画者たち~広告・メディア・コンテンツビジネスの礎を築いた人々~』(宣伝会議)など。

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