loading...

被災地の記録を展示して
未来に生かす

2016/09/22

今年9月11日で東日本大震災から5年半。この間、減災・防災に向け、さまざまな取り組みが展開されてきている。宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館では、被災地の記録を展示という手法で未来に向けて役立てる試みが行われている。学芸係長の山内宏泰氏に、その背景や経緯、思いなどを聞いた。

地域文化の考察に津波は外せない

リアス・アーク美術館の実態は総合博物館に近く、東日本大震災の前から美術の他に地域の生活、文化といった歴史民俗系の資料を保存、常設展示もしていました。その保存資料の中に、雑誌『風俗画報』が出した、明治三陸大津波(1896年)を記録した臨時増刊『大海嘯(かいしょう)被害録』3冊がありました。地震の揺れはさほど大きくなかったものの、10メートル以上の津波が三陸沿岸部を襲い約2万2000人が亡くなっている。私たちは、絵師が描いた図版70点を複写して大きくパネル化し、2006年に企画展を開きました。当時、宮城県沖地震の周期はおおよそ分かっていて、30年以内に地震が発生し、99%の確率で津波が押し寄せる、いつ来てもおかしくないといわれていた。そこで、近い将来必ずこういうことが起きますからと。明治の資料の中には、現在の地名そのままに被害記録が全部出ていますから、実際に自分が今暮らしている場所にかつてどういう規模の津波が来て、どうなったかが全部分かるわけです。

ところが、ほぼ1カ月半の開催期間中、1200人ぐらいしか見にきてもらえなかった。近い将来、実際に起こるだろうと危機を伝えようとしたのに、皆さんは興味関心を示さない。どうにかしてこの情報を伝える違う手はないかと考え、全部頭に入っている資料を基に小説『砂の城』を書き、08年に出版しました。

こうした活動が日の目を見るきっかけになったのが、震災のほぼ1年前、10年2月のチリ地震津波。テレビ番組や新聞などで取り上げていただき、かつて津波によって起きた被害をあらためて見直すべきだという動きが少し出てきました。地元の大学から依頼されて公開講座で講演もしました。平均すると40年に1回、大津波が来ているような地域ですから、それが地域の文化に影響がないなんていうことはあり得ません。だから地域文化を考えるときに、津波は外せないのではないか。そういう意識があって、震災前から文化的切り口による津波の調査・研究を当館では始めていたのです。

山内宏泰氏(リアス・アーク美術館 学芸係長)
山内宏泰氏(リアス・アーク美術館 学芸係長)
 

記録するために命懸けで被災現場へ

11年3月11日、東日本大震災発生。当館も損壊が激しく避難所には使えず、臨時で救援物資保管所として使用されました。それも別の場所に移った15日の夜、私たち学芸員が集まり、さぁどうするとなったとき、たとえ美術館の再開がなくても、自分たちがこの仕事を失うことになったとしても、記録を取ろうと。それは恐らく私たちにしかできないはずだ。なぜか。

まず津波の予備知識がある。そして調査・研究の専門家の私たちが行うのだったら最適だろう。加えて震災前のまちを知っている。当時、よそから入ってきたカメラマンは、一瞬、ぼうぜんと立ち尽くすんですよ。何を撮っていいのか分からない、とよく言っていました。でも私たちはその壊れている場所がどこで、壊れているものは何かということが分かる。

そして16日、自発的にカメラを携え被災現場に足を踏み入れました。23日には気仙沼市長と地元の教育委員会から気仙沼市、南三陸町の震災被害記録、調査担当という特命を受け、現在の姿を地域再生のために記録することを目的に12年12月31日までの約2年間活動を続けました。その結果、写真約3万点、被災物約250点、さらに調査記録書など膨大な資料を得て、その中から厳選した約500点を常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」として紹介しています。

「東日本大震災の記録と津波の災害史」常設展示会場。被災現場写真203点、被災物155点、歴史資料など137点を展示。泥のついた炊飯器や携帯電話などの品々が、かつての持ち主の暮らしを伝えている。
「東日本大震災の記録と津波の災害史」常設展示会場。被災現場写真203点、被災物155点、歴史資料など137点を展示。泥のついた炊飯器や携帯電話などの品々が、かつての持ち主の暮らしを伝えている。
写真提供:リアス・アーク美術館
 

撮影者による解説文で写真の意味を伝える

「活用されない記録に意味はない」というのが私の信念で、「伝えたいことをどうやって伝えるか」に苦心しました。例えば、被災現場の写真。写真が伝える情報は多分人間が許容できる量よりも圧倒的に多くて、そのまま見るだけでは「めちゃくちゃ、ぐちゃぐちゃ」という一様の印象になってしまう。そこで、全ての写真パネルには、撮影者が五感で何を感じ、何を思い、何を伝えるために撮影したのか、その意味を理解してもらうために、自らが書いた解説文を一緒に展示しています。写真よりも、むしろこの解説文の方が重要だともいえます。

現在当館には小学生から大学生まで、さらに海外からも大勢の方が足を運んでくれています。最近では特に南海トラフ地震が想定されている地域の方の来館が増えています。

でも、私たちにとっての課題は、地元の学校による団体利用がほとんどないこと。同じ地域に住みながらも被災しなかった子どもたちの中には、有名人の慰問やイベントが震災の記憶の中心になっている子どももいる。自分が住む地域で何が起きたのか、まちの人たちがどんな目に遭ったのかということを知り、それをこれからのまちづくり、自分たちの未来に生かしてほしいと考えています。

当館の展示は今年6月、大変ありがたいことにアート・ドキュメンテーション学会から第10回「野上紘子記念アート・ドキュメンテーション推進賞」を頂きました。この展示を他の地域の方にも見ていただけるようにと、貸し出し用の写真パネル、被災物などのフルコピー一式を用意し、14年に広島・尾道市立美術館、今年2~3月には東京・目黒区美術館で巡回展として展示しました。これからも多くの方にご覧いただき、防災・減災、物心での備え、法整備などに役立てていただきたいと切に願っています。

被災現場の写真パネルには、撮影した意味が分かるように撮影者が書いた解説文が一緒に展示されている。
被災現場の写真パネルには、撮影した意味が分かるように撮影者が書いた解説文が一緒に展示されている。