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アートで価値をつなぐ「美術回路」プロジェクトNo.3

アートの視点でリオオリンピックを振り返る

2016/10/05

はじめまして、「美術回路」プロジェクト・メンバーの大西浩志です。私は電通社員としてこのプロジェクトに関わっていましたが、4月から東京理科大に籍を移し、研究者としてアートと社会(個人・企業)との相互関係を解明し促進するためアートマーケティング研究に取り組んでいます。

本連載の第3回目は、世代や興味関心を問わず、ここ最近でもっとも世の中を最も賑わせたトピックであるオリンピックを題材にして、アートと社会について考えます。
今回のリオ2016大会では「文化プログラム」と呼ばれるアートプロジェクトが多数実施されていました。これらのアートプロジェクトを俯瞰して見えてきたキーワードから事例をいくつかご紹介いたします。

リオオリンピックの閉会式で表現されたスポーツと文化の祭典

8月21日に行われたリオオリンピック閉会式の中でも、安倍晋三首相がスーパーマリオの姿で登場したフラッグハンドオーバーセレモニー(オリンピック旗の引き継ぎ式)は、各国でも報道され注目を集めました(ニューヨーク・タイムズ デジタル版8月22日)。世界に知られるキャラクターを登場させて日本発のコンテンツをアピールすると同時に、未来的で斬新な視覚表現を使い、私の個人的な感想ですが、短い時間の中で「今の日本文化」の魅力を伝える素晴らしいアートワークになっていたと思います。

フラッグハンドオーバーセレモニー Photo: Rio 2016/Bryn Lennon 出典:https://www.rio2016.com/en/photos


スポーツの祭典であるリオオリンピックの閉会式で日本文化をアピールしたのは、日本の良いところを伝えて東京や日本への注目を集めたいからだけではありません。実は、オリンピックは文化・芸術の祭典という側面も持っており、この閉会式をはじめとした大会のいたるところがその表現の舞台になっていたのです。実際に、今回のフラッグハンドオーバーセレモニーは、日本を代表する多くのクリエーターによって企画・制作されました。もともと近代オリンピックを創設したクーベルタン男爵は、オリンピックにおいて「スポーツ」と「文化」は切り離せないと考えており、初期の大会ではスポーツ競技と同時に芸術でもメダルを競っていたそうです(Stromberg 2012“When the Olympics Gave Out Medals for Art”)。また、この連載の第1回でも触れましたが、オリンピック憲章には「カルチュラル・オリンピアード」と呼ばれる規定があり、1912年のストックホルム大会から開催国による文化プログラムが実施されてきました(大下2015「オリンピック文化プログラムに関する研究および『地域版アーツカウンシル』の提言」)。特に、前回のロンドンは文化プログラムの成功事例だといわれ、経済効果に加えて、ロンドンのブランド評価が向上し大会後には観光客数が増加しました。

今回のリオ2016大会では、当初からの財政問題が原因でロンドンと比較するとさまざまな制約があったようですが、それでも「Celebra」という公式の文化プログラムの下に多くのプロジェクトが実施されました。ちなみに、この公式プログラムでは個人や組織が自発的にプロジェクトを立ち上げられるように、一般からも参加アイデアを募集しました。一般のアイデアでも、認定されると公式ロゴを利用できたりサポートを受けられたりするようになっていました。つまり、スポーツを通してオリンピックに参加するだけではなく、誰でも文化プログラムに参加できるようにすることで、オリンピック参加への間口を広げることができたのです。

アートから見るリオオリンピック 5つの注目キーワード

それでは、五つの輪(のマーク)にちなんでリオオリンピックの文化プログラムで実施されたアートプロジェクトを五つのキーワードで振り返ってみたいと思います。

1.アートセレモニーとしての開会式

8月5日に行われたリオオリンピックの開会式は、大会前から報道されていた治安問題や財政問題による準備の遅れといった不安を一気に忘れさせてしまうような感動的なセレモニーでした。中でも聖火台は、多数の金属版とガラス球が風の力を利用した立体的な動きで聖火の炎を反射させてキラキラと輝き、インターネット上の意見でも “ファンタスティック” “ラスボス感ハンパなかった” “ビームでるんじゃね???”など多くの書き込みがあり、非常に強い印象を与えました。この聖火台は、アメリカ人のキネティックアート作家アンソニー・ハウ氏が制作した大きさ12メートル超、重さ2トンのアート作品です。風力でフレームが動き火力を強める構造なので、バーナー自体は小さくオリンピック史上最も燃費性能が高い聖火台になっており、開会式のテーマ「環境保護」にも即していたそうです。

マラカナン競技場での開会式で点灯されたキネティックアート作家アンソニー・ハウ氏制作の聖火台 Photo: Rio 2016/Alex Ferro


ハウ氏は作品の意図として「太陽を複製し、そのエネルギーの波動や光の反射を再現した。この聖火台とリオ大会自体から、人間の到達点に限界はないことを感じてもらいたい」と語っています。さらに、マラカナン競技場の聖火台とは別に、小型の聖火台がリオ旧市街にあるカンデラリア教会前にも設置され、市民や観光客が写真を撮るスポットとしてにぎわっているそうです。この聖火台が、すぐにリオ大会を象徴するシンボルとして知覚されたのは、作家が作品に込めたアートの表現力が大きく寄与しているのではないかと思います。

再開発されたリオ旧市街のカンデラリア教会前に設置された聖火台に集まる人々 Photo: Rio 2016/Saulo Pereira Guimarães


また、開会式の総合演出はブラジル人の映画監督フェルナンド・メイレレス氏が手掛けました。日系移民をテーマにした舞踊は、さまざまな人種・民族と文化が衝突し融合した多民族国家ブラジルの歴史と文化を表現していました。中でも大規模なプロジェクションマッピングを使って、ビルが次々と生え伸び、その映像にぴったり連動して登ったり走り回るパフォーマンスが話題を呼びました。

開会式での大規模なプロジェクションマッピングと連動したパフォーマンス Photo: フォート・キシモト


オリンピックの開会式は世界中に中継されるため、自国の文化をアピールする重要なチャンスになります。今大会でも、感動的な演出と斬新な映像技術によりブラジルの文化を世界に伝えることに成功しました。また、聖火台のアート表現と大会のテーマが重ねられ、リオオリンピックを代表するシンボルとして強烈な印象を残すことができたと思います。

2.ブラジリアン・アーティストの活躍

地元ブラジルのアーティストたちも文化プログラムに数多く参加しました。著名なグラフィティアーティストのエドゥアルド・コブラ氏は、リオ市内の建物に2500平方メートルにわたる世界一巨大な壁画作品を完成させました。ブラジルでは、ヨーロッパ、アフリカ、ネイティブアメリカン、アラブ、アジアなどさまざまな人種や宗教が混ざり合って生活しています。色彩豊かでダイナミックな「Ethnicities Mural(著者訳:民族・文化の壁画)」と名付けられたこの作品は、五つの輪(のマーク)に触発され五大陸の民族・文化を表現しているそうです。コブラ氏は今年来日していて、池袋西武の屋上に描いた巨大ウオールアートを8月末まで見ることができました。

ブラジル人グラフィティアーティストのエドゥアルド・コブラ氏の世界最大のウオールアート作品「Ethnicities Mural」(著者訳:民族・文化の壁画)Photo: Rio 2016/Paulo Mumia


また、サンパウロ出身の2人組アーティストユニットのVJ SUAVEは、ノートパソコンとプロジェクター、スピーカーを積んだ三輪自転車で市内を巡りながら壁や道にアニメーション映像を投影する路上パフォーマンス「SUAVECICLO」を行いました。自転車で街をめぐりながらパフォーマンスする場所を自由に決めて、そこに偶然集まった観客たちとのインタラクションによって即興で映像を切り替える作品になっていました。

ブラジル出身のアーティスト・ユニットのVJ SUAVEの路上パフォーマンス「SUAVECICLO」 Source: http://www.boulevard-olimpico.com/atracoes/vj-suave/


オリンピックという世界から注目される大会だからこそ、地元ブラジルのアーティストたちが活躍する機会が与えられました。既に有名なアーティストたちが参加して大会を盛り上げるだけではなく、新進アーティストたちも取り上げることにより、彼らの作品が世界の人々の目に触れ今後評価されていくためのチャンスの場としても機能しました。

3.多文化のインターコース

文化プログラムでは初のアーティスト・イン・レジデンスが企画され、リオの街なかで制作活動が行われました。「Inside Out」プロジェクトでは、フランス人アーティストのJR氏がリオ市民や観光客と対話して、彼らの写真を撮りポスターにして街中に貼るパフォーマンスを行いました。また、独自のだまし絵技術を使って、アスリートの巨大な写真をアパートの屋上などに設置する「THE GIANTS」という作品も制作しました。この写真の走り高跳び選手はスーダンからの難民選手で、「今大会には参加できなかったが、なぜかそこにいる:)」と作家自身がツイートしています。

リオ市内のアパートの屋上に設置されたJR氏の作品「THE GIANTS」 Source: http://www.insideoutproject.net/rio2016/


もう一人アーティスト・イン・レジデンスの招待を受けたアメリカ人アーティストのジェラルド・アンダル氏は6秒動画SNSのVineを使った動画を投稿するアート作品を制作しました。大会に活気づくリオの雰囲気をユーモアや驚きを与えるような動画で臨場感を伝えています。

 

ジェラルド・アンダル氏のVine動画作品 Source: https://vine.co/Gerald.Andal


外国人アーティストに単にオリンピックにちなんだアート作品の制作を依頼するだけでなく、彼らをブラジルに滞在させて文化交流しつつ作品制作するという取り組みは、非常に注目されるものでした。外国人の視点から表現してもらうことで、より多くの観客に自国の文化に興味を持ってもらうことができます。ただし残念ながら、今回はアーティストの滞在期間が短く、あまり深い文化の交流・交換(インターコース)が反映された作品にはならなかったように思います。

4.日本人アーティストの参加

日本人アーティストの森万里子氏は、開会式に先駆けて8月2日に新作「Ring: One with Nature(リング・自然とひとつに)」をリオデジャネイロ州にあるVéu da Noiva(花嫁のベール)という高さ約58メートルの滝の上に恒久展示しました。彼女はニューヨークの公益財団Faou Foundationの援助で六つの大陸に「自然と人間の融和」をコンセプトにしたサイトスペシフィックアート(※美術館から離れた屋外などに、その場所のために特別に企画・制作される作品)を設置する長期プロジェクトを行っており、この作品はその2番目です。五つの輪(のマーク)をモチーフにしたリング状の作品で、太陽が昇り日の当たる角度が変わることで、ブルーからゴールドへと美しく移り変わる輝きを見せます。作家は、この作品について「オリンピックの五輪のマークは、全ての国家、全ての民族を象徴し、世界平和を願うシンボルです。今回の作品は、象徴的な意味として、また、その存在として、人類と自然の調和のシンボルとなり、オリンピックにもう一つの新しい輪を付け加えます」とコメントしています。

 

リオ郊外の滝の上に設置された森万里子氏の「Ring: One with Nature(リング・自然とひとつに)」 Photo: Courtesy Faou Foundation.  © Mariko Mori


このプロジェクトはニューヨークの公益財団の援助のもと公式文化プログラムとして実施されています。実は森氏の作品以外にも公式文化プログラムで計画されていたにもかかわらず、財政問題が原因で実施ができなかったプロジェクトが多数あったそうです。前回のロンドンでは、民間企業からの援助を積極的に募ったり、市民ボランティアを活用したりすることにより多数のプロジェクトを実現させた実績があります。公的資金だけでなく、いかに民間を活用するのかが課題となると思います。

5.オリンピック・ブルバードへの集約

以上のようなリオオリンピックの文化プロジェクトに関連するアート作品の多くは、大会期間中にリオ旧市街のセントロ地区に開設されている「オリンピック・ブルバード」で展示が行われました。「オリンピック・ブルバード」には、公式スポンサーのパビリオンも開設され、アート作品以外にも100以上のコンサートやストリートパフォーマンス、体験・参加型イベントなどが行われ、期間中に400万人の観客が訪れたそうです。この旧市街には、治安の改善や新型路面電の開通で今大会の再開発の目玉となったポルト・マラビーリャ地区があります。また、港湾地区には海を臨む新しい博物館「Museu do Amanhã(明日の博物館)」が昨年末に開館し、スペイン人建築家のサンティアゴ・カラトラバ氏設計による建物は、その浮遊感のある特徴的な外観もあいまって新たな観光名所としてエリアの活性化に貢献しています。

「オリンピック・ブルバード」が開設されている再開発された旧市街のポルト・マラビーリャ地区 Source: http://www.boulevard-olimpico.com/

パブリックビューイングやコンサートが行われた「Gathering Stage」 Source: http://www.boulevard-olimpico.com/atracoes/palco-encontros

150メートルの高さからリオの街を一望できる「Scenic Balloon」 Source: http://www.boulevard-olimpico.com/atracoes/palco-encontros

再開発のランドマークとなっている「Museu do Amanhã」(明日の博物館) Photo: Byron Prujansky


小池百合子東京都知事がリオ大会の文化プログラムの盛り上がりを視察して、このような場所を東京オリンピックでも設置したいとコメントした通り、「オリンピック・ブルバード」は文化プロジェクトを一カ所で集中して楽しめる場所として機能しました。開催場所を集約させることにより、施設運用や人件費などの効率化、土地勘のない観光客の利便性アップ、「オリンピック・ブルバード」という場所がシンボル化され、さらにレガシーとして観光資源になることが期待できます。一方で、今大会の文化プログラムでは、ロンドンオリンピックでみられたような国全体での盛り上がりがなかったように感じられました。今後の検証が必要ですが、文化プロジェクトの多くを「オリンピック・ブルバード」へ集約化したことがリオへの一極集中を促し、リオ以外のブラジル各都市への盛り上がり伝播の障壁になってしまったのかもしれません。

ブラジルから日本へ 文化プログラムの橋渡し

このように文化の祭典としても盛り上がりをみせたリオオリンピックは、今後どのように橋渡しされていくのでしょうか? 実は、閉会式のフラッグハンドオーバーセレモニー以外にも、既に東京都などによって文化プロジェクトを先導するリーディングプロジェクトが始まっています。
演出家の野田秀樹氏の発案による「東京キャラバン」は、 昨年10月に駒沢オリンピック公園で公開ワークショップを実施し、演劇・美術・能・ファッション・伝統芸能・現代アートなどの混然一体となったパフォーマンスが話題となりました。また、リオで8月18日から21日まで、日本人アーティストと現地アーティストによる国境、言語、文化を超えた「文化混流ワークショップ」を行いました。今後東京キャラバンは福島、宮城、さらに国内外各地に出現し「文化サーカス」を繰り広げ、10月下旬に開催される六本木アートナイトでもパフォーマンス・イベントが実施される予定です(アーツカウンシル東京 8月3日)。

2015年10月8~10日駒沢オリンピック公園 特設会場で実施された「東京キャラバン」公開ワークショップの様子 Photo: 表恒匡

その他に、二つのリーディングプロジェクトが現地において実施されています。アーティストの日比野克彦氏が監修する「TURN」は、日本とブラジルで活動するアーティストたちがサンパウロに滞在し、福祉施設の入所者と交流しながら伝統工芸をテーマにした作品制作を行っています。また、「TOHOKU & TOKYO in RIO」と題して、「東京」と東日本大震災の被災地「東北」の復興と世界に向けた感謝を表すため、リオ旧市街オリンピック・ブルバードのステージでライブイベントを実施しました。日本から東京と東北の伝統芸能(江戸鳶木遣り、福島じゃんがら念仏踊り、岩手鬼剣舞)やコスプレーヤーなど現代日本文化のパフォーマンスが行われました(アーツカウンシル東京 7月15日)。

日比野克彦氏監修の「TURN」プロジェクトでアーティスト五十嵐靖晃氏が制作した江戸組紐の作品 


また、国際交流基金は、ブラジルで初めて日本の戦後美術を紹介する美術展「コンテンポラリーの出現・日本の前衛美術1950-1970」をリオ旧市街のパソ・インペリアル美術館で7~8月に開催しました。世界のアート界で注目されている「具体」や「実験工房」などに焦点を当て、建築家の磯崎新氏が東京大会直前の1962年に発表した「孵化過程」の新しいリオ・バージョンを制作したり、「もの派」を代表する菅木志雄氏の新作を展示し、日本が活力にあふれた当時の社会とアートを振り返りつつ2020年の東京へと未来を志向する展覧会になっています(国際交流基金 6月1日)。

リオオリンピックで実施された文化プログラムを概観してみて、今回のオリンピックがスポーツだけでなくアートの祭典として一般の人たちへの参加の間口を広げ、より多くの参加者によって大いに盛り上がったことが分かりました。今後、日本国内の各所で、東京2020大会に向けた文化プログラムが実施されていくようです。私たち「美術回路」のメンバーも観客として参加することはもちろん、さまざまな方法で文化プログラムに関わって日本の文化を再度見つめ直し、さらにそれらの価値を世界に向けて発信することに貢献したいと考えています。


プロジェクトに関するお問い合わせ:美術回路  kairo@dentsu.co.jp