イキですてきな仲間たち―電通を創った男たちⅡ― #23

日本のテレビCM史の流れを変えた異才 ― 今村昭物語(5)

  • Odajima nobuyuki pr
    小田嶋 伸幸

今村昭は、いかにして演出にのりだし、さらに多様なCMを生み出したか

 

─ 冒頭、舞台はアメリカ、モニュメント・バレー。赤い岩山と砂漠の荒野を、疾駆してくる1台のジープ。トレーラーハウスを牽引し、タイヤは小石を跳ね飛ばし、噴煙を上げる。カメラが切り替わり、運転者をクローズアップ。それは、三船敏郎である。

ジープは故障、ストップ。フロントを軽く蹴とばす三船敏郎、バッグからビール瓶を取り出す。王冠を外す、小気味よいシズル音、画面フルサイズのビール液体に堂々とスーパー「男は黙ってサッポロビール」、墨文字のフォントである(この名コピーは秋山晶による)。灼熱の太陽の下、アリゾナの岩山を眺め、三船は旨そうにビールを飲む。

─ この60秒CMが、1970年に始まり以後3年以上続く、サッポロビール「男は黙って」キャンペーンの始まりであった。

企画、制作は今村昭、そして彼はここで演出監督を務めている。異才は演出もしたかったのだろうか?そうとも言えるし、そうでないとも言える。

当時のサッポロビールのマーケティング事情では、不思議にも女性顧客のシェアが高かったらしい。サッポロは男性顧客のシェアをも伸ばしたいと考えた。つまりブランドの男性化を強めたいというのだ。そこで、当時の日本映画界のトップ男優 ─ 三船敏郎を起用しよう、という英断に出た。

サッポロビール「男は黙って」シリーズ
サッポロビール「男は黙って」シリーズ
 

このオファーが銀座電通に持ち込まれ、非常な営業努力で、三船敏郎を起用、契約に成功した。もちろん、この時代、もうタレントCMは珍しくない。しかし、三船敏郎は別物、別格である。

ここで、それを詳述してもあまり意味もないが、この時代、三船敏郎は50歳。1951年、「羅生門」でベネチア国際映画祭の金獅子賞、に始まり、黒澤明監督映画の名作のほぼすべてに主演、または準主演し、既に日本のスターというより、「世界のミフネ」と呼ばれていた。

「七人の侍」「生き物の記録」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」「悪い奴ほどよく眠る」「用心棒」「天国と地獄」「赤ひげ」など(黒澤映画のみ例に挙げている)、すべてが海外の映画賞受賞、またはノミネートである。

こんな超大物を相手にCM制作サイドは、さて、なにをどうするべきなのか? ここで、電通のCMデータベースを見よう。このCMには、通常あるはずのスタッフ記述がない。あるのは、制作会社・三船プロ、演出・今村昭とあるだけである。

─ ここで、ははあ~?と思われるひともいるだろうか?

まあ、そうである。CM界にはいろいろ事情もあるのだ。この場合を推察すると、三船敏郎の出演には、三船プロが制作もするとの条件があったのだろう。それはべつにかまわないことだ。タレント起用では、そのひとの所属事務所やプロダクションなどと、系列化している、または提携している映像制作会社が、CMの制作担当に入る、ということはよくある。それは、ビジネス・マナーみたいなものだろう。

前回までで出てきた、映画監督をCMに招くというのも、実は監督個人を、というケースもあるが、だいたい、監督の率いるスタッフのチーム、俗に言う○○組で制作するというのが多い。映画監督は通常、自分の組を持っている。特に撮影監督や、照明監督とは夫婦みたいなもので相性が問題だ。後で出てくるが、実相寺昭雄監督なんかは、撮影監督が、ほかの監督と組んだりすると、やきもちをやいて、へそを曲げたそうだ。

話が横へそれた。三船プロ制作はいいとして問題があった。演出監督は誰だ? 誰に頼むのか? 三船プロには、演出家はいない。三船敏郎だから、黒澤明に頼む? 黒澤明がCMをやるのか? 仮にやるとしても黒澤組がやってくる、東宝の許可も必要になる。コストは巨額に膨らむ。ここで今村昭は考えたのだろう。

いっそ自分がやろう、と。

演出に自信があったかどうかは、分からない。しかし今村は前述の黒澤映画はすべて観ていたし、溝口健二監督「西鶴一代女」、稲垣浩監督「宮本武蔵」「無法松の一生」、イスマエル・ロドリゲス監督「価値ある男」、ジョン・フランケンハイマー監督「グラン・プリ」まで、みな観ていた(また、後の余談だがフランケンハイマー監督を、今村と語り手はCMに出させることになる。監督としてではなく出演者として)。

だから三船敏郎の俳優としてのすごさは、むろん熟知していた。今村は、この頃31歳、50歳目前の三船敏郎に、あいさつと企画説明で三船プロに赴いた。そして、どうも仄聞だが、今村は、20歳近く年上の「世界のミフネ」に、いきなり気にいられてしまったらしい。

たぶん、今村の映画愛が、すぐに伝わったのだろう。三船敏郎は、役柄は幅広いが、本人は豪放磊落と繊細さが同居しているような性格で、非常に真面目で、撮影には遅刻ひとつしたことがなく、セリフは全部覚えて来るというので、撮影所では有名であった。それに自分の演技ノートをこと細かに記していた。今村に映画ノートあれば、三船に演技ノートあり、というわけである。

それに今村は、三船の趣味を知っており、そこで企画へ加味したふしがある。サッポロビール第1作は、冒頭の「西部を駆ける」編だが、もともと、三船は車が趣味で、この頃、1952年型MG-TDを愛用、「グラン・プリ」出演で、アメリカで求めたロールスロイス・シルバークラウドにも乗っていた。つまり、CMでの運転はスタントではなく、本人なのだ。今村は、西部の荒野を、車で旅する、寡黙で、重厚感を感じる男性像という役柄を説明(だからセリフはありません)し、商品はこういう入り方で、うんぬんと続け、演出は私がさせていただきます、と加えた。

三船は快諾、かくて三船プロのスタッフ一同とともに、アメリカ・ロケとなった。

サッポロビールのCMロケ隊。左から4人目三船さん、左隣が筆者
サッポロビールのCMロケ隊。左から4人目三船さん、左隣が筆者
 

── しかし、この撮影は大変だった。ロケ場所はアリゾナ州とユタ州の境、モニュメント・バレー、ネイティブ・アメリカンが管理する一帯。当時は本来、撮影とか酒の持ち込みとかは禁止されていたのだ。おまけにここには、今村組のほかに4組もの撮影隊が同時に来た。海外ロケがまだ希少で、一度にやれば安上がりと、会社は配慮したらしい。撮影ラッシュの現場 ─ 今村監督の指示の元、いよいよ三船がビールを飲み、カメラが回りだした(当時はフイルムなので、回すと言います)─ ところへ、ネィティブ・アメリカンの巡回パトロール・レンジャーがやって来た─。

「ヘイ、ユー、アナタタチ、ナニシテルカ? ソレハ、サケデハナイノカ? ソレ、カメラデナイカ? ココデハ、キョカデキナイヨ。ボッシュウスル!──」

CM稼業で、撮影済みラッシュは命より、いや命の次か、大事なものだ。あっという間に、今村組初め5チームは、ばらし3分、全員、車で逃走した。今村組は、三船プロの田中寿一プロデューサーを人質に置いていき、(三船の声「田中、あとは頼んだぞ!」)、走りに走った。運転は、三船本人である。

隣のコロラド州まで逃げた、が、目的もついでにあった。ここのキャニオン・ランドの地形が似ているというので、こっちでも撮影できるかな、と考えたのだ。赤い岩山は確かにあった。だが…。

かくして、三船敏郎と今村組(三船プロ)と電通とサッポロビールの関係は、軌道にのり、1971年の第2作CMを制作する。

舞台は船だ。三船の趣味にモーターボートがあり、所有もしていた。今村は、巨大な貨客船の舳先に、寡黙な海の男がたたずみつつ、ビールを楽しむという企画を立て、演出として空撮を入れた。シズル感と、スケール感を狙う意図だが、当時としてはちょっと珍しい。

たぶん、これはやりたかったのだろう。

サッポロビール「海」編(1)
サッポロビール「海」編
サッポロビール「海」編(2)

この「海」編60秒は、船のアップ、引きと、船上の三船のアップ、アクションをうまく組み、編集(も、今村。監督だからね)。音楽が「男が、旅に、出る時は~~~♪♪」という、わりに荘重な男性コーラスで、なんだか爽快感が出てくる。ただ、映像では、船の航跡が波荒く、三船の髪は激しく吹き荒れている。

つまり、撮影当日は、かなり悪天候だったのが分かる。空撮ヘリは1回目、荒天で飛べず、2回目に遠州灘へ飛んだ。後でラッシュを見たら、三船は、今村が指示した舳先の内側にはおらず、なんと舳先の防壁の上に立ち、ビール瓶とグラスを両手に、強風に吹かれながら、豪快に笑っていた。なんちゅう、役者根性であろうか。第2作、オンエア。サッポロビールは男性顧客に着実にシェアを上げ、売れた。

第3作 ─「草原」60秒。ここでは、三船が、いきなり髭を剃る、そして乗馬する。さっぱりして馬を楽しむのだが、落馬する。気を取り直し、ビールでくつろぐ。と、馬が逃げていく。馬具を担ぎ、追う三船。タイトル─The Beer Country. Sapporo─。音楽は、やはり荘重なもので、もう、企業CM的な色彩を帯びている。なお、この3作目で軌道順調と見た今村は、監督に鈴木清順を起用、撮影に山田一夫(「無法松の一生」「日本誕生」の名カメラマン)を起用、と劇映画メンバーで臨んだ(制作は三船プロ)。余談ながら、夜は三船中心の酒盛り宴会で、当然?映画の話ばかり、三船に次でなにをやらせるか?になり、今村が、鞍馬天狗は?と出すと全員盛り上がり、遂に冒険小説みたいなストーリーをその場でつくってしまったそうだ。ロケ後、しばらくの間、三船敏郎は、おーい、鞍馬天狗をやるぞ、と周りに騒いでいたらしい。

鈴木清順監督と筆者
 

続く第4作では、当時のミュンヘン・オリンピックにからみ、三船がミュンヘンの人々と交流し、人々がサッポロビールを楽しむという牧歌的な表現である。

だが、今村監督作は、まだ別にあり、それは、三船敏郎の知られざる珍CMである。

(文中敬称略)


◎本連載は、電通OBの有志で構成する「グループD21」が、企画・執筆をしています。
◎次回は10月23日に掲載します。

プロフィール

  • Odajima nobuyuki pr
    小田嶋 伸幸

    慶応義塾大学法学部卒。1974年、電通入社。今村昭CD、林靖夫CDなどの薫陶を受け、コピーライター、CMプランナー、CD、を務める。在社中、別名で書評、エッセイ、音楽アーチストのプロモーション、広告小説(商品が登場する小説)なども制作していた。現在の電通ダイレクト系各部門の源流になる部門創設メンバーのひとりで、インターネットをふくむダイレクトクリエーティブも手掛け、2010年ダイレクトビジネス局次長相当を最終として退社。いまは個人事務所を主宰。

バックナンバー

関連記事

続きを見る
ページ先頭へ