イキですてきな仲間たち―電通を創った男たちⅡ― #24

日本のテレビCM史の流れを変えた異才 ― 今村昭物語(6)

  • Odajima nobuyuki pr
    小田嶋 伸幸

今村昭は、いかにして演出からキャスティング・ディレクターまでも務めたか

 

─ さて、今村監督CMは、まだあって、次にご紹介するのは、今日では(当時からかも?)かなり珍品かも知れない。三船敏郎がサッポロビールのCMソングを歌う(!)というものである。語り手は、調べながら、この原稿を書いているが、このCMの存在を知った時、ほんとにビックリした。

ええ、三船敏郎が歌う!? ─ そりゃ俳優が歌手でもあるのは珍しくないけど、石原裕次郎、小林旭じゃあるまいし、三船敏郎が! …まあ、内実は以下のようであったらしい。

当時、もうとてもいい関係にあったサッポロビールと三船プロの草野球大会があった。

そのお疲れ会で、サッポロビールの誰か偉いひとが、三船に次のお中元CMで、ぜひCMソングを歌ってほしいと頼んだらしい。三船は真面目な人だから、つい引き受けてしまった。

頼んだ方は、三船が歌なんてまるでダメなのを知っていたのか、は、不明である。

三船敏郎が歌った
 

アリゾナで置きざりにされた、田中寿一プロデューサーに、なんで止めないのさ!と、今村は詰問するも、田中は、だってウチの社長とクライアントの話に、口出しできないよ!と嘆く。しかも、ついでというか、ウチの社長に歌を覚えさせてくれ、と頼み込む。

どうやるの?と聞く今村。
歌を入れたカセットテープでも渡せばいいのじゃ? それ、聞いといてもらって、と田中。

かくして、今村監督は、もう三船敏郎はアニメキャラにして、鼻歌風に三船歌うCMソングがかぶる企画にすれば、あの、歌には全く向かない三船さんの声でもなんとかなるさ、と踏んだ。

こうして録音収録日。三船プロの録音室前で、今村は、カセットを持ち、落ち着かない三船に出くわした。「あの、歌は覚えていただけました?」「おお、今村さん、私は、歌は全然ダメです! どうすればいいでしょう?」「まだ全然?」「全然です、フン!」

今村と三船はマイクの前に立つ。インストルメンタルを強調しつつ、一節、一節、練習し覚える。つまり、今村から、三船へ、口写しの練習だ。「あ、そこは下がるのでなく、上がるのです、こんな感じに」。

もう、今村も三船も汗だくである。見ると調整室のガラスの向こうには、逃げ出していた三船プロ全員が息をひそめて見ていた。冷静なのは、録音技師たちだけだ。

ここで語り手から、補足情報を。実は、今村昭は、もともと歌好きであった。映画の歌曲に影響もされているが、6歳までに見たコメディー映画の歌まで覚えていた。加えて、今村の声は、生来のバリトン質が入っており、低音ながら非常によく通る。だから、カラオケなどで歌うのも好んだ。─ これは語り手が入社してから聞いた話。詳細は後へ回します。

で、まあ、なんとか録音は問題なく終了。

CMは完成、オンエア。世間は三船敏郎が歌っている、などいうことにはまるで気付かず、なにごともなく過ぎていったのだった(残念ながら、このCMはサッポロビールのアーカイブ、電通データベースには残っていない)。

つまり、あの三船敏郎に、黒澤明も、スピルバーグもしなかった(いや、しようとも思わなかった)歌曲指導をした、たぶん日本、世界でただ一人の監督ということに、今村昭はなるわけである。

ところで彼は女優も演出しているのだ。1971年、ライオン油脂の洗剤「スパーク」CM。今村は最初、ライオン宣伝部に、京マチ子で、と提案した。部長は、大ファンだ!と納得(こういうの、いまもある図式かな)。

企画は、ベビーウェアを洗濯する母がおり、朝のダンナとの喧嘩で不機嫌なのだが、真っ白な洗い上がりに機嫌が良くなる、というもの。しかし、オファーすると、京の事務所からは、まだ母親役はやらない、と返事。

このころ、京マチ子は47歳だ。さすがに大女優だなあ(と、語り手も納得はする)。仕方もなく、今村は東映のお姫様女優から脱皮しかけて汚れ役にも挑んでいた、桜町弘子を推す。起用、決定。つまり、今村昭はもうキャスティング・ディレクターでもあったわけである。責任上、演出もし、CM完成。反響はまずまずで、このCMシリーズは、倍賞美津子など次々に起用し、ドタバタ・ホームドラマ風を基調にかなり続いた。だが、今村はどうも女優の演出は苦手だ、と自覚し、これ1作で降板してしまっている(女優というより、女性が苦手であったらしい)。

桜町弘子を演出する今村
桜町弘子を演出する今村
 

さて、今村昭という異才を追うべく、いろいろCMを見てきているが、実はこれまで詳述していないCMも多い。簡単にまとめておく。

レナウンで鈴木清順監督と組んだ「ジョンブル」CM60秒。これはポロシャツのブランド、若手男優二人が決闘する、まあ日活アクション映画と西部劇を混ぜたような表現。

「シリーズ肌着」CMでは、青島幸男主演のものがあり、スーツをバリバリ破いていき、肌着を見せるというギャグ。藤村俊二主演のものもあり、強制的に肌着を出させられるという表現で、バスター・キートンの無声映画みたいなアクション、テロップが笑える。

─ 若い読者のため説明すると、青島はこの時代はテレビの台本作家兼コメディアン、藤村は新進の俳優でおとぼけ味が売りであった。なお以上はACC秀作賞などを受賞している。

また、かなりもどるが1969年に、ゼブラボールペンCMがある。10センチ編30秒は、短さがいかにべんりかという実証型。捨てないで編60秒は、インクが減るのが、軸が透明で見え、替え芯もあるから捨てないでね、というドキュメンタリー型である。インクが減る様子が「見える、見える、」という変なナレーションとアニメで印象的である。

1972年には、キッコーマン「めんみ」30秒。めんみ、とは素麺用のつゆの素。涼し気なガラス鉢に素麺が盛られ、背景は緑の水面、蝉の声がミーン、ミーンという、いたってシンプルな企画なのだが…今村はここで、へんなアイデアを出した。その蝉がミーン、ミーンと鳴いていると、よく聞くとミン、ミン、メンミ~、メンミ~に聞こえるというもの。この思いつきにプロデューサー、キタヤンはすぐに大ノリし、深大寺境内でロケ。

編集で、物真似の天才、江戸家子猫師匠が「ミーン、ミン、ミン、メンミ~」とテイク。さて、あててみる、と…あれ!? 蝉に聞こえないではないか! 30秒最後まで聞くと人間の声になってしまう!?

めんみCMのカット
めんみCMのカット

一同、頭を抱えた…が、今村はまたも、へんにひらめいた。「作り物単独だからじゃない? 本物の蝉の声に紛れ込ませれば、最後のメンミ~だけ、変な一匹が鳴いてることになるんじゃ?」─???な顔の一同はとにかくやってみた。成功! 真夏の蝉しぐれ、最後を一匹だけがメンミ~、と鳴いている! このCMは同年のACC効果賞を受賞した。効果はあったわけではある(?)

また、このころ、今村昭は遂に、手塚治虫をCMに出演させている。手塚が出たCMの最初だろう。リコー・エルニカ35というコンパクトカメラのCMである。手塚治虫は既に今村の知己であり、「先生」でもあり出演は快諾であった。企画は公園で好奇心旺盛な手塚が、いろんなもの、なかでも昆虫をパチパチ、シュートしているというもの。ベンチには路上生活者風のおっさんが寝ている ─ これがまだ無名の時代のゲージツ家、篠原勝之で監督の佐々木隆信の友達。手塚先生は、そのハゲ頭まで撮ろうとするが、パッと起きたので、先生、アサッテを向きパチリ、でもしっかり写っているというギャグ付き。─余談ながら、篠原のおっさんは、後に、新宿三丁目で語り手の飲み友達となったひとです。

リコー「天下を撮る」CMは好評で、すぐ第2作がきた。今村はここで、時間がなかったせいもあるが、映画界のパーティーなどで既に知己だった岡本喜八監督を起用した。演出ではなく出演!である。岡本監督のほうが、え、僕が出るの?とびっくりしただろう。

実は今村昭は、自分が好きな監督には演出してもらいたいという傾向はもちろんあったが、CMに向くかという冷静な計算、判断、見極めも同時にあった。岡本喜八監督は、年中黒づくめ、独特のスタイルで、自作映画に、ちょっとだけ顔を出したりもしている。実は出たがりでは?と考えた。また「独立愚連隊」「暗黒街の対決」からは、喜八監督自身が、かなりタフに動ける、と考え、企画は、監督の映画の撮影現場で、監督自身が商品のカメラを持ち、ドタバタ・アクションするということにした。CMの出来上がりはかなりのもので、映画と写真 ─ 撮るという親和性もあり、リコー・エルニカ35はよく売れた。

雑誌に掲載された当時の岡本監督イラスト
雑誌に掲載された当時の岡本監督イラスト

このころキッコーマンお中元CMを、仁科明子がお中元を届ける先が、なぜか、原健作の家という企画で制作したりもしている。

説明が必要ですね。仁科明子は美人女優ではあるが、あまりにお嬢さま過ぎて、(クライアントはいいが)CM的には演出のしようがない。ふつうの娘さんにしかならないのだ。そこで相手役に原健作をもってきた。原健作とは、当時の映画ファンなら、たぶん誰でも知っていた東映時代劇の名バイプレーヤーである。

─ 有名なのは、戦前の映画「まぼろし城」「天兵童子」など。いいなあ、ハラケンか!やるぞ!と、のってきたのは、プロデューサーのキタヤン、監督の鈴木清順。つまり、CMクリエーターがキャスティング・ディレクターもやる時は、スタッフの奮起も引き出すことを考慮する、というのが今村昭にはよくわかっていたのだった(ま、自分の好みもあるけれども)。そして今村昭のキャスティングと演出の白眉は、1974年のナショナル乾電池「人造人間」のほかにはないだろう。

この年に語り手は、電通に入社した。3カ月の研修後、銀座電通に配属。初めて今村昭にわたしは会った。「君が新入社員の小田嶋君か、えー今村です。あのさ、君、映画ではどんなのが好きかな?」── わたしは、なんと答えたか?

(文中敬称略)


◎本連載は、電通OBの有志で構成する「グループD21」が、企画・執筆をしています。
◎次回は10月29日に掲載します。

プロフィール

  • Odajima nobuyuki pr
    小田嶋 伸幸

    慶応義塾大学法学部卒。1974年、電通入社。今村昭CD、林靖夫CDなどの薫陶を受け、コピーライター、CMプランナー、CD、を務める。在社中、別名で書評、エッセイ、音楽アーチストのプロモーション、広告小説(商品が登場する小説)なども制作していた。現在の電通ダイレクト系各部門の源流になる部門創設メンバーのひとりで、インターネットをふくむダイレクトクリエーティブも手掛け、2010年ダイレクトビジネス局次長相当を最終として退社。いまは個人事務所を主宰。

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