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待っていても、はじまらない。―潔く前に進めNo.6

居場所を増やそう。自立するために。

2016/10/27

「何をやっているのかわからなくなったらダメだなとは思っています。どこにでも、得体が知れない人っていますよね?『そういえば、あの人何やってるんだっけ?』という風にはなりたくなくないんです。そのためには、専門性を持つことが大切だと思っていて、どんな現場にいても自己紹介できる自分をもつことは意識しています」

「こういうことをやっています」。そうひと言で伝えられることで、人との社交はぐっと楽になる。この話をしてくれた社会学者の古市憲寿さんとの対談は、「自己紹介できる自分を持つ大切さ」から始まりました。

(右から)社会学者の古市憲寿さん、著者・阿部広太郎
 

古市さんは、東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍で、専攻は社会学。『希望難民ご一行様』(光文社)、『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)、『保育園義務教育化』(小学館)など、数多くの著書を発表されています。古市さんとの対談から見えてきた潔く前に進むための3カ条はこちらです。

※書籍『待っていても、はじまらない。―潔く前に進め』第5章「居場所を増やす×社会学者 古市憲寿」をもとに作成
 

他者の中にある自分像を信じてみる。

「僕の人生は流されてきた部分がすごく多いんです。嫌なことをやらない努力はするけど、一方で何かを決断する時には他人の意見に従うというか、自分で選択したことはあまりないんです」

「嫌なことをやらない努力」。この言葉を聞いた時、逆に「好きなことをやる努力をする」ではないのか? そう思った方がいらっしゃるのではないでしょうか。実は僕もそうでした。自分の好きなことを見つけ、没頭していくために、時間を割く努力をしていく。僕はその積み重ねでここまで来たと思っています。ただ、古市さんの話を伺い、そういうことか!と、はっとしました。

まず思い当たったのは、「自分はどこに存在するのか?」という議論でした。自分は自分の中にある、という考え方もあれば、自分は他者の中にあるという考え方もできます。

人に「これ向いていると思うよ」や「これをやると次のステップに繋がると思う」と言われることは、みなさんもあると思います。その人の言う流れに乗ってみる。その他者の中にある自分像を信じてみる。そうすることで、するすると想像以上の力を発揮できることも確かにあります。

その上で肝心なことが、「嫌なことをやらない努力をする」ということなのだと。流れに乗りながらも、自分の心情にそぐわないと思った時は、そちらの方に流されない最大限努力をする。それを繰り返していくことで、軌道修正しながら、最終的に自分の行きたい方に流れていくことができる。

この場合の「人の流れに乗る」ということはつまり、「人から必要とされる」と言い換えられるかもしれません。他者から必要とされることを信じながら、嫌な方にいきそうになったら、そうではない最良の流れを模索していく。「嫌なことをやらない努力」という言葉がとても腑に落ちました。

 

自立するために居場所を増やす。

自立する、という言葉を見ると、自分の足で、ある場所に根を張って、どしんと立っている姿を想起します。

しかし古市さんは、今の時代は必ずしもそうでもなく、「自立とは依存先を分散させることだ」という精神科医の熊谷晋一郎さんの言葉を教えてくださいました。この社会で完全に一人で生きていくことは難しい…というより不可能だと思います。だからこそ、ひとつの価値観や、誰か特定の人やコミュニティだけに依存しないためにも、居場所を増やすことを意識してやって来られたそうです。

みなさんが「居場所」を聞いて想起する場所はどこでしょうか? 会社の人もいれば、家庭の人もいれば、地元の人もいると思います。僕自身は、平日は会社が居場所であり、休日は横浜みなとみらいにあるシェアースペースBUKATSUDOで立ち上げた講座「企画でメシを食っていく」を自分の居場所だと考えています。意識的に、居場所を増やそうとしていた訳ではありませんが、行動をし続けた結果、居場所を分散させていたのです。

とはいえ、居場所を増やすことを薦められても、実際どうすればと思う人もいるかもしれません。古市さんは、こうアドバイスをくださいました。

「いまの自分のままでも居心地のいい場所を探すこと、それでもいいって言ってくれる人と付き合うことです」

自然体でいい。たくさんの人と出会う中で、「お、この人とは気が合うな」と思う時に、面白がりながら、身軽に一歩踏み出していけばいい。そう考えてみると、居場所を増やすという行為は、出会いに照れずに、前向きにいれば良いのだと思えました。

 

世代を越えて届く言葉を模索する。

古市さんは、「保育園義務教育化」という本を書かれています。少子化や待機児童を解決するヒントをふんだんに盛り込んだ思いの奥には、おじいちゃん世代に届く言葉を探しているという思いがあるそうです。

それはどういうことか? おじいちゃん世代にとって、少子化や待機児童の問題はまだまだ遠い世界の話。でも、社会の実権を握っているのはおじいちゃん世代と言えなくもないからこそ、この世代に届く言葉を見つけることが問題の解決の糸口になるのだと。

僕がそこで思ったのは、世代を越えるということの大切さでした。ある層に刺さることは大切。でもそこに、世代を越えて伝わるメッセージがあれば、次第に大きなうねりになっていく可能性がある。ここで僕がネーミングを担当した「恵比寿じもと食堂」の話をさせてください。

こども食堂とは、一人親の家庭や、共働きの増加で、こどもが独りきりでごはんを食べる「孤食」が増えてきている。そこで、こどもたちに、栄養たっぷりのごはんを数百円で提供し、かつ食事の楽しさを誰かと共有する機会をつくる食堂のことです。

東京大田区で始まり、日本全国にその活動が広まっていったものの一方で、こども食堂に行くことでまわりからすると「貧しくて、寂しい家なんだ…」というイメージを持たれてしまう側面も。東京恵比寿においても、こども食堂を開きたいという思いを抱いた末岡真理子さんと高橋賢次さんにネーミングを相談いただいた僕は、なぜ開こうと思ったのか、その思いをたくさん伺いました。

「つくりたいのは、21世紀におけるご近所付き合い」。親も子も一緒に食卓を囲んで、近くに住む人同士で知り合って、隣近所で助け合えるような関係性をつくりたい。僕はその話を聞いて、やろうとしていることは「地元」をつくる活動なのではないですかと伝えました。こども、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん。自分のことを知る顔馴染みの人が増えれば、そこは帰るべき地元になる。そこで名付けたのが「恵比寿じもと食堂」でした。

立ち上がりから半年。今ではおじいちゃんおばあちゃんにも、この場の思いを、ネーミングから伝えることができています。言葉をつくるということは、同時に概念をつくることもできる。概念ができると、人の行動原理がつくられる。世代を越えて届く言葉を模索する、それはとても大切な視点だと思います。

いかがでしたでしょうか? 古市さんから教わったこと、それは他人の中にいる自分を信じてみること、そして自然体で出会いに照れずにいれば、いずれ居場所になるということ、そして世代を越えて届く言葉の大切さでした。普段の人間関係で意識してみると何か変化が起きるかもしれません。

古市さんご本人の言葉による思いは、ぜひ著書『待っていても、はじまらない。-潔く前に進め』(弘文堂)で感じてもらえたらと思います。

次回は、漫画家の清野とおるさんとの対談から見えてきた潔く前に進むための3カ条です。