イキですてきな仲間たち―電通を創った男たちⅡ― #28

日本のテレビCM史の流れを変えた異才 ― 今村昭物語(10)

  • Odajima nobuyuki pr
    小田嶋 伸幸

今村昭は、いかにして様々なるタレントCMを攻略していったか

 

さて、このころ、今村さんはいくつかのクライアントを担当していた。そのひとつに東芝がある。東芝では、やはり手塚治虫先生を再び起用したCMを挙げねばならない。リコーのエルニカに続くものだ。「ロータリーエアコン・木陰編」、手塚先生は、白衣で、エアコンのメカを説明する(字幕に、医学博士 手塚治虫 漫画家)、講座なのだが、聞いているのは手塚漫画のキャラクターたち総出演。この当時まだアニメ化されていないキャラが相当いるのが目を引く。ブラックジャック、シュマリ、三つ目くん、など。

わたしは、今村さんはかなり趣味的に制作しているなあ、と思った。手塚治虫は神様だし、そういうこともあるのかな。

ロータリーエアコンCM「木陰編」
ロータリーエアコンCM「木陰編」

ただ、「カラーテレビ・ブラックストライプ・メカ編」は凄かった。これは、ブラウン管の内部に人が入り、165倍に拡大してビームの放射と、蛍光管発色の優秀性を見せるというものだ。…なにか連想しませんか? 明らかに、映画「ミクロの決死圏」のアイデアまんまではありませんか。当時としても、かなり特異な特撮CMであると言える。ま、こんな作風も今村さんにはある。

また、桂三枝(現在は、六代桂文枝)が主演する「カラーテレビ・ブラックストライプ」CMがある。この起用は東芝からの指名だった。この当時、松下の「クイントリックス」というテレビがあり、坊屋三郎(喜劇俳優)が外国人に商品名の発音を教えるCMがヒットしていた。外国人は正しくネイティブに発音するが、坊屋に「なまってる」と言われる、バーバル・ギャグ的なものである(制作は名人、小田桐昭)。東芝の注文はこのCMに対抗せよ、というものだが、桂三枝を使えと条件がついていたわけなのだ。その上当時、三枝が連発していたギャグの謎謎遊びを使え、というオーダーまでついていた。

こうしたクライアントからの至上命令的なご注文は昔も今もあるだろうが、今村さんは当然ながら困った。そこへ助け船を出してくれたのは、当時3クリの局次長クラスだった富樫修さん(後の電通常務取締役)である。別件で伊藤アキラ(当時、作詞家の第一人者)に頼んだCMソングがあり、これ使えないか?と出してくれた。──「イチ、ニィ、三枝(サン、シィ)、ご苦労さん(ゴ、) ロク、ヒチ、ハッキリ、クッキリ、トウ芝さん!」というもの。これだ!─ 今村さんは、三枝が多忙で、大阪人なのを考慮し、京都で撮影した。注文の謎謎は三枝の持ちネタだから、すぐに終わり、あとはこのCMソング編を延々と撮影する。三枝自身も、これがいちばん、おもろい!と言ってのってくれ、ついに夜が明けた。── まずは、「謎謎」編をオンエアしたが、世の中にはさっぱり反響もない、仕方ない、となり、このCMソング編、タイトルは「桂三枝・エンターティナー編」をオンエアした。

カラーテレビ・ブラックストライプCM「桂三枝・エンターティナー編」
カラーテレビ・ブラックストライプCM「桂三枝・エンターティナー編」
 

最初はそうでもなかったが、じわじわと人気が出てきて、遂に東芝隋一のヒットに化けてしまった。─ 小学生が真似してアクションするような現象にもなったのである。

このCMを見ると、セットがゴージャスである。明らかに今村さんは、歌い踊るための舞台を目論んでおり、それは映画「ザッツ・エンターテイメント」の影響だが、クライアントがなにを言おうが、その先を読み込んでいたということなのだ。

こういうのは、今村さんのCMクリエーターとしての、打たれ強さというか、ホーマーはたまに飛ばすが、ヒットも打ち続けるぞ、というプロ意識の現れだと思う。制作会社は、当時、CM業界に台頭してきた太陽企画、プロデューサーは若き俊英、岡田高治。─ 岡田さんは、俳優にしてもいいじゃないの、というマスクのハードボイルドな雰囲気の人で、今村さん、わたし、とも、とても仲が良かった。いろんな場面で、とても重要な役を果たしてくれた人である。

なお、三枝が歌い踊るCMはシリーズ化され、共演に、タモリが出てきたりしたが、まだ無名だったので、外され、当時新人の大地真央が共に踊ったりした。こんなCM映像は今日では貴重かも知れない(電通データベースには残っている)。

大地真央も出演
大地真央も出演
 

ところで、私には味の素ゼネラルフーヅ(以下AGF)という赤井部から持ってきた担当があった。AGFは、幾つかの新商品を準備中で、そのネーミング開発から、デザイン、業務店・小売店販促、消費者向け広告キャンペーンまで、電通に全て任されていた。もちろん赤井さんが主導していたが、途中から、あまりクライアントに行かなくなり、日常の現場制作などはほとんど、わたしが担当していた。商品はインスタントのフリーズドライコーヒーで「マキシム」と決まった。AGF側は、広告の顔として、当時の日本で大隆盛の海外俳優、タレント、いわゆる外タレを希望した(なんの関係もありませんが、この前、焼鳥屋で外タレ広告の話をしていたら、店主に、それはどんなタレですか?と聞かれた。外タレという言葉だけが耳に入ったらしい)。

ただ日本の外タレ起用はすごく、あまり、これというのは残っていない。第一、海外俳優で日本のCMに出よう、というのはあまりいない。─ 余談。アラン・ドロンの「ダーバン」CMがヒットしていたが、制作前、当時レナウン、電通の交渉は難航していた。この時、アランと映画「レッド・サン」を共演、撮影中の三船敏郎に、サッポロビールCMのご縁でもうお友だちだった今村さんが、アランを口説いていただけないか、とお願いし、実現したのはここだけの話にしよう。

話を戻しますと…グレゴリー・ペックが決まりかけ、スケジュールでダウン、結局カーク・ダグラスに決まった。つまり契約できたわけである。

CMは、赤井部のあるプランナーが担当し、企画をプレゼン。AGFの依頼通り、高級コーヒーである感、登場感を訴求する。ネスレ日本の「違いのわかる男のゴールドブレンド」を意識するAGFは了解した。さて、アメリカのロケも終わり初号60秒。カークが正装、別荘で寛ぎ、執事がマキシムを淹れて、出す。満足感と、別荘の空撮で臨場感、商品アップ。セリフはなく、ダーバンみたいなポエム的NA(ナレーション)。

クライアントは大満足であった。オンエアされたが…あまり評判にもならない。

わたしはひそかに思ったものである。これは、カークでなくても誰でもいいCMではないのか? チャールズ・ブロンソンの「う~~んマンダム」とか、ドロンの「ダーバン」とか、ソフィア・ローレンの「ラ、タッタア」とか、ユル・ブリンナーの富士フイルムとかは、その外タレの必然性を感じる。つまり、その俳優でないとCMが成立しない感じがするのだ。

そのうち、すぐに続編を制作しなくてはならなくなった。ところが、担当していたプランナーは外れてしまい、わたしは今村部へ移ることになった。AGFのほとんどを制作していたわたしは、かくして、マキシムとほかブランドの相談を、今村さんと、当時彼の右腕役でCMプランナーの松本昭さんにした。松本昭さんは、通称ベラ松、よく喋る、というのでベラ松で通り、かつダジャレ名人であった。ほぼ10分に1回、ダジャレが出る。

「…と、いうわけで続編なのですよ。でも、どうすればいいですかねえ?」

今村さんの回答は明確であった。
「カーク・ダグラスを使うなら、俳優なのだから、なにか役柄を持たせる方がいいだろうね。俳優は役で生きてくるのだから。」

なるほど、である。当時マキシムの商品スローガンは、最初「コーヒーの心」(赤井さんが制作)だったが、売れないので、わたしが、かなりベタな(店頭タッグにもなるので)「珈琲の名作」に変えていた。

「珈琲の名作。なら、なにか名作の主人公の役柄にして企画してみたら?」…

名作か? 世界文学全集の類は読んでいたわたしは、カーク・ダグラスが映画では演じていない役柄を探した。むろんカーク主演の映画は全て観ていたので、それは除外できる。また、CM的には扮装、コスチュームだけで、なにかがわかるという選択も重要だ。さらに、カーク本人がのれそうか、との判断もある。

こうして選択、企画したのは、1「風と共に去りぬ」から、南部の大邸宅階段をスカーレット・オハラを抱き、昇るレット・バトラー。2「シャーロック・ホームズ」から、名探偵本人。3「嵐が丘」から、荒野を巡る、ヒースクリフ。4「ドン・キホーテ」から、風車に立ち向かう公爵本人。…企画は、カークがコーヒーで読書していると、ふと、その名作の世界に入り、一幕を演じ、我に返り美味しさを称えるという構成にした。企画は通り、今村さんは、監督に、アメリカ、外タレ、英語、ほかで10年ぶりに大林宜彦を起用した。映画上の付き合いが続いていたのは前に述べた。

また大林監督がなぜこの世界に入ったのかを、後回しにしていたが、いま、その余裕ができたと思うので述べておきます。

無名の個人実験映画作家だった大林は、電通の水島寛に誘われた。この前史がある。水島の義理の兄がいた。兄はふつうの会社員らしいが、不思議な人で映像技術研究会という会を主宰、大林の作品を観て、会に呼んだりした。ここで水島は兄とともに大林に出会う。そして、ぜひ広告宣伝に来てもらいたいと思い、次のように伝えた(という仄聞)。

「大林さん。いまCMのディレクターは映画界から流れて、恥ずかしいアルバイトみたいにこそこそやっている。是非、堂々、胸を張り、CMが好きなのだと言ってCMを作ってくれませんか。そしてギャラをどんどん上げて、いい生活をしてください。若いひとたちの憧れになってください」。

大林監督は後にCMの魔術師と異名をとる。また、水島さんは後のわたしの局長だ。かくして、今村さん、松本さん、わたし、大林監督のチームはアメリカへロケに出た。

(文中敬称略)


◎本連載は、電通OBの有志で構成する「グループD21」が、企画・執筆をしています。
◎次回は11月12日に掲載します。

プロフィール

  • Odajima nobuyuki pr
    小田嶋 伸幸

    慶応義塾大学法学部卒。1974年、電通入社。今村昭CD、林靖夫CDなどの薫陶を受け、コピーライター、CMプランナー、CD、を務める。在社中、別名で書評、エッセイ、音楽アーチストのプロモーション、広告小説(商品が登場する小説)なども制作していた。現在の電通ダイレクト系各部門の源流になる部門創設メンバーのひとりで、インターネットをふくむダイレクトクリエーティブも手掛け、2010年ダイレクトビジネス局次長相当を最終として退社。いまは個人事務所を主宰。

バックナンバー

関連記事

続きを見る
ページ先頭へ