イキですてきな仲間たち―電通を創った男たちⅡ― #30

日本のテレビCM史の流れを変えた異才 ― 今村昭物語(12)

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    小田嶋 伸幸

その後のマキシムCM、杉山登志との出会い、そして資生堂ロングCM ─ 今村昭は、いかに企画していったのか

 

さて前回は、途中から「スターウォーズ」と、その派生の「スペース・コンヴォイ」などにいってしまった。ここで、AGF「マキシム」CMの続きを改めて述べたい。その当時は、いわゆる外タレCMも最盛期は過ぎ、と言うか、普通のCMになってきた。また、カーク・ダグラスも壮年期であり、あまりアクションをしてもらうわけにもいかなくなってきた。

ただ余談だが、彼は現在(2016年)も健在で、100歳近いハリウッド最長老俳優として、アメリカの映画ファンに尊敬されている。映画には出ないようだが、テレビ出演や映画界のパーティーには呼ばれるらしい。

カーク・ダグラスの映画人生と商品訴求を結び付けたシリーズ広告のひとつ
カーク・ダグラスの映画人生と商品訴求を結び付けたシリーズ広告のひとつ

時代をもどすと。今村さん、松本昭さん、わたしはそこで、例の手を考えた。相手役をもってきて活性化しよう。その人物への興味で、盛り上がる。相手はカーク・ダグラスと多方面で関係がある人、つまり俳優でなくてよい(ギャラもかかるし)。むしろ、文化人はどうだろうか?

アーサーと共演するカークのスチール広告
アーサーと共演するカークのスチール広告

3人とも人後に落ちないエンターテインメント好きだから、あっという間にたくさんの名前が挙がる。結果的に、契約までいき、CMに出演してもらったのは、以下の人々である。映画音楽家のヘンリー・マンシーニ。映画監督のジョン・フランケンハイマー。マーキュリー7計画の宇宙飛行士だったスコット・カーペンター。SFファンタジー作家のレイ・ブラッドベリ。映画音楽家のジョン・バリー(「野生のエルザ」「冬のライオン」「007」などが有名)。巨大組織の人間群像を描く作家アーサー・ヘイリー。

これらの人々のCMはいちどに制作したわけではなく、2年ほどかけて、少しずつアメリカでロケ、順次放映された。制作は電通映画社、プロデューサーは石関克己、監督は当時ロサンゼルスに在住していた原田真人、音楽は小林亜星。ジョン・バリー編が1982年のACC秀作賞を受賞している。

レイ・ブラッドベリとツーショットで収まる今村さん。一応の英語でなんとか会話していた
レイ・ブラッドベリとツーショットで収まる今村さん。一応の英語でなんとか会話していた
 

CM構成は単純で、交友関係にある人のもとをカーク・ダグラスが訪れコーヒーブレイクを楽しむだけ。と、いうものだが、顔ぶれでもうお気付きかもしれない、今村さん(私もだが)の趣味がかなり入っている。特にレイ・ブラッドベリだ。この『何かが道をやってくる』で有名なSF作家に会いたいというだけでクライアントをOKさせてしまった。レイのオフィスで撮影したが、その訪問記を後であるSF雑誌に書いたほどである。

また原田監督を起用したのは、もともと彼の「さらば映画の友よ」で今村さんが、川谷拓三、室田日出夫らと共演、出演していたせいで知人であることもあるが(トビー門口まで出ている)、原田監督が英語に堪能で優秀でもあるからであった。─ さらにこの映画には浅野温子が出演しているが、彼女は後に、われわれの資生堂CMの主役をお願いすることになる ─ これは後で述べます。

「さらば映画の友よ」の出演シーンのひとつ
「さらば映画の友よ」の出演シーンのひとつ
 

で、原田監督にも、また趣味性はあって、撮影をヴィルモス・ジグモンドに頼みたいと今村さんに申し出た。今村さんもビックリした、ヴィルモスは、「未知との遭遇」などの撮影カメラマンなのだ。撮影当日おもしろかったのは、撮影されるレイがヴィルモスにサインを頼んだことだ、実はレイは、狂がつく映画マニアなのであった。

── まあ視聴者にもクライアントにもほぼ関係のない舞台裏であるが、趣味を仕事にするわけではない、という今村さんでも、誘惑に負ける人間ではあったのだ。

ただ、こんなアメリカ文化人たちがCMに出たというのは、これしかない筈である。そういう意味では貴重品かもしれない。

AGFのCMでは、他に岸恵子起用の「マリーム」(クリーミング・パウダー)がある。「Coffee&Marimで、CMタイム」などとベタなヘッドをつけたのは、不肖なる語り手であるが、パリ・ロケで、そのコーヒーを岸恵子にお持ちする執事役のキャスティングが今村さんの仕事だった。ここでは趣味性が大いに生きた。ルイ・ド・フュネス喜劇のジャン・ルフェーブルみたいな俳優を探した、と言えばフランス映画好きはピン!とくるだろうか。起用はセバスチャン・フロシェである。

演出は関谷宗介。岸恵子の華やかな語り口調と、執事のおとぼけがからみ、わりと洒落たCMになった。商品もよく売れだし、クライアントは大満足だった。

マリームのグラフィック広告
マリームのグラフィック広告
シルビアのグラフィック広告
シルビアのグラフィック広告

他にも当時「J・Jey」というカフェインレス(50%カット)コーヒー商品があり、これまたタレントで、なんとシルビア・クリステルなのだった。これは当時の「エマニエル夫人」の大ヒットで、クライアントが好みで決めてしまった。このCMはシルビアが、商品をカフェインが少ないから、夜も昼も楽しめますという、説明型になり、べつに色っぽいわけでもなく、わかりやすいわけでもない。まあ、要求を入れ過ぎて未消化なCMだ。シルビアは当時、突然、大ヒット女優になってしまい、ストレスが多いせいか、大酒飲みで、現場の控室でも飲んでいたのはここだけのお話し。

このへん、女優が続くが、時代を1978年ごろにもどす。次も女優、そして資生堂CMである。

前史。資生堂といえば、60~70年代のCM ─ 天才、杉山登志の演出したCMを避けては通れない。杉山は本当の不世出の天才で、その美学的構成、画づくり、演出の完璧性、など日本CM界の早すぎた先駆者と言える。

「イエイエ」を成功させた当時の今村さんも杉山は意識しており、いちどだけ会ったことがある。というか、あいさつしただけである。それもホノルル空港ロビーだ。小林亜星さんと同行していて、紹介されたのである。

才は才を知る、異才は天才との出会いをどう感じたのだろうか?

この当時、今村さんは、草月文化会館で有料のCM上映会を主宰したことがある。CMクリエーターを普通に世に認知してほしいという趣旨だ。参加は松尾慎吾、大林宜彦、内田健太郎、葛上周二、杉山登志の作品。

入場料500円、しかし満員となった。初日の夜遅く、杉山はひとり訪れ、CMを入れ替えて、順を変え、これで観てほしい、と去った。

主宰した今村さんもだが、杉山登志の思いも、CMには共通していたのではないだろうか? 確かにビジネスである、視聴者にはタダである、しかし作家性もある、個人性もある、集団が生む映像作品でもある…。様々な思いが去来したことであろう。

今村さんが企画したテレビCMの会「饒舌の映像」の宣伝チラシのひとつ
今村さんが企画したテレビCMの会「饒舌の映像」の宣伝チラシのひとつ

杉山登志によりCMのレベルが極めて高い資生堂は、なかなか電通を使ってくれなかった。そんな時代、電通の媒体と営業は、広告を重視していて、もっと攻略したい特別なクライアント向けに正月のテレビ特別番組、当時初めての「ウエストサイド物語」の一挙放映、とCM枠180秒独占という企画を放った。30秒6本というのではなくて、まさに3分まるごとCMだ、という先駆的戦略である。ここに、資生堂がのった。CR制作も電通という条件も呑んでである。この立役者が、当時の資生堂宣伝部の中心にいた、犬山達四郎さん、中尾良宜さんであった。お二人ともにクリエーターである、と言うか、宣伝部が制作者集団であり、なんでも自分たちで創っていた。広告エージェンシーには手強い。そして、3分CMは、銀座電通が担当したので、その制作は、なんと指名できたのだ。今村昭というクリエーターで頼みたい。…今村さんは、ひとり、営業担当と資生堂へ打ち合わせに行った。銀座電通から資生堂銀座本社まで3分である。その翌日朝、松本昭さんとわたしは銀座ウエストでバカ話をしていた…ところへ今村さんが現れた。

─ 昨日、資生堂に呼ばれてさ。CMつくることになったよ。尺は3分。

─ なんですと? 3分!?

─ そう、しかも商品はない、というのか自由。テーマだけ提示された。このテーマで企画を出さないといけない。

─ テーマとはなんですか?

─ …「色」だとさ。

─ …はあ、色ですか?

3分はCM屋には映画みたいなものだ。珍しい長尺、日本初だったろうか?

─ 色、というテーマだけど、なにを連想する?…という今村さんの提示を受け、午後はわたしの仕事だった。「色」について調べ、考えた。当時ネットなどない。色彩事典を見る。さっぱりおもしろくない。色彩心理学を読む、退屈だ。流行色を調べる、ピンとこない。CMにする核がひらめかない。広辞苑を引く。色…顔色、顔つき、ふむ。おもむき…おお。調子…うん。化粧…なるほど。男女間の情事。色事…恋愛、ピーンとくる。恋人…ガーン。これだわ。CMで色とは、これ以外にあるか。商品は口紅だろう。

翌日、銀座ウエスト。今村さんが、わたしの説明で深くうなずく、同時にイメージが湧いた。─ 少女だな。子供でなく女性ではまだない。彼女が突然、ある感情の高まりを経験する。そして、おずおずと、でも決然と生まれて初めての口紅(たぶん母か姉の)に手を伸ばす。── その感情のきっかけは、突然飛んできたラグビーボールとかで、その少年を見る…それが初恋になる。

─ 今村さんは、この企画を絵コンテではなく、字コンテ、つまりシナリオにした。同時に監督を実相寺昭雄に、と考え動き出した。松本昭さんは、制作体制を作り出した。

資生堂へプレゼンに出かけた。注文はもちろんあったが、おおむね了承された。というより、どうも期待されてしまったようだった。だが、まだ最初をやっただけだ。この少女は誰だ? 演出コンテはこれから、実相寺監督とつめる。コピーは未定である。

電通映画社の喜多村寿信プロデューサーが、凄い子がいるぞ!と飛んできた。

当時、角川映画「野生の証明」を撮影中であった、薬師丸ひろ子である。14歳。全員が一致し、われわれは角川春樹氏と会い、快諾を得た。実相寺監督との打ち合わせも進み、ロケは長野の松本市郊外で決まり、出発した。語り手はこの制作記を『月刊アドバタイジング』に書いているが、これがカンヌ金賞となり、その翌年の続作が、またもカンヌ銅賞を受賞するとは、実は当時は思いもしていなかったのである。

(文中敬称略)


◎本連載は、電通OBの有志で構成する「グループD21」が、企画・執筆をしています。
◎次回は11月19日に掲載します。

プロフィール

  • Odajima nobuyuki pr
    小田嶋 伸幸

    慶応義塾大学法学部卒。1974年、電通入社。今村昭CD、林靖夫CDなどの薫陶を受け、コピーライター、CMプランナー、CD、を務める。在社中、別名で書評、エッセイ、音楽アーチストのプロモーション、広告小説(商品が登場する小説)なども制作していた。現在の電通ダイレクト系各部門の源流になる部門創設メンバーのひとりで、インターネットをふくむダイレクトクリエーティブも手掛け、2010年ダイレクトビジネス局次長相当を最終として退社。いまは個人事務所を主宰。

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