Experience Driven Showcase #80

日本酒を「世界に尊敬される」酒に戻す!:佐藤祐輔(前編)

  •     pr
    佐藤 祐輔
    新政酒造 代表取締役社長
  • 堀 雄飛
    株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局

「会いたい人に、会いに行く!」第13弾は、日本酒業界に革新をもたらす存在として注目を浴びている新政酒造の佐藤祐輔社長に、電通イベント&スペース・デザイン局の堀雄飛さんが会いました。東京大学文学部を卒業後、編集プロダクションやウェブ新聞社勤務を経て、フリーの編集者やライターとして活動していた佐藤社長は2007年、なぜいきなり実家の新政酒造を継ぎ、いま日本酒業界の何を変えようとしているのか? 自らも日本酒の魅力に取りつかれ、酒めぐり・蔵めぐりがライフワークの堀さんが迫ります。

取材・編集構成:金原亜紀 電通イベント&スペース・デザイン局
(左より)堀雄飛氏、佐藤祐輔氏

 

社会人になるまで、実家「新政」の日本酒は飲んだことさえなかった

堀:佐藤さんは伝統産業である日本の酒蔵において次々と改革を実行され、「異端児」とも「革命児」とも形容されています。ただ私たちのようなコミュニケーション産業の側から見ると、佐藤さんの行ってきたことというのは非常に現代的に感じられます。

佐藤さんには、酒質を独自のセンスでコントロールする「エンジニア」、業界における「新政」のリポジショニングを改革後数年で確立した「マーケター/戦略家」、商品のコンセプトメークからネーミングやラベルデザインまでを手掛ける「クリエーティブディレクター」、そして見事に赤字の大規模酒造を、生産量は大幅に減らしながらも黒字にV字回復させた「経営者」とさまざまな側面がありますね。

今日は、他のメディアではあまり突っ込んで聞いてこなかったことも掘り起こしたいと思っています。まずいきなりですが、東京で編集者をしていた佐藤さんが、実家の「新政」を継いだきっかけは何だったんですか?

佐藤:僕は東京では、編集者とフリーライターで最終的には食っていたんです。ある日、伊豆でジャーナリストが集まる会があって、先輩のジャーナリストに「おまえ、酒屋の息子なんだってな、これ飲んでみろ」と言われて、静岡の銘酒「磯自慢」を飲んだ。あまりにうまくて、すごくたくさん飲んでしまったんです(笑)。翌日ちょっと冷静になって、日本酒も捨てたものじゃないなといきなり思って。

堀:そのときに初めて、自分のご実家の酒の価値も客観的に知ったんですね。

佐藤:いや、実家の酒を飲んだことがなかったから(笑)。普段は居酒屋チェーンで安い甲類焼酎をウーロン茶で割って飲んでいた。日本酒の原体験という意味では、それ以前には記憶がない。実家ではペロッとなめて、お神酒みたいな感じで飲んだことがあるくらい。

堀:そのころ、日本酒のマーケットの中で、ご実家の「新政」はどうだったんですか。

佐藤:僕は全く興味もないし知らなかった。その1年後ぐらいからだんだん、経営もやばいし、業界内のポジショニングもせっかく伝統的な蔵なのに、うまく生かされていないと分かってきました。

 

最初は日本酒をテーマにして本を書こうと思って、日本酒を勉強した

佐藤:日本酒は造るのも面白いけど、ファンでいろんな飲み会をやっているときが一番面白いんです。僕は書き物の仕事をしていたから、日本酒をテーマに何か書けたら、ライターとして武器が1個増えるからラッキーだと思った。実家の蔵ならインサイダーだから、いろんな情報を取ってこられるじゃないですか。

堀:そもそも最初、編集者やライターになったのは、どういう動機だったんですか。

佐藤:東京大学文学部を卒業したんですが、僕はロックや文学が好きで、卒論がボブ・ディランとその周辺のビートニク(ビート・ジェネレーションの略であり、1955年から1964年頃にかけて、アメリカ合衆国の文学界で異彩を放ったグループ、あるいはその活動の総称)についてでした。なんか、一人で生きていきたいタイプだったんです。つまり、会社に入りたくなかった。わがままなんですね、基本的に。卒業後、時間はかかりましたが、本を書いてジャーナリストのかけだしになって、書き物の仕事もすごく面白かったから。

好きなのはアメリカ文学だったので、ヘミングウェーにしろ、カート・ヴォネガットにしろ、みんな出自は新聞記者でしょ。アメリカ文学ってノンフィクションとフィクションの境が曖昧なので、僕もそんな感じを目指して両方書いていました。

それで、酒について原稿を書くには、ちゃんと酒の教育も受けなきゃいけないと思って、親父に頼んで酒類総合研究所で1カ月半、研修を受けさせてもらった。初めに酒造の教科書を買わなきゃいけないのですが、本で一番初めに出てくるのがうちの蔵の名前だったんです。うちは6号酵母発祥の蔵だから。そういえば、おふくろが何か昔そんなこと言っていたなとか、だんだん思い出しながら本を読んでいった。

6号酵母…通称「K6号酵母」「新政酵母」。10℃から12℃でも強い発酵力維持し穏やかな香りで、淡麗にしてソフトな酒質に適し、K7号酵母より酸が弱いが味は深みが出るとされる。

 

堀:初めは、そんな状態なんですね。

佐藤:そんなレベルですよ。それで1号~5号の酵母の遺伝子と、6号以降の酵母の遺伝子は全然違うことが分かって、どうも6号酵母以降は1号~5号とは全く違う種の酵母で、この酵母から日本の酒造りは現代のスタイルになったんだと分かって、初めて「あ、なんか、うちの蔵すごくないか?」と驚いたのです。

 

日本酒の製法を、江戸時代に戻す

堀:「新政」の酒には醸造方針がラベルに書いてあって、全部を「秋田県産米」で、「純米造り」で、「6号酵母で醸す」とありますね。さらに「自然な醸造を心がけ、ラベル記載義務のない添加物(醸造用酸類、ミネラル、酵素など)についても一切使用いたしません」と書いてあります。要するに一般的には、酒質を矯正するためにいろいろなものを入れていいことが法律で認められているのですが、佐藤さんは「新政」の酒をあえてそういう形に改革した。

僕が佐藤さんをすごいと思うのは、一人で全部やっているように見えるんですね。酒類総合研究所に行って技術について一から学び、今はエンジニアとして蔵の酒質を管理されていますし、「新政」がマーケットの中でどういうポジションにいて、「新政」をどう見せていくかのクリエーティブディレクションもやっている。もちろん東京での編集者経験が生かされているのだと思いますが、経営者としても実家に戻った時の利益率マイナス20%の世界から、何年かで利益を出させている。すごい豪腕だなと思うんです。

佐藤:器用貧乏なんじゃないかな(笑)。問題は「何で日本酒は売れなくなったのか」だよね。昔はハレの日の酒で人々に愛された日本酒が、何で罰ゲームみたいな酒になっちゃったかというところが疑問で、ちゃんと昔みたいに尊敬されるお酒に戻そうということが僕の第一目標でした。いくつか理由がありますが、製法面で画一化されてしまって、多様性が失われたのは大きな問題と思いました。日本酒の製法は江戸時代と明治時代では大きな断絶があります。これに一因があると思いました。

本来の日本酒というのは、それぞれの現場で試行錯誤しながら、体験的に造ってきたものですが、明治時代にはそういう造り方を古いとして一掃してしまった。明治時代は、日本人が西洋コンプレックスに陥っちゃった時代。そのコンプレックスはそれ以降もずっと続いている。今も全部の産業において共通していると思うのは、日本人は本質的に「自信」がないように見えます。明治時代は「文明開化」と言っていたぐらいです。当時の人たちは江戸時代以前のものは「文明」ではないと思っていたわけです。

酒の製法に関しても、ドイツのビールのほうがよっぽど格好よく見えた。機械があって、造り方も完璧だし、密閉空間の中できれいな酒を造って、酵母も培養してみたいなものが。だから、明治時代の日本人は、簡単にいうと日本酒の上にビールを置いたんです。ビールのほうが「文明」的だと思ったんでしょうね。要するに、それまでは添加物も入れずに、天然乳酸菌と天然酵母だけで酒造りしていたのだけれど、それでは安定性がなくて酒ができないときもあるし、蔵ごとに出来がバラバラになってしまうと。それよりは、ビールのように常に単一の酵母だけで酒造りしたり、微生物の仕事は添加物などで肩代わりしたほうがいい。どこでも同じような一定の品質ができるから、ということです。とにかく、明治以降、日本は西洋でやっていることは疑いもせずにあらゆる産業に取り入れてきた。たしかにその当時は、世界大戦を間近に控えており、酒税の調達の面からも必要なことだった。だから、私は明治の人たちに問題があるとは思っていません。どちらかというと、いまだに自らの固有の文化を再評価できない多くの同世代の日本人の感覚に対して危機感を感じています。

話は戻りますが、明治時代、西洋では細菌学が確立されたころ、パスツールやコッホが現れ、様々な病原菌を発見したり、その性質を調べて、ワクチンを開発したりしました。日本はドイツとすごく仲良かったから、コッホに師事した北里柴三郎みたいな偉人も出てきた。彼はペスト菌を発見し、ノーベル賞の候補にまでになりました。こうした影響から日本酒造りにおいても、いい菌だけを分離して増やそうとか、特殊な能力を持った菌を生み出そうとか、人間に都合の良いよう生命を操作する、そういう科学的な造り方になってきた。

そういう流れで日本酒も、江戸時代の生酛(きもと)みたいな造り方から、いい菌だけを分離して増やそうとか、自然を改変してコントロールする、そういう造り方になってきた。

酒母の造り方は二つあって、江戸期に確立した生酛系というものと、明治以降に出てきた速醸系がある。生酛系酒母では、初めにお米のヨーグルトみたいなものを造ります。ヨーグルトですから乳酸菌が発酵するわけです。道具とか職人の手なんかについている乳酸菌が、乳酸発酵を起こす。すると酸っぱくなって、その酸の力で、いろいろな雑菌が淘汰されてゆくんです。一方、速醸という手法があります。これは乳酸発酵させない。乳酸菌を育てる期間が長くて手間だし、乳酸菌の育成は難しくて安定しないので、それをまるごと省いちゃう。とにかく酸っぱくしちゃえばいいという発想で、酸味料を入れていきなり酸度を上げてしまう。

堀:人為的に乳酸菌みたいなものを入れているんですね。

佐藤:菌じゃなくて、精製された液体です。化学式でいうとC3H6O3、乳酸液です。日本薬局方で売ってますから、ドラッグストアなんかでも買えますよ。ただ90%近くと純度が高く、触るとやけどしますから気をつけてください。乳酸菌のような生き物ではないです。こうした酸味料はあらゆる加工食品に添加物として用いられているけど、およそ南米・東南アジア・中国などで作られたものを輸入している。現代では、ほとんどすべての酒はこうした醸造用の酸味料を用いる速醸酒母から造られています。生酛はあまりにも手間がかかりすぎるし、あと失敗する確率も高いから、はやらなくなった理由もわかります。ただ、生酛は江戸時代以前では当たり前の製法です。そういう観点からすれば、単に現代の酒造りが手抜きと言えなくもない。

 

難しい手法にもチャレンジし、お客さんの人生のロマンを満たす

佐藤:科学技術というのは基本的に汎用技術だから、科学技術は世界中の他のところでも応用可能でしょ。そういう汎用技術でプロダクトをつくるのは、伝統産業にはそぐわないんです。僕は汎用的なものから離れよう、離れようとしている。もっとカオスな手法とか、その地方やその蔵でなければ手に入らないマテリアルを組み合わせて、訳の分からないものをつくって、とにかくみんなと違う次元に行きたい。

堀:今おっしゃっていただいたような話はテクニカル的にはすごく難しい話ですが、それでも「新政」の改革にマーケットは非常に反応して、日本酒への評価が変わるきっかけになりました。そういうふうにマーケットがついてきてくれたのはなぜだと思いますか。

佐藤:僕は、お客さんのロマンを満たすような酒を造れば、客はつくだろうと単純に思った。例えば当蔵は現在、秋田県産の米しか使っていない。評価が高くても他県の米は使いたくないんです。不利であっても、自前主義にこだわりたい。あと使っている酵母も古い。約90年前に当蔵で見つかった「6号酵母」、つまり市販最古の酵母のみで酒造りしています。将来的には、こうした培養酵母そのものを使用しないで、江戸時代のころのように、蔵の中に漂っている雑多な天然酵母だけで酒造りをしたいと技術を磨いています。あと酒母は全部、前述した生酛造りでやっている。生酛だけの蔵って全国に数軒しかないんです。とても大変で酒を何本もダメにしたし、5年以上かかってようやくこぎつけた。そういう酒が結局、お客さんのライフスタイルを豊かにすると思う。お客さんが僕たち、新政酒造の酒を飲んで、勇気を持ってまた人生に挑むとか、そういうロマンのある酒を造りたい。

※後編につづく

 

プロフィール

  •     pr
    佐藤 祐輔
    新政酒造 代表取締役社長

    1974年秋田市生まれ。東京大学文学部卒業後、出版をはじめとする様々な職を経て、編集者、ジャーナリストとして活躍。
    2005年に日本酒に開眼。06年より酒類総合研究所研究生、07年より生家の新政酒造へ入社。12年より同社代表取締役社長に就任。

  • 堀 雄飛
    株式会社電通 イベント&スペース・デザイン局

    1982年生まれ。さいたま市育ち。早稲田大学理工学部建築学科卒業。
    2006年電通入社。10年間OOHメディアのセールス、開発、プランニングに携わり2016年から現局に在籍。
    国際会議における政府展示や大型展示会の企画・運営、ショップやショールームのディレクションが主な活動領域。1児の父。趣味は日本酒。

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